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パー蔵が何目指してるかわからないときに読むnote

パー蔵です. 最近は在学年数が4年目になったせいか, ゼミも始まり年下と交流することが増え, 勉強と読書以外何しているのかミステリアスだと言われることがしばしばありました. また, 同じゼミの一人から「将来何になりたいんですか?」という質問をされることもありました.  実はここ数ヶ月前に決まったのですが, 研究者になりたいと思っています. じゃあ何を研究したいのかと言われると, まだなんとなくでしか決められていませんが, "中東の住民における福祉の在り方, すなわち幸福の在り方とは何か"を研究したいと考えています. これに関しては, 今後もっと具体的にしていく必要があります.

グローバルインクルージョン(Global Inclusion), 国や宗教などによる人同士の分断のない地球が一体となる世界, 西洋の創造性と東洋の智慧と工夫が統合された精神的風土の上に成り立つ世界,  お互いが干渉せず不干渉でありながら無視せず関心を持ち理解し合う地球社会, 中東の住民の幸福を理解しようとすることで一歩ずつ近づいていけるのではないかと思います.

この記事では, なぜ研究者を目指すに至ったのかということについて, 高校生だったパー蔵, ピュア大学生だったパー蔵, With & Afterコロナのパー蔵, の順番で振り返っています.

皆さんのおかげで今の僕がいます. 決して僕一人ではここまで辿り着けませんでした. 僕を成長させ続けてくれている環境と周囲の人々に多大な感謝を.


1. 高校生だったパー蔵

アニメと漫画とゲームが好きだった僕は, 偏差値43前後(今は48にまで上がっているそうで驚きました笑)にの高校に指定校推薦で入学しました. 中学の成績はDランクだったので, もう少し偏差値の高い高校に進学しようと思えばできたし, 担任の先生にもどうだと言われたが, 部活に集中できてかつ成績もそこそことれる高校がいいということで, 提案をきっぱりと断りました.

そこそこ成績はとってましたが, 本当に勉強が嫌いで, 高校3年生になるまではずっと高卒で地元の鉄鋼会社に勤めようと考えていました. ましてや英語なんて使わない言語をなんのために学ぶのかわからず, 英語の授業はコミュニケーション英語と英語表現の2つだけでした. 一方, 数学と物理の授業が面白くて好きでしたし, 親からも大学にいくなら地元の大学ねと言われていました. どれくらい嫌いだったのかに関しては[1.3 性格を180°変えた人生初の受験勉強]で触れたいと思います.

1.1 辞めたかったが続けて良かった部活

写真がとても懐かしい. みんな元気にしているだろうか. ちなみに僕の背番号は9番です.

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入学してすぐの体験入部で, 実は嘔吐してしまったんです. 小学校から続けてきたバスケが大好きで, バスケを続けたくて選んだ高校でしたが, レベルが違いすぎて『僕にはもう無理なんだ. 才能がない. もうバスケは辞めよう』と考えていました. 当時の主将が「最初はみんなそんなもんだよ. 落ち着いたらでいいから戻っておいで」と優しく声をかけてくれました. この一言がなかったから確実に入部してなかったでしょう.

入部したものの, とにかくポンコツすぎで, 他の部員には本当に迷惑をかけましたし, 何度も『やっぱ僕には無理だ』と思い続けていました. ですが, 1年経って自分の武器を見つけ, それを活かすようにプレイをし続けていくと, 先輩方との関係もちょっとずつ改善され, 少しづつですが部活を楽しめるようになっていきました.

最終的にはスタメンに選ばれ, 試合に出させてもらえるようになりました. 最後の試合は人生最初で最後のファイブファウル退場, 非常に悲しくて涙したが, それも今となっては良き想い出です.

1.2 いろんなタイプがいた(と思う)友人関係

割といろんなタイプの人と関わっていたのかなと思います. 陽キャからインキャまで, どのタイプの人とも大体は話ができていました. 関わりが広い分, ストレスを感じることも少なくはなかったです. 一方で, 深く関わっていた友人はごくわずかでした. 

1.3 性格を180°変えた人生初の受験勉強

友達が書いてくれたメッセージ. これまた懐かしい. 元気にしているだろうか.

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詳しくは以下のnoteに当時の自分に想いを馳せながら, 受験勉強の物語を綴っています. ここではかるく触れておく程度に止めておきます.

前述した通り, 高校を卒業してまた勉強する意味がわからず, 勉強から逃れるために就職を希望していました. そんな僕が受験勉強に足を踏み入れるきっかけとなったのはある番組を見てのことでした. それから海外, 英語に興味を持ち, とある私立の文学部に進学することを目指しました. 高体連や学校祭などがありましたから, 受験勉強を始めたのは高3の夏から. センター模試の英語78点から受験勉強を始めました. 結果は合格最低点数より30点も足りずに余裕で不合格でしたが, のちに落ちるべくして落ちたのかもしれないと思えるようになりました. 

2. ピュア大学生だったパー蔵

これは僕が1年生の時にインターン生として活動していた, とある学生団体のメンバーと花火をした時の写真. みんな元気にしているだろうか.

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新しい世界, 新しい出逢い, 何もかもが新しく新鮮だった大学という場所は, 僕の純粋な心にとても強い刺激を与えてくれました.

入学当初は, その新鮮さに心躍らせ, 部活しかやってこなかった人生の中で, 初めて学生団体に所属し, たくさんの尊敬できる先輩に出逢い, 数え切れないほどの学びを得てきました. ちなみにアメフト部に4月入部していたのだが, 1ヶ月もせずにすぐに辞めて正解でした笑 

2.1 大好きだった国際交流

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日本から一度も出たことがない僕にとって, 海外の人と交流をしたことは, 僕の価値観を大きく変えてくれた一つの大きな出来事となりました. まして, 高校生の時に人生で一度たりとも使うことのないであろう英語を使って, 自分が国際交流をするなんて, 夢にも思いませんでした. それからというもの, 国際交流の魅力に感動し, どっぷりとのめり込んでしまいました. 人生何が起こりきっかけとなるか, 本当にわからないものですね. 

以下のnoteにて, 国際交流をしていく中で, 僕が何を感じ, どのように成長していたのかということを, 当時の自分に思いを馳せながら詳細に綴っています. 

2.2 派遣留学に全てを捧げた休学生活

大学生活も, 全ては派遣留学をするために, 学生団体に所属し, 国際交流をし, 色々な先輩と繋がっていました. 実は特別に休学しなくても, 毎日英語学習をし続けていたため, 学校さえ選ばなければ派遣留学にいけるだけの英語力はありました. ですが, 僕はただアメリカに行って英語力を身につけて終わる留学より, 英語を通じて福祉や平和, 国際関係などを学びたいと思っていたため, ESL(English as a Second Language)という非ネイティブのための英語の授業コースのない大学を選びました. ですから, 派遣校の中で最も選考基準の高い大学を目指すことになり, そのためにはかなりの英語学習時間を作る必要があると考えました. そのため, 2年生の後期から1年間休学をすることにしました. 

TOEFL ITP450点から550点まで(TOEICに換算すると450点から700~800点), 1年間で上げなければいけませんでした. 誰も教えてくれる人はいない. アドバイスを受けた後は全部自分次第. そんな自己責任100%の休学生活で,非常に苦しい思いをしましたが, 見事目標点数を突破することができました. 時間の管理から毎日の勉強内容まで, 全て自己管理せざるを得ない状況で, 目標を達成できたことは, 僕自身にとって大きな経験となりました. ちなみに英会話塾やオンライン英会話レッスンなどは一切使わず, 最後のチャンスの試験1ヶ月前には, 友人との交流すらもほぼ全て断り, 試験対策に明け暮れていました. そんな生活状況の中, どうモチベーションを維持し, 自己管理を徹底し, 結果を出す勉強法を実施していたのか, ということについて, 以下のnoteにまとめてあります. 

2.3 コロナで入学案内は来たが辞退した派遣留学

この通知が来た時の喜びは, 一生忘れることがないでしょう.

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書類選考と英語での面接を終えて, 数ヶ月後, 家にこの紙が郵送されてきました. 人生で初めて勉強したことが, 目に見える形で望んだ結果に結びつき, ようやく自分の英語力ややり抜く力などに, 多少の自信を持てるようになりました. 

ですが, みなさんご存知新型コロナウイルスによって, 状況が一変し, 両親と何度も電話をした結果, 学校側からの判断を待つことなく辞退することにしました. 何年かぶりに親と話しながら涙を流しました.『努力しても, 結果を出しても, 報われない人は報われないんだ』『僕は神様に海外に出るなと言われているのだろうか』そう思うようになりました. さらには, 僕自身自覚はなかったものの, 友人曰く, 毎日ちょっと間があれば『どうせ留学いけないんだから何したって無駄無駄』などということをすぐ口にしていたそうです. こんな思いはもう僕だけで十分, こんな苦しい気持ちをしている人を誰もみたくはありません. 以下のnoteにて, その時の心境などを, "With & After コロナのパー蔵"の内容を含めて, 赤裸々に語っています. ここで述べているのはその一部です.

3. With & After コロナのパー蔵

引用イラスト入り秋木の葉Facebookカバー (3)

Withコロナの時代を生き抜きながら, 我々はNew Normal(新しい日常)を受け入れ, 新たな規範意識のもとに人生を歩んでいかなければならない.
元に戻ることもできるかもしれないが, 戻れる保証はどこにもない. 

コロナに出逢えて良かった

もちろんこれは結果論であり, 4,5月の時の僕がこの言葉を聞いたらどうなることかは容易に想像がつきます. おそらく何かしらのアレルギー反応を引き起こしていたでしょう. 

今こうして現状と向き合い, 大学院進学を考え始め, 働くことも視野に入れ, さまざまな可能性に目を向けられるようになったのは, 友人や先輩や先生, そして家族, たくさんの周りの人々のおかげであります. 改めて, この場を借りてお礼を申し上げたいと思います. 

僕が学部生のうちに留学できる機会は, 3年次の秋期派遣留学が最初で最後でした. ですから, もう大学生として留学をすることはこの先ないでしょう. 

どれだけ『やだ僕は何がなんでも留学するんだ』『きっと時間が経てば海外にすぐ行けるようになるさ』『こうすれば絶対留学できる』などと考えたところで, 現実は"留学できない世界"であり, それに嘘偽りは一切ありません. 現実の世界は夢ではありませんから, 決して変えることのできないものです. いつまでも夢の世界に居眠り続けていたところで, いつかは目を醒さなければいけません. もちろんすでに海外にいけている人も周りにいます. ですが, 自分が留学にいけないという事実だけは変わらない真理です. 

前節で紹介しているnoteに, 詳細を綴っておりますが, ここでも一つ, この記事の最後にお伝えしたいことがあります. 

海外という環境にアクセスできなくなった時,
あなたには何が残っていますか?

もし何も残っていないのであれば, もう一度考え直してみるのも一つの現状打破の方法なのかなとも思います.

僕自身, このような偉そうなことをづらづらと書き連ねていますが, まだまだ足りない部分が山ほどあります.

この記事を最後まで読んでくれた方と共に, どんな姿になっていようと, いつまでも若々しく, 学び続けられる大人で在りたい. 


まだまだ未熟者ですが, どうか温かい目で見守っていただけると幸いです.


パー蔵

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※これは成人式の時の写真です. 懐かしいものですね, これがもう2年前になるとは. みんな元気にしているだろうか.


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