無難な世間話とは……

『挨拶や世間話というのは「私はあなたの敵ではないですよ」というアピールのためにするものである』
はるか昔、10歳くらいの時に父親に聞かされた話である。なんでこんな話をされたのだろうか、話すネタがある時は話しまくるくせに、話さない時は全くの無言で極端であった私に世の道理を教えようとしたのだろうか。家での朝の挨拶におはようと言わずにぴよぴよチュンチュン言って愛嬌でいろんなものを誤魔化そうとしてる態度が心配になったのだろうか。まぁなんかしらの社会性を身につけさせようかしていたのはわかるが、しかし今はいい歳してtwitterで「ぺろんぺろん」とツイートして周囲のまっとうな大人を驚愕させている有様なのでむしろ悪化してる気がするが……。

 職場の帰り際に「今日は暑かったですね」「体が暑さに慣れないですね」みたいな深い意味のない会話をしたわけだけれども、それが同じ気候を同じような皮膚感覚で感じていることを確かめ合っているようだなと感じたのをきっかけでこんな謎文章を書き始めたわけである。暑さ寒さの感じ方を確かめ合うことで自分と相手の行動範囲だとか、同じ人間であることを確認しあっている感じが「今日は暑いですね」と言って「変温動物なので寒すぎるよりは動きやすくていいです」とか「アンドロイドなので暑さは感じませんが熱でパーツが痛みやすいのは懸念事項です」みたいなほうが楽しそうだかそんな刺激溢れる毎日はそうそう期待できるものでもなく、仮にあったらそれは穏便な日常が崩れてるやもしれぬ可能性を考えねばならぬのだ。

 そういや『挨拶・世間話は敵じゃないアピール』について勝間和代のyoutubeでも似たようなことを言っていた。父親と勝間さんが接点があるとは考えにくいので、割と古くから『世間話=味方アピール』というのはおそらく理屈っぽい人々の間では共通見解なのであろう。確かにこの説明だと「挨拶ってめんどくさい」「コスパ悪くないですか」みたいなの反論として綺麗にまとまってるが、こんなの説明するのって野暮なんじゃ、全ての行動に理由付けを求められてもしんどいんじゃないかって気もしないでもないのだ。でも多分まさいぬさんは理由づけを欲する側の人間なんだろうなって。インスタ自撮りの理由を聞かずにはいられないめんどくさい人なんだろう。

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