私はニワトリ

(ファジーなことを言わない先生だな)

構造動作トレーニングを受け始めた時、そんな印象を抱いた。

先生の説明は、点と点が太いバイパスで結ばれている。

これは それ、数学の定理みたいに明確なんだ。

これは それでもあるし、あれでもあるかもしれません。あ、もしかしたらこのことかな?

解釈に幅のある、いかようにも取れる説明って、私は先生から聞いたことがない。


曖昧さが悪ではない。             先生によっては、生徒さんが部分に執着しすぎるのを避けるために、あえてぼかす方もいる。    部分にばかり目がいくと、全体が連動しなくなるから。

ふわっとしたイメージからの方が、内容をつかみやすい人もいる。

多分、感覚に関するものは、奥に行けば行くほど 言語化が困難になっていくのだろう。


でも、構造動作トレーニングの先生は、言語化できない内容の薄皮1枚のところまで、言葉というメスを入れている。

私は、そんな感じがするんだ。


「背屈力が足りとらんのよ」

前回の講座では、そう指摘された。

「ニワトリみたいな立ち方になっとる」


そう言われた瞬間、

「足首が固い」「足首が使えてない」「床を蹴ってる」

今までいろんなところで注意していただいた現象の何が悪かったのかを理解した。

足首をクルクル回してみたり、甲を出してみたりしてみても良くわからなかった原因が特定された。


自力で背屈できないんだ、私。         手で足を持ってギュッて移動させたり、床に押しつけたりすれば、背屈状態にできるよ。

でも、介助なしだと背屈できないの。      自分の身体なのに回路が断線している。

「え? ここって自分で動かせるんですか?」

身体が寝ぼけたことを言っている。


渾身の力で足首と甲を近づけようとしていたら、 足首がズブズブ地面にめりこんでいくみたいな感覚がした。

地中深くささればささるほど、身体に芯ができて 私は立っていられるんだ。

足首を地面に突き刺しながら、私は自分の特性を 噛み締めていた。


勘の良い人、センスのある人、見取り稽古のできる人は、お手本を見ながら曖昧な言葉でたどり着ける。

でも、私は違う。


「背屈力が足りとらんのよ」


そのホールド(手がかり)がないと、壁を登れない人間なんだ。

壁を見上げながら、(登りたいな)ってうろうろするだけの人間なんだ。


今回は、ホールドをつかんで10cmくらい壁を上がって、

少しだけ ニワトリから人に近づいてみたよ。

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