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過去の自分と対話してみる②

7月13日。
今日は今年初めてセミの鳴き声を聞いた。
夏だなぁ。

夕立は激しくて嫌だけど、夏が近づいてると思えばわくわくしてくる。

今日は過去の自分との対話。2回目。


2020年5月18日のわたし


「嫌い」という感情


わたしは関わる人に対して
「嫌い」
という感情にあまり侵されることがない。

「あの人のこういうところが嫌い」はあっても、
「この人嫌いだな」みたいなことがあまりない。

出会った人はほとんど
「ふつう」か「好き」か、になる。

小さい時からずっとそうだから、この考え方のせいで、なんだかなぁと思う時がある。
ときどき、人に対する好き嫌いの激しい人が羨ましくなる。


例えば小学生の時。
自分は仲良し3人組だった。
ペアを作るときに、誰とも組めずにいる子がいると、先生が
「そこだれか一緒に組んであげて」
と、こちらに言う。そこで自分以外の2人が
「あの子嫌いだから嫌」
と言うと、わたしは別に嫌じゃないから
その子とペアになることになる。

この時に感じる

「嫌じゃないんだけど、組むならふつうよりは好きな子の方がいいのにな」

みたいなのが、割と大人になってからもある。

職場で
あまり評判の良くない人と組まされるとか。
みんなが嫌がる仕事を任されるとか。
別にどの人でもどんな仕事でも
頑張るからなんでもいいんだけど、
できれば一番いい人、いい仕事やりたいじゃん。


誰とでも関われるのはいいこと
なのかもしれないけど、
わたしのそれに甘えられるとちょっと
不服というか。

別にいいんだけどね、ちょっとだけ、ほんとちょっとだけ不服に感じることはある。ちょーーーっとね。笑

だからいま、自分が子供たちを指導するときに、
こういう

「割と誰とでも仲良くできる」
「不満をあまり言わない」
みたいな子に甘えすぎてないかな
って。

そういう子、すごく先生からしたら
ありがたい存在なんだけど、
なんだかんだ我慢してるんだよね。

たまにはその子の「好き」を
優先させてあげなきゃいけないなと思う。


2021年7月13日のわたし

いまも変わらずこの考え方だけど、
なんで「嫌い」が少ないのか考えてみた。

たぶん、誤解を恐れずに言えば
人を必要以上に信用してないからだと思う。

良い人はずっと良い人だと限らないし
悪い人はずっと悪い人とも限らない。
相手に期待をしないし、自分が相手にどう思われていても、そんなこと気にしても仕方ない。
その人の全てを知りたいとは思わない。
たとえそれが家族や恋人であっても。
だからわたしのことも全部知らなくていい。
見せたいときに見せたい自分を見せるから。

根本がそういう考えだから、どんなに意地悪されても「わたしはあの人のこういうところが嫌い」と部分的に嫌ってもその人自体を否定しようとは思わない。

だから、冷静と言われることもあるけど、人当たりが良いと自分でも思ってる。

ただ、そこに漬け込まれるのは自分が壊れる原因になるので、最近気を付けていることがある。

それは
「好き」を周りに伝えておくこと 
違うと思ったらはっきり伝えること

好きなことやもののことを惜しみなく話しておくことで、自分に合う話や仕事を振ってもらえることが多くなった。得意なことも「こういうの好きです!」と言ってみると、楽しい仕事が増えてきた。

立場とか自分のイメージとかを気にせずに、なんか違うと思ったらはっきり伝えるのも大事だと思ってる。わかってもらえるかどうかは置いておいて、この人も嫌、よく思わないって感情があるんだなって知ってもらうことに価値がある気がする。

なんでも自分好みにしすぎて世界が広がらないのは良くないけど、ストレスなく仕事ができるように、自分の周りの環境は自分で整えたいし、そういうことができるように子どもたちにも伝えていきたい。

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