落語の話

六代目三遊亭 圓生の「死神」

#落語

ぷらすです、こんばんは。

古典落語の噺の中に「死神」という演目があります。
これはあえてジャンル分けするなら「怪談噺」になるんだと思いますが、その出自も演出もちょっと異色な演目だったりします。
この「死神」、幕末期から明治期にかけて活躍した初代 三遊亭圓朝という人が、ヨーロッパの死神説話を元に創作した噺だそうで、元になった物語は、グリム童話の『死神の名付け親』もしくは、オペラ『クリスピーノと死神』だと言われています。

そのストーリーはというと、
貧乏な上に甲斐性もないので、いつも奥さんに責められている男が主人公で、その日も借金の申し込みに行ったけれど上手くいかず、奥さんに家を追い出されてしまいます。

すっかり生きているのが嫌になってしまった男が死ぬ算段を考えていると、ガリガリに痩せた老人の姿の死神が現れて「お前を助けてやろう、お前医者をやれ」という。
死神が言うには、「病に伏した病人には必ず一人死神が憑いている。その死神が枕元に座っていたら、その患者は寿命なので助からないけれど、死神が足元にいるうちは、まだしばらくは大丈夫だから、自分の教えた呪文を唱えると死神は憑いていられなくなって去り、患者は助かるのだ」と。

死神の言うとおりに、板切れに書いた医者の看板を家の前に出しておくと、一時間もしないうちに最初の依頼がきます。
男が患者のもとに行ってみると、患者の足元に死神が座っている。
そこで男が、教えられた呪文を唱えて手を二つ打つと、死神はたちまち消えてしまい、それまで苦しんでいた患者が、あっという間に元気になりました。

この一件が評判になり、男のもとには山のように依頼が舞い込みます。
どんな重症の患者でも、足元にいれば男の呪文で死神は退散し患者は元気になる。逆に、たまさか死神が患者の枕元にいるときは「この患者は寿命だから何をしても助かりません」と、男が敷居を跨ぐか跨がないかのうちに患者はコロっと死んでしまうので、あの先生は人の寿命の見極めができる名医だと、評判が評判を呼んで、たちまち男は大金持ちに。
こうなると、口うるさい奥さんなんかいらないと、子供と奥さんに金を渡して離婚して若い愛人を囲うようになる。

そんなある日、愛人が旅行に行きたいと言います。
男は十分な金を手に入れていたので、その金と自分の屋敷を売った金を持って、西のほうに旅行に行き贅沢三昧。
あれよあれよという間に一文無しになり、金の切れ目が縁の切れ目で愛人にも逃げられて、一人江戸に帰ってきます。

それでもまた医者をやれば、すぐさま大金持ちになると思っていた男ですが、看板を出しても中々依頼が来ない。
たまに依頼が来ても、死神はみんな枕元にいるから謝礼も貰えない。

いよいよ男が困っていると、大店の使用人が男を訪ねてきます。
しかし、行っているとまた死神は枕元に座っている。
男は、患者はもう寿命ですと言うけれど、患者の奥さんは何とかしてほしい。十日でいいから寿命を延ばしてくれたら一万両支払うと言う。
なんとか一万両欲しい男は、はたと名案を思いつきます。

店の使用人で力のある若者を四人用意して欲しい。
そして自分が合図をしたら、一気に布団を持ち上げて180度回転させてくれと頼み、機会を待ちます。
夜の間は、目を爛々と光らせていた死神ですが、やがて朝になると疲れて居眠りを始める。それを見た男の「今だ!」という合図で、四人の男が一斉に布団を持ち上げて患者をくるりと回転させる。
男がすかさず呪文を唱えて手を二回打つと、死神は堪らずその場から消えて患者はたちまち元気になり、男は一万両を手に入れます。

その金で一杯やって上機嫌な男のもとに、呪文の話を教えてくれた死神が現れます。その大店の死神は自分で「お前のせいで俺はひどい目にあった」と。
死神は、男についてくるように言い、暗い洞穴の中に入っていきます。
洞穴を進み広い場所に出ると、そこには一面火の灯った長短のロウソク。
死神によれば、これは全部人の寿命だという。
男が、「この長いロウソクは?」と聞くと、「それはお前のせがれだ」と死神。
「じゃぁ隣の中ぐらいのロウソクは?」「お前の元の女房だ」「じゃぁ、この今にも燃え尽きそうなロウソクは?」「それはお前の寿命だ」「この火が燃え尽きたらどうなる?」「……死ぬよ」と。

「お前は、金に目がくらんで自分の寿命と患者の寿命を取り替えてしまったのだ」と死神。
男が、金は全部やるからなんとかしてくれと懇願すると、死神は中ぐらいの燃えさしを男に渡し、その燃えつきそうなロウソクから消すことなく火を移せれば命は助かると言います。

男は手渡されたロウソクに火を移そうとしますが、手が震えて中々火を移すことが出来ない。その様子を面白がるように死神は、
「ほら、消えるよ」「死ぬよ」「消えるよ」「消えるよ」
………「消えた」

と、ここで落語家さんがそのまま前に倒れ込んで噺は終わります。
落語家さんが倒れ込むのに合わせて電気を消して、暗転にするという演出をすることもあるようです。なんていうか、非常にドラマ的な噺なんですよね。

で、この「死神」色んな噺家さんが演っているし、バリエーションも結構あるようで、お正月や縁起の絡む高座では、バタンと倒れたあとにむくっと起き上がり「おめでとうございます」と終わるバージョン。
成功するけど自分のクシャミでロウソクの火を消して結局死んじゃうバージョン。
成功して外に出るともう明るい。そこで死神に「ロウソクがもったいないから火を消したらどうだ」と言われ、それもそうだと自分で吹き消して死んじゃうバージョン。
失敗するものの生きていて、「ああ、生きてる」と安心したら実は死んでいたというバージョン。(その後、男は死神になる)などなど。
中でも一番ひどいのは談志さんの、男がロウソクの火を移すことに成功して「やった!」と喜んだ瞬間、死神が吹き消しちゃうというバージョンですかね。(笑)

とまぁ、色んな噺家さんが色んなバージョンでこの「死神」を演っているわけですが、僕が一番好きなのが、六代目の三遊亭 圓生さんの「死神」です。

この人は、古今亭志ん生さんと並び「昭和の名人」と言われた人で、細身で長身、ちょっと神経質そうな顔立ちで、実際気難しい一面もあったようですが、人情噺、滑稽噺、音曲噺、芝居噺、怪談噺まで、どんな噺でも演じ分けるオールマイティーな噺家さんだったそうで、雲田 はるこさんの「昭和元禄 落語心中」というマンガに登場する「八代目 有楽亭八雲」のモデルではないかと言われている人でもあります。(ちなみに、「二代目 有楽亭助六」のモデルは、古今亭志ん生さんじゃないかと言われてるようです)

「死神」という噺のキモは多分、男が自分のロウソクが燃え尽きる寸前だと知った後、死神が本性を現して男を追い詰めていくところだと思うんですが、その落差を出すためか、それまでの死神はわりと飄々として人の良さそうな感じに演じられる事が多いんですね。
でも、圓生さんの死神は、最初から威厳があるというか、あまり軽くなりすぎないよう、ゆっくりと低い声で喋っているように思います。全体的に振り幅が小さいので、キャラがブレてないっていうんでしょうか。(その分、男の振り幅を大きくして、怖さを表現してる感じ)

また、僕が観たのが晩年の圓生さんだったからかもしれませんが、噺に余計なオカズをつけずに、むしろ無駄な部分を削ぎ落としているような印象も受けました。

もちろん、他の噺家さんの「死神」も怖いんですが、僕が知っている中で一番は?と聞かれると、ダントツで圓生さんなのです。



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