落語の話

「目黒のさんま」の噺

ぷらすです、こんばんは。

今回お話するのは、古典落語の中でも有名な演目「目黒のさんま」です。
秋刀魚が登場するので秋の噺として広く知られていて、この噺にちなみ、目黒駅を挟んで品川区上大崎 では「目黒のさんま祭り」 目黒区 では「目黒SUNまつり」が毎年秋に行われているそうで、この祭りの際には出し物の一つとして落語家さんを呼んで「目黒のさんま」を演るそうです。

では、この「目黒のさんま」がどんな噺かというと、

世間知らずのお殿様が、遠乗り(鷹狩り?)で目黒までやってきます。
が、困ったことに家来が弁当を忘れてしまった。
お殿様を始め一同お腹を空かせていると、なんとも美味そうな匂いが漂ってきて、お殿様は家来に「この匂いは何だ?」と聞きます。
家来、「この匂いは下々の者が食べる下魚、秋刀魚というものを焼く匂いです。決して殿のお口に合う物ではございません」と答えますが、お腹ペコペコのお殿様は、こんな時にそんな事を言っていられるかと家来に持ってこさせます。

これは、串や網の上で焼いたものではなくて、炭の中に秋刀魚を直接突っ込んで焼いた「隠亡焼き」というものですが、これを食べたお殿様は、脂の乗った秋刀魚の香ばしさやワタの苦味がすっかり気に入って、お城に帰ってもその味が忘れられません。

とうとう我慢ができなくなったお殿様は、家来に秋刀魚が食べたいと言い、家来は慌てて秋刀魚を買ってくるのですが、そこはお殿様に出す食事ですから失礼があっては大変と、(蒸して)脂を抜き、頭を落としワタを取り、喉に引っかかっては一大事と小骨も毛抜きでキレイに取ります。が、おかげですっかり身がグズグズに。
これでは見栄えが悪いと、身をすり潰して粉を混ぜ、団子状に丸めて椀に入れ、上から餡をかけてお殿様に出します。

お殿様が一口食べてみると脂の抜けた身はパサパサで、焼いていないので香ばしさもなく、秋刀魚の嫌なクセだけが残ってとても食べられた物ではありません。
あまりの不味さに「これはどこの秋刀魚だ」と聞くと、家来は「日本橋魚河岸で買ってまいりました」と。
それを聞いたお殿様は、「ううむ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」というオチです。


ところで、ここ何年か「クールジャパン」「グローバル」という単語をよく聞きます。

前者は伝統文化やアニメ、マンガ、アイドルなど日本独自のカルチャーを積極的に世界に発信していきましょうという動きで、後者は、これからの商売は世界を視野に入れていかなくてはならない――みたいな話ですよね。

一方で、ケータイとか電化製品がガラパゴス化しているので世界基準に合わせなくてはとか、直接関係ないかもしれませんがマンガやアニメの表現を規制する動きがあったり、企業の方も世界と戦う為には無駄を排して効率化を云々とか。

この手の話を聞くたび、僕はこの「目黒のさんま」を思い出すんですよね。
相手に合わせて「モノ」をいじくりまくった結果、評価されてた部分が台無しになっちゃった本末転倒感とか。

もちろん、日本の技術やカルチャー、精神などの良いもの、優れているものを世界に広く知ってもらうのはいい事だと思うし、そこに異論はないんですけど、あるんだかないんだかよく分からない「世界基準」とやらに合わせて見栄えのいいモノにする為に、雑味苦味の部分を抜いて元の在り方を変えちゃったら、果たしてそれはクール「ジャパン」って言えるのかなと。

秋刀魚が脂やワタの苦味も込みで秋刀魚なように、「クールジャパン」も、もっと言えば「日本」という国の、外国の基準とは違う「苦味」や「雑味」の部分があってこそ、世界の人たちに認められてるんじゃないのかなって思ったりするんですけどね。

お、社会派w

#落語



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