型は型じゃない

刀禅のお稽古の後、美味しい四川料理屋さんで
皆さんの話を聞いていた。

「型」についての話題もでたんだ。

舞踊とか武術を深く探求している方達の話は
すごく面白かった。


電車の中で、聞いた内容を反芻していた。

その時、思ったんだ。

(型は型じゃないんだろうな)って。


多分ね、型の創始者は、型だと思ってやってないんだよ。

その人にとっては自然な動きなの。

普通に動いたら、この軌跡を通るでしょ?
こうとしか動けないでしょう?
なんで皆、違う動きになるの?
ほら、こう動きなさい

って、思ってたんじゃないかな。
想像だけど。


型をなぞることに留まって、
型を自分のものにできていない
型を超えられていない人の状態は、

着慣れない よそ行きの服を着て、服に着られている人みたいだ。


型は、強力な学習ツールだ。

よそ行きの服は、自分の魅力を底上げする
超強力アイテムだ。

でも、身体に馴染んでいなければ、本来の目的を
果たせない。


型の動きが できるようになるだけでは不十分なんだ

型の稽古を通して、
普通に動いたら、型の動きになってしまう身体を
獲得する必要があるんだ


終電の3本前
電車の窓ガラスに映る私の顔は、そう言っていた。


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