『ケンゴウ』と『ケンゴウ』中編【小説】
『拳豪』は、対峙した男の構えをじっと見やる。
長年伸びるに任せていたような、ボサボサ髪の隙間から覗く眼光は鋭く、
隙がない。
藍染の道着の下に黒の袴で膝の動きを隠し、掌は軽く開き重心が僅かに前方にかかっている事から、打撃よりも組んでの闘いを得意とする柔術家なのだろうと当たりをつける。
対する拳豪は、右拳右足を前になるサウスポースタイル。打撃が出しやすく、相手の攻撃からは離れやすいよう重心は僅かに後方にかけている。
男はピタリと止まっているように見えて少しづつ、呼吸を読みながら『剣豪』を中心に、じりじりと時計回りに動いていた。相手の打撃し辛い方向に回り込む、定石の戦法だ。
対する拳豪は男が正面に来るように、男の動きに合わせ左足を軸に向きを変えながら、相手の瞳と呼吸に神経を集中する。
長い静寂。両者の間に滞留する闘気だけがジワジワと膨れ上がっていく。
周り一面、何もない野原で対峙する二人を巻き込むように、突如、一陣の風が吹き抜ける。その刹那! 男は呼吸を止めて地面を蹴り拳豪との間合いを一気に詰めると、一瞬で身体を沈め拳豪の足を刈ろうと両腕を伸ばした。
それを読んでいた『拳豪』は、男の動きに合わせて身体を捻りながら右足を引くと、回転する勢いのまま男の顔面に左膝を叩き込んだ。
男は、まともに喰らった膝蹴りの衝撃に意識を刈り取られ、タックルの姿勢のまま前のめりに崩れ落ちる。
そして、そのまま『強制ログアウト』した彼のアバターは、散り散りに分解され、風に乗って『アストロノーツ』からその姿を消した。
その場に、拳豪一人を残して。
あの日、『ヴィスパー』の誘いに乗る形で、原 一成(はら いっせい)は、ヘッドマウント式デバイスを装着し『アストロノーツ』へとログインした。
そこに待ち構えていたのは『ヴィスパー』ではなく、この世界の説明をしてくれた門下生――いや、一成が門下生だと思い込んでいた青年だった。いや、『青年』ではなかった。
「お待ちしてたっス」
「お前……女だったのか」
現実世界で、確かに青年だったハズの『彼』は、ショートカットの上にチェックのハンチング帽を目深に被り、体にピッタリと張り付くような、いわゆるピタTの上からデニム生地のショートパンツをサスペンダーで吊り上げ、素足にハイソックスという出で立ちだった。体に張り付くTシャツには、小さいながらも二つの膨らみが浮き出ている。どこから見ても完全な女性、いや、少女だった。
「そうッスね。今日『は』女子っス」
ことさら『は』を強調して言われ、ここが現実世界でないことを、一成は思い出した。
「イヤイヤ、別にオネエとかじゃないっスよ。自分、アバターは沢山持ってるんで、その日の気分で色々取り替えてるんスよ」
一成の表情から考えを読み取った彼女?は、先回りで否定すると、コホンとひとつ咳をしてみせる。
「改めまして、自分の名前は『ヒートヘイズ』、あなたがコッチの世界に慣れるまでの案内役ッス」
ヒートヘイズ、陽炎。正体不明で掴みどころのない彼女? にはピッタリの名前だと一成は思った。
「でもって、あなたのコッチでの名前は『拳豪』ッス。ピッタリでしょ?」
『拳豪』は、アメリカ時代、一成につけられたニックネームだ。
「別に、呼び名はなんでも構わんさ」
「そうっスか、それを聞いて安心したっス。で、アバターもコッチで勝手に決めちゃったんスけど、それで大丈夫っスか……って自分じゃ見えないっスよね。ちょいと失礼」
ヒートヘイズは、トトト…と小走りに一成の横にくると、
「目の前辺りを指でタップする真似をして欲しいっス」
と言う。
一成が言われた通りにすると、目の前に半透明のモニターのようなものが開き、そこには、対戦ゲームのステータス画面らしき表示がされていた。
「文字の横でクルクル回ってる画像、それが拳豪さんの今のアバターっス」
両目以外の全てを覆い尽くす、フルフェイスのヘルメットのようなマスク。
後頭部には、後ろで髪を束ねている一成を模したのか、細いパイプ状の部品が束ねられて垂れ下がっている。
ボディーや手足は、筋肉のようなアーマーで覆い尽くされ、関節部や継ぎ目の部分はメッシュ状になっている。確認のため視線を身体に向けると、確かに画面に表示されているのと同じアーマーが見えた。
まるで、アニメの主人公のような出で立ちだった。
イラストby 冨園 ハルクさん
「アッハー、超強そうっスよね。でも、まだ設定前の初期値なんで、ただのハリボテ状態なんスよ。うーん、リアル世界で言うと、裸に道着を着てる感じっスね」
そう言いながら、背伸びをして一成のモニターを覗き込むヒートヘイズ。
「それで、横の『防御』とか『攻撃』って書いてある下に、バーがあるっスよね? それを指で動かすと、それぞれの値が上がるんス」
「いや、このままでいい」
自分には、鍛え上げた肉体と技術がある。それだけで十分だ。
「そうッスか。じゃぁ、もう一度タップすれば、設定画面は消えるッス。もし、設定を変えたい時は、今の手順で出来るッスから」
まるで、一成……いや、拳豪の答えを予期していたように、ヒートヘイズはあっさり引き下がる。
「それよりも、俺が知りたいことは二つ。『圧倒的 理不尽』の目的と、対戦相手の見つけ方だ」
『圧倒的 理不尽』(あっとうてき りふじん) 一成をここ『アストロノーツ』に招待した謎の男である。
ヒートヘイズは、やはり一成の質問を見透かしていたように、そうっスねーと応える。
「まず一つ目、『圧倒的 理不尽』に目的はないっス。いや、もちろん彼自身の目的はあるんスけど、今の質問は『拳豪さんを『アストロノーツ』に招待した目的』って意味っスよね?」
小首をかしげて同意を求めるヒートヘイズに、拳豪は頷く。
「だったら、この『アストロノーツ』の世界で、拳豪さんは好きなように暴れてくれれば、それでいいんス。それ自体が彼の目的っちゃあ目的っスかねー。――それじゃぁ、納得いかないっスか?」
そう言って、拳豪の瞳を見つめるヒートヘイズ。ずっと見ていると吸い込まれそうになるその暗い瞳から、それまでのチャラケた色は消えていた。
「つまり、余計な詮索はするな。ということか」
「アッハー、さすが拳豪さん、飲み込みが早くて助かるっス。それで、二つ目の質問っスけど」
あっという間に、もとのチャラケた空気に戻ったヒートヘイズは、そう言うと両手を広げた。
「ここが、武道家の皆さんが『野試合』に使う場所っス」
そこに、あるのは立ち枯れた細い木が一本だけ。あとは見渡す限り何もない、ただの野原である。
「ここが?」
「そうっス。如何にもって感じで雰囲気あるっスよねー」
確かに、言われてみれば昔の映画で決闘に使われていたようなロケーションだった。
「それで、この木がっスね――」
トコトコ小走りに枯れ木に近づいていくヒートヘイズ。拳豪も続く。
ヒートヘイズが、その細い指で枯れ木を二回タップすると、乾いた木肌に無数の張り紙が現れた。その枚数の多さに、拳豪は目を見張った。
張り紙をみると、それぞれに時間と待ち合わせ場所が書かれている。
「この中から適当に選んで張り紙を剥がすと、相手に既読の通知が行くっていう仕組みなんス。で、張り紙を剥がしたほうが、待ち合わせ場所で相手を確認して、立ち合う気になったら声をかけるわけっス」
「相手の顔が分からんだろ」
「待ち合わせ場所に行くと、相手の上に矢印が出るっスから、それで分かるっスよ」
「立ち合う気にならない時は?」
「その紙を破って捨てれば、相手にその旨の通知が行くっス。で、破った紙はこの木に戻ってくるんスよ」
「他の奴らがココを『使ってる』時は? 終わるまで待つのか?」
それまで、スラスラと答えていたヒートヘイズが、あー……と頭を掻いた。
「ちょっと説明が難しいんスけど、ここって、ただの原っぱのようで実は
『多層構造空間』になってるんスよねー。うーん…と、これと同じ場所が実はいくつもあって、立合いの時はそれぞれの部屋に自動的に割り振られるっていうか…」
「つまり、他の誰にも会うことなく、待ち時間なしで、必ず立ち合えるって事か」
「そうっス、そうっス。いやー拳豪さん、ホント理解が早くて助かるっス。
というわけで、あとは実践あるのみっス。それじゃまた、何かあれば呼んでくださいっス」
そう言って、ヒートヘイズは剣豪に背を向け歩き出したが、数歩歩いたところで足を止め振り返った。
「そうそう、大事な事を言い忘れてたっス――」
一人残された拳豪は、ヒートヘイズの言葉を頭の中で反芻(はんすう)していた。
曰く、『圧倒的 理不尽』及び、彼に招待された者は皆、不法アクセス者である。なので、『アストロノーツ』にプラグインしていること自体が違法で、ヒーローヒロイン、もしくは『アストロノーツ』の守護者的存在であるヴィジランテに、常に追われる身であること。
「あと、道場で話した『痛み』の話を覚えてるっスか?」
「一定以上の痛みは緩和されるっていうアレか?」
「そうっス。ただ、アレって『正規ユーザー』の為のプログラムなんス。で、自分らってプログラム的にはバグ扱いなんで、痛覚緩和プログラムは働かないんスよ」
そして、ある筈のないバグと闘う正規ユーザーも『バグ』とみなされ、緩和プログラムが働かなくなるのだ――と、ヒートヘイズは言った。
「それは、現実と同じで、死ぬ可能性があるってことか」
「イヤイヤ、死にはしないっス。あくまで『アストロ廃人』になるだけっスよ」
ヒートヘイズは笑ったが、回復の見込みがないなら、それは死と同義だ。
「これで、伝えることは本当に全部っス。では、あとはご自由に楽しんじゃってくださいっスー」
そう言って、ヒートヘイズはその名の通り、剣豪の目の前からフワリと消えた。
いや、ログアウトしたのだろう。
あの時、『ヴィスパー』と名乗る女が言った言葉を思い出す。
飢えたまま人として死ぬか、飢えを満たし鬼として生きるか。
『鬼』という単語が引っかかってはいたが、つまりは『こういう事』だったらしい。
しかし、ここ『アストロノーツ』に来た時点で、拳豪の腹は既に決まっていた。
俺は、鬼として生きる――。
目の前の枯れ木に無数に貼られた紙から一枚を適当に選ぶと、
『彼』は、迷うことなく剥がした。
拳豪の頭の中で、『アストロノーツ』デビュー戦のゴングが鳴った。
続く
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あれー? 前後編で終わらせようと思ったのに、終わらない。
あと、『原っぱ』の説明が、なんか出会い系サイトみたいに…。
*ハルクさんが、『拳豪』のイラストを使っていいよと言ってくださったので、遠慮なく使わせていただきました。
ハルクさんオリジナルの『拳豪』のイラストは↓
『アストロノーツ・アナザーアース』 基本設定&キャラクター図鑑
https://note.mu/haruku/n/n0fee70dbebb5?magazine_key=mf29884b1aa42
・アストロノーツ・アナザーアース (マガジン)
https://note.mu/haruku/m/ma0c3857e0e43
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