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国家反逆罪と戦った件 その3

退職した仕事の話を少しだけしたいと
思います。
パワハラが嫌でやめた仕事ですが、仕事と
会社自体は嫌いではありませんでした。

それは、可愛がっていた後輩達や、親しく
していた仲間達やお客様がいるからです。

なので、会社自体を批判するような真似は
したくないと言うのが、本音となります。

そうです。
嫌なのはハラスメント研修を受講している
にも関わらず、その恩恵を全く受けない、
ハラスメントを何も理解していない
ハラスメントの権化達のみ、ということです。

数ヶ月にも渡ってしまった私の病欠ですが
とある仕事をしないかと言う誘いに乗り
3月頃に一度復職しました。

その仕事はあるプロジェクトを数年かけて
立ち上げるというもので、それまでの
仕事にマンネリを感じ、パワハラにも
飽きていた私にとって魅力的なものでした。

その仕事に携わってからは、充実した日々を
感じていたのですが、パワハラ上司の次に
待っていたのはパワハラの真逆、何もしない
上司でした。

何もしない上司なので、仮称として
『シナハラ上司』と名付けます。

シナハラ上司は本当に何もしない上司であり
少し反発するような意見を言うと
意味不明な事をマウントを取りながら
話してくるような人でした。

例えば、こちらが富士山の事を話している
とした場合、いきなりエベレストの話を
して来るような意味不明具合です。。。

はい。そうです。
話にならないし、話しても無駄ってことです。

そんな中、プロジェクトの資料作成のため
ある外国の国防を司る省庁を調べていた最中
その上司にも愛想をつかすことになりました。

更に追加メンバーとしてパワハラをする人間が
1人増えたため、復職後僅か1ヶ月で
退職することに至った次第です。
今振り返れば、ハラスメントメンバーは全員
私から見れば仕事をしていないようにしか
見えませんが。。。

この外国の省庁を調べたことが、国家反逆罪への
妄想を突き進めたと言っても過言ではありません。
こうして私は4月某日に会社を退社したのです。

退社後、私は実家に戻り数日暮らすことにしました。
数ヶ月会社を休んでいたことが両親にバレたため
です。

バレた理由は大したことではありません。
休んでいたことがバレないように上手く
隠したつもりが、逆に心配を煽る結果となり
バレてしまったと言うものです。

はい。
私は嘘をつくことが下手なのです。

元々一人暮らしをしていた私は
実家で数日暮らすことにしました。
実家に戻っている間
仕事をやめたこともあり、母から
『実家に戻ってこないか』と
しきりに誘われていましたが
一人暮らしの快適さと自由さを知った
私はすぐに分かったとは言いませんでした。

唯一、一人暮らしの嫌なところと言えば
その頃から頭角を表してきた幻聴くらい
です。

実家ではある程度、不自由なく生活していた
のですが実家での生活で、何故か幻聴の
勢いが増しました。
その後、母の説得に応じるべく
一人暮らしを諦め、アパートに
荷物を取りに帰ったのです。

荷物を取りに帰った私は
そこでしきりにテレビで流れていた
あるニュースが気になり始めました。
それは東京で起きてしまったある
幼児が亡くなった事件です。

何故気になったのか、おそらく頻繁に
流れていたからだと思いますが
その幼児が私の親族の子供だと勘違いを
したのです。

いきなりすぎて読者の方も『は?』と
なるかと思いますが、その当時私の言動が
どこかのSNSにアップされていると
壮大な妄想を生んでいたのです。

私はSNSは◯INEくらいしかやって
いません。
(◯INEがSNSに該当するのかも知りません。。。)
そんな私のなりすましのアカウントが
あると勝手に思い込んでいたのです。

それはおそらく駅前で叫んだ事件がネットに
出回ったと考え、考え込む性格ゆえの
間違った答えのせいだと思います。

しかも、そのSNSのせいで親族の幼児が
亡くなってしまったのだと
妄想を暴走させたのです。

荷物をまとめていた私は、その妄想を
現実だと捉え、震える手で礼服の準備まで
していました。
礼服を準備したのは本当の本当です。

結果、親族とは関係ないことが分かり
実際に亡くなったご家族には申し訳ないですが
親族ではなくて本当に良かったと
正直、ほっと思ったのを記憶しています。

このSNSの件は国家反逆罪につながる
重大な勘違いであり、これらを
考え込むことで更に症状は酷い
ものになっていくのです。

この続きはまた手が空いた時に書き記します。
読んでいただいた方、ありがとうございます。

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