芯を動かす
「やわらかいね(悪い意味で)」
「やわらかいんですよ(悪い意味で)」
「こっちの方向に、このまま進むと、力が入れられない身体になってしまうんですよ」
「ああ、私、まさしくそっちタイプです」
稽古場で、先生と話していたら、隣の生徒さんに質問された。
「やわらかいのが悪いとか、あるんですか?私は、身体固いって言われるから羨ましいですけど」
別のレッスン場でもあったな。
「良く動くわねえ」
と私に言った生徒さんを、先生が慌ててさえぎった。
「この動きは違うんだよ。一見同じことをしているように見えるから、たちが悪いんだよ。ある意味、一番の問題児なんだよ、猫派さんは」
やったね! 一番だよ! ヒューヒュー♪
なんて言っとる場合ではない。
こういう一番は、いらない。
大体、一番だなんだ言ったって、上には上がいるし、下にも限りがないし、極々局所的な部分を切り取って、一番二番と序列をつけることに意味があるのかという問題もあるしって、話が本題から脱線しとるわ。
本題にもどりましょう。
悪いやわらかさの何が悪いのか
芯が全く動かない
これが、本当に良くないんですよ。
芯が殿様だとするじゃん、
周りにいるお付きの者たちが、先回りしすぎる、察しが良すぎる状態なんだよね、悪い意味でやわらかい身体って。
「ハッ、殿がこちらへ来たがっておるぞ、道をあけろあけろ」
「殿は、あれを御所望じゃ、早う取って渡さんかい」
家来が動いてくれるから、殿(芯)微動だにせず。
気のきかない家来たちを抱えた、固い身体の人の方が、「動きません」って言いながら、芯にアプローチできる。
殿(芯)を働かせられる。
修整も難しいんだよね。
動いてるから、大丈夫だろうって見逃されちゃったり、
本人が、動いている自分に満足していると、指摘していただいてもムッとして終わりだったり。
あと、動かないところを動かそうとするアプローチの方が、教える側と教わる側が感覚を共有しやすい気がする。
その人にとって、自然に動いてしまう部分を意識にのぼらせてキャッチさせるのって、すごい時間がかかる。
普通のグループレッスンでは、一人にそこまで時間割けないよ。
対応していただける時もあるけど。
構造動作トレーニングは、どこを動かすのかを細かく細かく教えてくださるから、
縁あって、構造動作トレーニングの存在を知ることができて良かったなと思っている。
「身体やわらかいんやね」
講座中、先生が私のお腹と背中に手をあてた。
すると、いつもヒュッて動いちゃう部分が動けなくなった。
なんか、深いところが動いていた。
どういうわけか、すごい疲れた。
げろげろげーって感じだった。
(品のない言葉で申し訳ありません)
どの世界でも、プロはやっぱり凄いなと思いながら、今時々考えている。
先生は、あの時、
私の身体の、どこの動きを止めていたんだろう
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