ある老画家の日々(前編) 【小説】
「日本画壇の重鎮、利知 桃吉(りしり ももきち)は当年八十九歳。江戸時代から続く老舗の呉服屋の次男として、東京都日本橋で産声を上げた――」
42型のTV画面から、男性ナレーターの渋い声が流れるのを、桃吉は十三人目の妻と二人、イタリアから取り寄せた高級ソファーで聞いていた。
「幼少期より体が弱く、外で遊ぶことの出来なかった利知の遊びは、もっぱら絵を描くこと。動物、植物、人物など自室から見える風景を描き続け、その実力に誰もが感嘆し、近所では神童と呼ばれていた。
特に、彼の美人画は『まるで、生きているよう』と評されるほどで、鮮やかな色彩の中に柔らかな色香を漂わせた女性像は、とても十歳にも満たない子供が描いたとは思えない出来だったという」
「まぁ、モモちゃんたら、この頃から女好きだったのね」
画面に映し出された桃吉九歳の作品を眺めながら、妻が呆れたように言う。
「そうではないよ。ただ、目に見える物の中で一番美しかった物を描いておったのさ」
桃吉の返しに、若妻はニヤニヤと桃吉を眺めながら、ただ、「へー」と返した。
「そんな息子の素質を伸ばそうと、父の桃次郎が桃吉を美人画の大家、縦山 小兼(たてやま しょうけん)に弟子入りさせると、桃吉はメキメキと頭角を現し、弟子入りから僅か二年で日本画壇にその名を連ねる画家の一人となった。
その一方で、私生活では女性関係のスキャンダルが後を絶たず、十二回の結婚、離婚を繰り返し、昨年、六十七歳年下で十三人の妻と結婚、都内の邸宅に二人で暮らしている」
「あら、こんなことまで言っちゃうのね」
「なに、みんな知ってる事だ。別にかまわんよ」
桃吉がそう言うと、若妻はそれもそうかと納得した。
「目まぐるしく変わる激動の時代の中、常に第一線で活躍し続け、世界にもその名を知られた日本画の大家、利知 桃吉。八十九歳を迎えた現在もその創作意欲は衰える事を知らない」
仕事場に向かう桃吉の後ろ姿が映し出された画面に、ナレーターの声が被る。
そして、画面は桃吉のアップに変わり、画面下に白字でクエスチョンが出る。
『あなたにとって、仕事とは』
画面の桃吉はしばしの沈黙のあと
「ただ、自分が美しいと感じたモノを、生涯かけて描き続ける事です」
と答え、人気歌手の歌に合わせて番組はエンディングを迎えた。
「いやん、モモちゃん、カッコイイ♡」
二十二歳の妻は、うっとりした顔で両腕を桃吉の首に回し、耳元でそっと呟く。桃吉の体にDカップの豊満な膨らみが押し付けられる。
「これこれ、儂はこれから仕事なんじゃから、『ソレ』は後のお楽しみじゃ」
その左手でちゃっかり若妻の尻を揉みながら、桃吉はそう告げるとソファーから立ち上がる。
「それじゃぁ儂は仕事場に行くが、分かっておるな?」
「分かってます。『集中が切れるから、決して仕事場に来てはいけない』でしょ」
他のことは全て好きにさせている桃吉が、唯一、妻に課している約束がソレだった。まるで昔話『鶴の恩返し』のようだと妻は笑う。
「お仕事のあと、素敵な『恩返し』をお待ちしてます♡」
小首を傾げ、大きな瞳でウインクする妻に桃吉は満足気に頷き、行ってくるよと、その瑞々しい頬に口づけをして邸宅の敷地内にある離れの仕事場に向かった。
仕事場に入ると桃吉は早速、PCの電源を入れた。
離れの部屋は二間に分かれている。手前に三十帖の仕事場と奥に十帖のPC部屋だ。
若い頃から新しい物好きだった桃吉はかなりの家電マニアでもあり、TV、オーディオ、ビデオ、DVDにブルーレイレコーダー、そしてPCと、最新の家電が発売されるたび買い換え、使いこなす。
また、ネットがまだパソコン通信と呼ばれていた頃からのユーザーでもあり、その発展の様子をリアルタイムで見続けてきた、いわば生き字引でもある。
もっとも、同時にネットの影の部分も知る桃吉は、自身の社会的立場もあり、もっぱら『ロム専』を決め込んでいたのだが。
そんな桃吉だから『アストロノーツ』の事は、まだβ版の頃から知ってはいた。
ヒーローと悪役に別れ、己の想像力を武器に戦うことで創作意欲を高める異色のSNSの存在は、年々創作意欲の衰えていく桃吉にとって、実に興味深いものであったが、身バレの不安からずっと手を出せずにいた。
そんなある日、桃吉のメーリングソフトに、差出人不明の一通のメールだ届いた。
タイトル欄に「招待状」と書かれたそのメールを、桃吉は単なるスパムメールとして一度は消去しようとしたが、しかし、何か引っかかるモノを感じ、開いてみた。
そこには、件のSNSに桃吉を招待すること、またログインに際し登録は不要であるということ、『ある条件』と引き換えに、桃吉の個人情報が決して表に出ることはないので安心して欲しいということが記されていた。
その条件とは、
『一切の常識を捨て、貴方の欲望のままに暴れて欲しい』
それだけだった。
(やはり、ただのスパムだったか)
桃吉はそう思った。
常識的に考えて、これほどあからさまに怪しい文面のメールを信じるほうがどうかしている。
が、それから二日後。
桃吉のもとに宅急便から荷物が届いた。
有名通販サイトのダンボールを開けると、そこにはヘッドマウント式のデバイスが一つ。
それを被ってログインすれば、アバターを通してまるでリアル世界と同様にネットゲームやSNSで動き回れるという最近出回っているタイプのデバイスで、『アストロノーツ』へログインする時も、このデバイスを使用する事を桃吉は知っていた。
そして、箱の中には一通の手紙が同封されていた。
『貴方の欲望の扉を開く鍵を送る。』
A4の紙の真ん中に、たった一行そう記された手紙の下には、同様のフォントで『圧倒的理不尽』とタイプされていた。恐らくは差出人の名前なのだろう。
そう言えば、先日『アストロノーツ』がある集団に襲撃され多大な被害を被ったというニュースをTVで見た事を、桃吉は思い出した。
そのリーダーと思しき男が名乗った名前が、確かこの差出人と同じ名前ではなかったか。
一瞬、頭に浮かんだ小さな『欲望』を桃吉はすぐに打ち消した。
少なくとも、米寿を超え、社会的地位もある男が考えるべきことではない。
それから数日の間、桃吉はデバイスのことも、メールや手紙のことも忘れ、普段通りの生活をしていた。いや、しようとしていた。
しかし、仕事をしていても、若い妻と一緒にいても、食事を、入浴、展覧会……。
あの、メールと手紙に書かれた『欲望』の文字が、どうしても頭から離れない。
十二回の結婚と離婚を繰り返し、その間にも数々の女と浮世を流してきた。
人並外れた、女体への欲求。
それこそが、桃吉の描く美人画のガソリンであった。
しかし、年齢を重ねるごとにその欲求は減退していく。ガソリンがなくなれば自分はもう、絵を描くことが出来ない。
いや、そんなことは最早どうでもいい。
十分な財産もある。創作などしなくても死ぬまで不自由する事もない。
だが。
このままでは、オスでなくなる。
桃吉は何よりそれが、恐ろしかった。
それは、生物としての根源的な恐怖なのかもしれない。
オスとしての機能を失えば、自分は生物として終わりを迎える。
枯れかけの草木のように、後はただ緩やかに死を待つだけだ。
そんなのは耐えられない!
自分はまだ終わっていない!
そうして、利知 桃吉は、ヴィラン「お下劣男爵 チチモミ・パンティーラ」となった。
こんな事が世間にバレれば、社会的地位を失うだろう。
だが、老い先短い身。今更、地位も名誉も必要ない。
そんなものは、どうせあの世まで持ってはいけないのだから。
離れの次の間に置かれたソファーに深く腰掛け、桃吉はすっかり禿げ上がった頭にデバイスを装着する。
『このあと』のことに想いを馳せるだけで、激しい高揚感、多幸感、万能感が脳内に張り巡らされたシナプスを駆け巡る。
桃吉はデバイスのスイッチをゆっくり押す。グンっと、大きな力に自分が引き込まれるような感覚。目の前に規則正しく並んだ1と0の長いトンネルが迫り、あっという間に光の速さで後方へ流れていく。
このトンネルを抜けた時、利知 桃吉は「パンティーラ」に変身する。
さぁ、今日はどんな可愛子ちゃんのはしたない格好や変顔になった一瞬を激写しUPしてやろうか。羞恥に赤らむ顔はワシへの何よりのご馳走。
待っておれよ、ワシのカワイイ子猫ちゃんたち。
いざ行かん、この世のパラダイスへ!
「ぱぁいぱあぁぁーい!」
続く
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……なんだこれw
・『アストロノーツ・アナザーアース』基本設定&キャラクター図鑑
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