落語の話

「テキスト落語」文七元結

 一、

 江戸時代の本庄だるま横丁に左官の長平衛という、大変腕のいい職人さんがおりました。

 しかし、千里走る馬には何かクセがあるもので。
「飲む、買う、打つ」の三道楽。
 中でも一番いけないのが、博打でございます。

 悪い仲間に誘われて、ちょいと遊びのつもりで手を出したつもりがすっかりクセになってしまい長兵衛、三年この方仕事をしていない。
 それでも勝てばいいけれど、負けが込むと仕事の道具箱を質に入れ、それでも勝てないと箪笥をひっくり返して女房や娘の着物を質に入れる。
 挙句、それでも足りずに自分の来ている着物まで賭ける始末。
 そのうちに、いよいよ二進も三進も行かなくなった暮れの28日の晩。

 長平衛が家(ウチ)に帰ると、明かりも付けない部屋の中で、女房が一人しくしくと泣いている。
 どうしたんだと聞いてみると、今年十八になる「お久」という一人娘が昨夜から帰ってこない。
 方々探してみたけれど何処にも見当たらないので、こんな暮らしが嫌になって何処かで身投げでもしてるんじゃないかしらと、途方にくれて泣いているという。

「こんばんは」
 玄関のむこうから声がするので覗いてみると、仕事で世話になっている吉原の大店(おたな)佐野槌の番頭、藤助さんが立っている。何でしょうと話を聞くと、「女将さんが長平衛さんに話があるから来て欲しい」と言っているので、すぐに支度をして一緒に来て欲しいと言う。

「いやぁ…伺いてえのは山々なんですが、少し取り込み事があるんですよ」「その取り込み事ってのは、もしかして娘さんの事じゃ御座いませんか?」
 驚いた長平衛が、実はそう通りでと答えると藤助さん
「娘さんでしたら、昨晩から手前どもに参っております」
と言う。これに驚いた長平衛は、
「そうですか…。ええ、それじゃぁ支度して後から伺いますんで、藤助さんは先に行ってておくんなさい。へい、支度したらすぐ伺いますんで」
そう言って藤助を帰したあと、女房の方に振り返ります。

「おい、お久、佐野槌にいるってよ」
「あんた行ってきたらいいじゃないか」
「『行ってきたら』ったって、尻切れ半纏一つじゃ行けねえじゃねえか」
「仕方ないじゃない。あんたが着物全部質に入れちゃうんだもの」
 そう言われるとぐうの音も出ない長平衛、ふと女房の着物を見ます。

「おう、お前ぇの着物貸してくんねぇ」
「着物貸せって、あたしゃ何着てればいいのさ」
「お前ぇは腰巻の上に尻切れ半纏着て座ってりゃぁいいじゃねえか。どうせ家に居るんだから」
「座ってりゃぁいいたって、腰巻は洗っちゃってありゃしないわよ」
「お前ぇ、何でこんな時に洗うんだよぉ」
「なんでたって、こんな事になるとは思わないもの」
「…じゃぁ、そこの風呂敷を腰に巻いてろい」
「嫌だよぉ、これお紋が付いてるじゃない」
「いいじゃねえか『紋付風呂敷』だ。立派なもんじゃねえか」
「なに言ってんだいバカバカしい!」
 嫌がる女房から無理に着物を剥ぎ取ると、長平衛は佐野槌に向かいます。

 二、

「御免下さい」
 佐野槌についた長平衛が中に声を掛けると、
「こっちお入りよ長平衛さん」
と、奥から女将の声がする。
 言われた通り入ってみると、そこには女将が座って、お上がりよと言う。
「どうも、すっかりご無沙汰いたしまして。いえね、伺わなくちゃと思ってはいたんですが、どうにも忙しくって」
 本当はただ博打に明け暮れていただけだが、きまりが悪いので適当な事を言う長平衛、ふと目をやった部屋の角に、娘のお久を見つけます。
「あ! お久、 お前ぇ何だって黙って家を出ちゃうんだよ。おっかさん気違ぇのようになって騒いでたぞ。
それに何だよ大店に来るのにそのナリは。もっといい着物着てくりゃぁいいじゃねえか」

「子供に小言を言うのはおよしよ長平衛さん。あんただって人のこと言えるナリじゃないね」
「へ、へい…すいません」
「長平衛さん、最近あんた随分と稼いでるんだってね」
と女将。
「商売替えしたって言うじゃないか」
「いえ、あっしは左官屋ですよ?」
 嘘をお言いよと笑う女将。

「お前さん『屋根屋』になったっていうじゃないか。『めくってばかりいる』ってね」
博打三昧なのを見抜かれていた長平衛、決まりの悪さを笑ってごまかします。すると、女将は真剣な調子になり、
「実はね、お前さんを呼び出したのは他でもないんだけれども」
と、切り出します。

「昨夜の中引け頃(*1)だったね。入ってきたのがこの子だったよ。
おばさまご無沙汰しておりますって言うから、お前さんは? って聞いたら左官屋の長平衛の娘 お久ですと言う。
ああ、小さい時分によく、お父つぁんにお弁当を持って来てたね、今日はこんな遅くにどうしたんだいって聞いたら、この子がね、
『親の恥を晒すようではございますが、ウチのお父つぁんて人は三年この方仕事をしないで悪いことばかりしています。ウチん中も次第に左前になっておっ母さんとケンカばかり。
 この暮れにはどうにも遣り繰りがつかないから、お父つぁんとおっ母さんは夫婦別れをして、おっ母さんは何処か奉公に出て、お父つぁんは職人として、遠くに働きに出るという。
 あたしはそれを聞いて、子としてうっちゃってはおけませんから、お宅に駆け込んで参りました。
あたしの体を売ってこのお店でご奉公をさせて頂いて、そのお金をどうぞ、お父つぁんに渡して下さい』と、そう言うんだよ」
 女将は長平衛をじぃっと見ながら話を続けます。

「このぐらいの年頃はアレが欲しいのコレが欲しいのって、まだまだ親に甘えるものなのに、この子は形振りを構わないで、親のために自分の体を売ると、そう言うんだよ? 
え? どうすんだい、長平衛さん。しっかりおしよ!
 女将に叱られ長平衛は、すっかりシュンとしてしまいます。

「……スイヤセン。そんなつもりはなかったんですが、チョイとやった博打がすっかり病みつきになって、取り返ぇそう取り返ぇそうとやってるうち、こんなんなっちゃいまして……」
 そんな長平衛を見て、女将は
「じゃぁお前さん、この暮れ幾らあったら遣り繰りがつくんだい」
と訊きます。

「そうですね……、方々借りのあるやつを返ぇして、道具箱を質から出して、どうにかこうにか格好がつくには、どうしても三十両なくちゃしょうがねぇんです」
「そうかい。じゃぁ、あたしがお前さんに五十両貸そうじゃないか」
 思わぬ女将の申し出に、長平衛大いに喜びます。
「五十両! へい、ありがとうございます!」
「いつ返す?」
 女将が訊くと長平衛
「そうですね、七草までには…」
などと言う。
「ちょいと。 そんな出来もしない事をお言いでないよ」
と、呆れた女将は少し考え、
「それじゃぁね、あんたが返せそうな期限をあたしが決めようじゃないか」
と言う。

「半年待つよ」と女将。
「来年のお盆までに五十両お返し。一度に返そうと思っても中々出来るものじゃないから、お金ができたら幾らづつでもいいから持っておいで。あたしの方で預かるから。
 それまでこの子はあたしの方で預かって、色々嫁入りに必要な事を仕込んでおくから心配をしないで、しっかりと仕事をして。
ね、お前さんはコテを持たせたら江戸じゃぁ右に出る者のないって言われるくらい良い仕事をするんだから。一所懸命働けば、五十両のお金なんてすぐに返せるんだから。どうだい? それでいいかい?」
「…へえ、ありがとうございます」
「そうかい」
頷くと女将は、表に向かって五十両持ってくるように言いつけ、店の者が持ってきた五十両を長平衛の前に置きます。

「さ、これを持ってお行き。でも、落っことすといけないね。あぁ、そうだ」
 そう言って女将、机の引き出しから財布を取り出します。
「この財布はね、死んだ亭主の着物をあたしが縫って拵えた財布だ。この財布にお金を入れて渡すからね。
この財布を見るたびにお前さん、佐野槌の女将にこう言われたって忘れないでおくれ」
 そう言って、ちょいと身を乗り出します。
「いいかい? お盆までに返せばいいんだよ。けれど、お前さんがまた悪い心を起こして博打でもして、貸した金を返せないとなったら、あたしだって騙されたのが悔しいから、この子を店に出すよ。
店に出して、悪い客でも取らせて、この子の体に間違いでもあったら……。
そりゃあ誰の所為でもない。お前さんの所為だ。
いいかい。そのつもりで一所懸命に働くんだよ」
「へい、ありがとうございます」
 長平衛さんは、畳に額を擦りつけるように礼を言うと、お久にしばしの別れを告げて店を出たのが、吉原で言う『大引け』過ぎ。
 さすが不夜の里もシーンと静まり返っておりました。

 三、

 大門(*2)を出て吾妻橋まで歩きながら、反省しきりの長平衛。
「ああ、俺も随分と悪いことをした。どんな事をしてもお久を迎えに行かなくちゃならねぇんだ」
 そんな事を思いながら、吾妻橋の中程まで歩いてきます。

 すると、少しむこうに年頃21、2の若い男が見えます。
 縞の着物に前掛け、矢立を腰に差しているところを見ると、お店の若い衆らしい。
 その男が、橋の欄干へ捕まって、今まさに飛び込もうとしている。

「おい! 待て!」
 その着物の端をしっかと掴んで引き戻そうとする長平衛。
「離して下さい! 離して下さい」
「おい、待て!いいから待てって!」
 長平衛を振り払って川へ飛び込もうとする若者と、必死に引き戻そうとする長平衛。
「おい、待て、待てったら、待たねえかこの野郎!
 あまりに聞き分けのない若者に怒った長平衛、空いてる方の手で若者の頭を殴り飛ばします。

「あ痛っ!」
 殴られた勢いで欄干から手を離して転がる若者は、殴られたところを押さえながら、
「何だって打つ(ぶつ)んです! 怪我でもしたらどうするんです!」
「…怪我でもしたらって、お前ぇ今、橋から飛び込もうとしてたじゃねえか」
 呆れながら長平衛が若者に尋ねます。

「まだ歳は若ぇようだが、お前ぇ、何だって死のうとしてるんだ」
「生きちゃいられないんです!」
「へぇ、生きちゃいられない? だったらその訳を言ってみねぇ。
訳を聞いて俺が、なるほどそれは死ななきゃならねぇと思ったら、手伝って川に放り込んでやろう。だから訳を話してみねぇな」

 長平衛の言い草に、少し落ち着きを取り戻した若者は、ぽつりぽつり訳を話し始めます。
「わたくしは、日本橋の鼈甲問屋の若い者で文七と申します。
水戸様というお武家様のお屋敷へ、お支払いを受け取りに参りまして。
そのお金を懐に入れて帰る途中、枕橋のところで風体の怪しい男に突き当たられ、気がついたときには、もうそのお金がありません。
泥棒! と追いかけたけれども時すでに遅しで何処にも男の姿は見えません。
それで…、わたくしはもう、主人に顔向けが出来ませんので、ここで死ぬんで御座います」
「おいおい、今夜幾日だと思ってるんだ。暮れの28日じゃねえか。
はっ倒したって金を持っていこうって晩だ。ボヤボヤすんなよぉ」
と長平衛、自分の事は棚に上げてそう言います。

「だけどよ、お前ぇが橋から飛び込んで死んだところで、金は返っちゃこねえや。一度戻って、主人に訳を話したらいいじゃねえか。
お前ぇの親でも兄弟でもいるだろう? 一緒に行ってもらってよ、謝んなよ」「…わたくしには、親も兄弟もないんでございます。小さい時分から主人にお世話になっているのでございます」
 文七が下を向いたままそう言うのを聞いて、長平衛も困り果てます。

「しょうがねえなぁ。じゃぁその金があればお前ぇ、ウチに帰ぇれるのかい?」
「左様でございます」
「取られた金ってのは幾らだ」
「五十両でございます」
五十両!?
 その金額の大きさに驚く長兵衛。
「五十両ってなぁ随分重たいぜ? そんな銭取られて気づかなねぇかなぁ…。ともかく、お前ぇが飛び込んだところで何にもならねぇや。な?」
「いいえ、生きちゃいられません」
「生きちゃいられませんったって、ここに俺が通りがかってお前ぇが飛び込むのを黙って見ちゃいられねぇじゃねえか。お前ぇがどうしても飛び込むってんなら、俺ぁここを動かねえよ」
 文七の着物を掴んだまま、その場にどっかりと腰を下ろす長兵衛。

「…そうですか。それでは死ぬのはやめます」
「そうか! 諦めてくれるか。あぁ良かった、一時はどうなるかと思ったんだよホントに……って、おおう! この野郎!」
 ホッとして手を離した隙に、再び川に飛び込もうとする文七を、長平衛慌てて掴みます。
「手前ぇ、今飛び込みは止めるって行ったじゃねえか! なんでそんな事するんだよぉ!」

 やっとの事で引き降ろした長平衛が訊くと、文七は、
「とても生きちゃぁいられないんです……」
とうわ言のように繰り返すばかり。

 長平衛が途方に暮れて懐に手をやると、そこには女将から借りた五十両。

「じゃぁ、お前ぇは五十両ありゃぁ死なずに済むんだな?」
 文七が頷くのを見て、逡巡する長平衛。
 懐の五十両を渡せば目の前の若者は死なずに済むけれど、その五十両は娘のお久が自分の純潔を担保に借りてくれた大事な大事な金です。

「どうしても死ぬのか?」
「ええ、生きちゃいられません」
 文七の決意は固く、助けるには金を渡すしかありません。でも……。

「どうだい、二十両にゃぁまからねぇか? だめ? どうしても五十両なくちゃいけねぇ?」
 真っ暗な空を見上げて悩みに悩む長平衛でしたが、よし! と言うと懐から女将の財布を取り出し、

「俺がお前ぇに、この五十両をやろう!」
 そう言って、文七の手に財布を置きます。
「え、いえ、いけません! 見ず知らずの方にそんな大金を頂く訳には参りません!」
「俺だってやりたかねえやコンチクショウ! やりたかねえが、金がねえとお前ぇが死ぬてぇから仕方なくやるんじゃねえか!
さ、黙ってコレ持って帰ぇれ!」
 そう言って財布を文七にぐいっと押し付ける長兵衛。

「いえ、いけません!」
「いけません?
さてはお前ぇ、俺がこんなナリしてるから、何処からか盗んできたとでも思ってんだな。そんな風に思われるのは癪に障るから話をするが…」
と、長平衛は五十両に纏わる経緯を文七に話して聞かせます。

「金を返さなくたって俺の娘は死にゃぁしねえ。けど、お前ぇは金がねえと死ぬってえからやるんだ。分かったら持ってけ」
 そう言って財布を文七の方へ押しやります。
「いえ、そんな大事なお金、頂くわけには参りません!」
 押し返す文七。受け取れ受け取れませんと、五十両の入った財布が行ったり来たり。
 そのうちに業を煮やした長平衛は、財布を掴むと文七の額に投げつけると、「いいから持ってけコンチクショウ!」と言って、そのまま走って逃げてしまいます。

「イタタ…、バカ! 間抜け!」
 頭にきた文七が、長平衛の背中に向かって文句を言いながら見送ったあと、「あんな汚いナリをして、五十両なんて金を持っているもんか。どうせ引っ込みがつかなくなって、この財布だって石か何か入ってるに違いないんだ。そんな硬いものぶつけてぶつけてきやがって……」
 などとブツブツ言いながら、財布の紐を解いて中を見た瞬間、
「あっ!」
 腰を抜かさんばかりに驚きます。

 そして、長平衛の去っていった方に向かって、地べたに頭を擦りつけながら「ありがとうございます……ありがとうございます……」
と、涙を流しながらいつまでも礼を言い続けたのでございます。

 四、

「なんだい、文七はまだ帰らないのかい? 随分と遅いじゃないか」
 近江屋の主人、卯兵衛が番頭と話していたところに、丁度、文七が戻って参ります。
「……ただ今帰りました。遅くなって申し訳ございません」

 頭を下げる文七に、
「遅くなりましたじゃないよ。旦那様がどれだけ心配したと思うんだい」
と、番頭が叱ります。
「あい、すいません」

「一体今まで何処で何をしてたんだい」
 卯兵衛が尋ねると文七は、
「はい、浅草でちょっと知り合いと会ったもので」
と、誤魔化します。それはそうです。預かった金を盗まれて死のうとしてたなんて、言える訳もありません。

「しょうがないね。心配するじゃないか」
 卯兵衛に言われて頭を下げる文七。

「実はその、水戸様にお金を受け取りに行ったのですが、そこのお武家様に、お前の財布が気に入ったから自分の財布と取り替えて欲しいと、そう言われまして」
 そう言って、長平衛から貰った財布をおずおずと差し出します。

「これかい?」
そう言って財布に目をやった卯兵衛は番頭と目を合わせたあと、じっと文七を睨んで訊きます。

「お前、この金をどこから持ってきた」
「はい、ですから水戸様から…」
「嘘をつけ」
 卯兵衛はピシャリと言います。

「いつも言ってるだろ?
お前が碁が好きなのは仕方ないが、仕事中はいけないよと。
お前はお屋敷に行って、碁を囲んでるうち遅くなったと言って慌てて帰ったというじゃないか。
お前が帰ったあと、碁盤をどけたらその下に財布があったと、お屋敷の使いの方が慌てて届けてくれたよ」
 それを聞いた文七は、もう真っ青になってガタガタ震えだします。

「え、それなのにお前は別に五十両を持ってきた。おかしいじゃないか。
 お前、この五十両をどうしたんだ」
 卯兵衛が訊くと、文七は震えながら事の顛末を話して聞かせました。

 それをじっと聞いていた卯兵衛は感心したように、
「へぇ、金を取って逃げたというのはよく聞くが、金をぶつけて逃げたってのは初めて聞くね。それで、その方の名前は?」
「へぇ、それが名乗らずに行ってしまいましたもので」
「じゃぁ、娘さんがいるというお店の名前は」
「確か……カナヅチとかなんとか…」
 すっかり慌てていた文七、聞いたはずの店の名前が思い出せません。

「うーむ、吉原にカナヅチなんて店はないだろうしね。サイ寿司とかそんな名前かね……」
ブツブツ言いながら番頭に振り向いた卯兵衛は、
「ねぇ、番頭さん、吉原にサイ寿司なんて店はあるかい?」
「それは『サイ寿司』じゃなくて『佐野槌』でしょう。吉原の角にございます。
大間口でそりゃぁ玉(綺麗な女性)の揃ったいい店で…」

「お前さん、随分詳しいねぇ。吉原の場所も知らないって言ってたじゃないか」
「あ、いえ、人から聞いた話で私は……」
 卯兵衛に言われてすっかりしどろもどろになる番頭でございました。

 五、

 あくる日、番頭と旦那は二人で出かけて、じきに戻ってくる。
 それから支度をして、文七をお供に店を出ます。

 浅草を歩いて吾妻橋にかかって参ります。
「ここかい?」
「……ここです。ここに飛び込もうとしたところを、あのお方に救われたんです」
「うん、そのお方の御恩を決して忘れちゃいけないよ。いいね」
 そんな話をしながら、二人は橋を渡ってから酒屋に入ります。

「少々伺いますが、この辺に左官の長平衛さんって人はおりますか」
 卯兵衛が訊くと酒屋は、
「へぇ、この先の材木屋と荒物屋のお蔵の先の突き当たりですよ」
「ああ、そうですか。それじゃぁ五升のお酒の切手(*3)をお願いします。それと祝儀物に使うから柄樽を一つ」
 卯兵衛はそう注文して品物を受け取ると、柄樽を文七に持せて長平衛の家に向かいます。

「どうしたってんだいこの人は!
お久が拵えてくれたお金をあんた、どこへやったってのさ!」
「だから夕べっから何度も言ってるじゃねえか! 死ぬって奴がいたからくれてやったんだ!」
「なに言ってんだい嘘をつき! どっかへ隠してまた、悪いことにでも使おうってんだろ!」
「隠しちゃねえよ! 何度も言わすな、身投げを助けたんだよ!」
「あんたが身投げ助けるってガラかい! 放り込む方じゃないか」
「放り込むとはなんだ! 仕方ねえじゃねえか、助けたんだよ!」
「あんたね、人を助けるってのは、助けるだけの力がある人がする事だよ。
あたしたちは今助けられる方じゃないか」
「そんなこと言ったって、若ぇ者が川に飛び込もうってんだ、助けなきゃ仕方ねえだろう!」
「いや、あんたがそんな事するハズがない。どこへ隠したんだい!」

 喧々囂々、近所中に響くような大声でケンカをする二人の家の表玄関に立ち、卯兵衛が御免下さいましと声をかけます。
「おう! 誰だい!?」
「左官屋の長兵衛さんのお宅はこちらでしょうか」
「ああ、長平衛は俺だ。あ、ちょっと待っておくんない!」
 そう声をかけて。
「ほら、客が来たよ。お前ぇそこの屏風の裏に隠れてろ。何ででって、尻丸出しじゃみっともねぇだろう」
「一体、誰の所為なのさ」
 文句をいう女房を屏風の裏に押し込んで表の客人に声をかけます。

「誰だい? もう入っていいよ」
 言われて入ってきたのが、身なりのいい卯兵衛。長平衛、すっかり面喰らいます。

「私は日本橋で商いをする卯兵衛と申します。
実は、親方にちょいとお目にかけたいヤツがおりまして。親方、この者をご存知でございますか?」
 そう言って、文七を前に出す卯兵衛。
「あぁ! この方でございます! 昨夜、吾妻橋でわたくしを救っていただいた…」
 それを聞いて、長平衛も文七の顔を思い出し。
「おぉ! おめぇは…! あぁ、そうか。よく来てくれた。
俺ぁ、昨夜お前ぇに五十両やったよな?」
「はい。その節はありがとうございました」
 その言葉を聞いた長平衛は、屏風の後ろに聞こえるように、
「それ、どうでぇ。嘘じゃなかったろう! ざまぁみやがれ」
と、大声で言います。

「どなたかいらっしゃるんで?」
「ああ、いやいや誰もいねえんだけどね」
 誤魔化す長平衛に卯兵衛が改まって頭を下げます。
「昨夜は、ウチの若い者を助けていただきありがとうございます。
実はコイツが盗まれたと言った五十両は、取立て先のお屋敷で囲碁に興じていて忘れていったもので。
コイツが戻る前に、店に届いていたのでございます」
 話を聞いた長平衛、すっかり呆れてしまいます。
「おいおい、こんな間抜け使いに出しちゃダメだよぉ。おかげでコッチは夕べっから大変だったんだから……」
 家に帰ってから今まで、女房と言い合いをしていた長兵衛だったのです。
「はい、本当にありがとうございました。つきましては、この五十両のお金はお返し致します」
 そう言って、卯兵衛が差し出した金を、一旦は受け取ろうとするがグッと押し返す長兵衛。
「いや、いらねぇ。俺だって江戸っ子だ。やっちゃったものを今更返すと言われて、はいそうですかとは受け取れねえや。その金はそいつが店でも持つときの足しにしてやってくんな」
 宵越しの金は持たない、武士は食わねどなんとやら。
 きっぷのいいのが江戸っ子の粋で、人に一度やった物を返せなんてのは、面子が立たないのです。

「いえ、そういう訳にはいきません」
「こっちだって受け取れねえよ」
と、五十両を押したり引いたりしていると、今度は屏風の影から手が出てきて長平衛の背中を引っ張ったりツネったり。

「う、うるせぇなー分かってるよコンチクショウ!」
「はい?」
「あぁ、いやいやこっちの話で」
 へへっと頭を掻きながら長平衛、

「それじゃまぁ、実はね、この銭がないとコッチも大変なことになるんで。ありがたく貰っときます」
と、やっと銭を収めます。強がってはみたものの、大事なお金。背に腹は変えられません。
 それを見て安心したように、「それで…」と卯兵衛が続けます。
「親方のように清い行い、わたくしは商人ですから中々そうゆう事は出来ません。ですので、あなたの様なお方と親類付きあいがしたいのですが、どうかわたくしと親類付き合いを願えませんでしょうか」

「え? 俺とかい?」
 卯兵衛の申し出に驚いたのは長兵衛です。
 片や大店の主人、対して自分は娘に金を作ってもらわないと暮らしも立ち行かない体たらくなのですから。
「はい、これなる文七は親も兄弟もないのですが、商売はとても見込みのある男。その文七を助けていただいた親方はいわば命の親ということで、どうかコイツを親方の子にしてやって頂きたいのです」

「お願いします親方。孝行致します。どうかわたくしを子にしてやってください」
 文七もその場に伏して頼み込みます。
「大変だね、急に親類が出来たり子ができたり…」
 急なことに戸惑う長平衛ですが、しかしそこは江戸っ子。
まぁいいやと卯兵衛の申し出を引き受けます。

「つきましては、何も用意がございませんので、五升のお酒の切手を持って参りました。どうかお収めください」
卯兵衛が言い終わらないうちに長平衛、
「ああ、こいつはありがてぇや!酒はねコッチは浴びたいほど好きなんだ 」と、奪い取るように切手を受け取ります。

「あとはお魚……」
「いいんだよ肴なんて! コッチは何にもなくたって五号くらい引っ掛けちゃうんだから」
「いえ、頼んでおいた魚がもう届く時分で…」
 そう言って、文七に肴が届いてないか見るように言います。
 文七が扉を開けて路地の方をひょいと見ますと、一丁の青々しい四つ手が見えて、駕籠屋が汗を拭いている。
「おぉ、お魚が届いた。どうぞコッチへ」
 卯兵衛に「はい」と答えたのは聞き覚えのある声。
 籠のタレを捲って出てきたのは、見違えるような錦の着物を着たお久。

「お父つぁん、あたしこの旦那に身受け(*4)してもらったの」

「お久!」
 一度は、もう娘に会えないと思っていた長平衛、見違えるように綺麗になって戻ったお久を見て、涙を流して喜びます。

「この『お魚』は気に入っていただけましたか」
「へぇ、ありがとうございます……ありがとうございます」
 卯兵衛の計らいに、涙ながらに礼を言う長平衛。

「ねえ、おっ母さんは?」
 家の中を見回しながら訊くお久に、屏風に隠れていた女房もとうとう我慢が出来ずに飛び出しますが、お尻が丸出しなのを思い出してで大慌て。

 その後、文七とお久は夫婦になって、麹町六丁目へ『文七元結』という名の、元結屋(*5)の店を出して随分繁盛した。という一席でございます。

終わり

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*1 中引け・大引け
中引きは夜12時前後。大引きは午前2時前後。

*2 大門
吉原の入口にある大きな門。

*3 切手
今で言う商品券のような物。

*4 身受け
吉原に入った遊女をお金を払って買い取る制度。

*5
元結(もっとい/もとい)
髷を結う時に使う、紙のコヨリのようなもの。

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あとがき

昨年から、古典落語を小説のように読める形にしたらどうだろう? と考えてたんですが、いざ小説風に書いてみると、やはり落語の味わいのようなものが損なわれてしまい、うーんと悩んでいました。

そこで、落語を一旦そのまま書きおこして、横書きの文章にして読みづらい部分だけを直してみたら、意外といい感じになったのでアップしてみることにしました。

ここで書いている『文七元結』は、五代目 古今亭志ん生さんのバージョンで、30分ちょっとの演目なんですが、流派によって1時間を越えるバージョンもある、いわゆる大ネタというやつです。(そっちのほうが今は主流かも)

短いバージョンとは言え、こうしてテキストに書き起こすと結構長くて、分割してアップしたほうがいいかなとも思いましたが、今回はお試しなのでそのまま一気にアップすることにしました。

noteにアップするにはかなり長いので、読むのは大変だったと思いますが、最後まで読んでいただいた方は本当にありがとうございます。
少しでも、落語の雰囲気が出ていると思っていただけたら嬉しいですし、このテキストを機に、落語に興味を持っていただけたら嬉しいです。 ぷらす


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