「何でもできる超人」だらけに見える世界の中で、「何もできない赤子」でいること

朝、目が覚めて、スマホを見れば世界は「こんなことをしました」「こんなことをしました」の嵐。

周りを見れば、結婚をしました、ないしはパートナーとこんな楽しい日々を送れていて感謝です!悩みはありつつも解決してきました!お金もタフネスもあります!、という状態の共有。


一方で、インターネットやTVで流れるニュースは、失業、犯罪、孤独、精神的な苦しさ、貧困…それらを「哀れみ」のような目で見るような。

「こうならないように」と、「上」を目指して頑張ろうと煽るビジネス。


まるで「もろさ」「弱さ」を抱えたらこうなるよ、そうならないように、不足を持たないように頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう…という永遠に続くようならせん階段のような社会。不安の塊を内側に呼び起こす社会。


不安を、恐れを、弱さを、それだけではなく、喜びを、笑いを、そういった生身の感情をさらけ出すことが非常に難しくなっている。


生身をさらけ出すことによって批判を受けたり、他者との比較による馬鹿にされることを恐れたりといったことがとても起こりやすくなっている。


「こうならないとダメだ」という価値観の押しつけ、そこから外れた生身のむき出しに対する「批判」や「軽蔑」。


そうして無力感を植え付けられ、俺たちは息を潜めて生きていく。そして、自分だけで処理していける範囲の、リスクのない「まし」な人生を選択していくのだ。


対抗策は「無力さ」「できないこと」「生身の感情」を、根拠もなくさらけ出す「勇気」を持つこと。なんて難しいのだろう。


俺はそんな「勇気」を持てるように、自分を応援しようと思う。「赤子」でいる。「まし」をぶっ壊そう。

スラムダンクで、桜木花道が

「おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!!シロートだからよ!!」と言う。まさしく「赤子」だと思う。


「シロート」であることを隠さず生きたい。



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