あなたが決めて選んでいる

こんな事があって生きるのがつらい、自分はこんな人生を歩むはずではなかった、など。
自分の運命や境遇、環境を恨みたくなるようなときはやはり誰にでもあります。

「会社が突然倒産した、明日からどうすれば・・」
「おかしい、こうなるはずだったのに真逆の事が起こっていしまった・・。最悪だ。」
「最悪のミスをした、このまま消えてしまいたい」
など、不遇の大きな出来事から、
「なんだかあの人と最近イマイチ合わない」
「いつも想像している状況とまったく一致しない、スッキリいない」

など、日常のストレスまで。
自分の人生に不満を言うチャンスや機会は本当に何時でもありますし、下手をすれば四六時中ブツブツと不満を言っていられるかもしれません。

でも、良くも悪くも・・。
その瞬間さえも自分が決めています。
その一日のあり方も自分で決めています。
その出来事を引き起こすまでの人生の時間さえも、自分で決めて選んでいます。


「いやいや、会社の倒産なんて聞いてないよ、最悪じゃないか!ハァ?自分が選んで決めただって?おかしなことを言わないでほしい!」
そう思うかもしれませんが、その会社を選んでいるのも自分ですし、その会社に膨大な時間と労力を、いわば人生を捧げることを選択してきたのものも自分です。
会社は倒産しただけです。
「会社の倒産」自体が「最悪な出来事」と決めて生きているのも自分です。

会社が倒産したことで何が最悪ですか?
・明日からローンを払えなくなる人生が最悪ですか?
・人生の敗者のようなレッテルを貼られるのが最悪ですか?
・それとも豪華な暮らしから転落する人生が予想されるから?
・仲間に笑われる?
・家族に失望される?
・生きていけない?

これらの理由が「最悪」の根源でしょうか?

しかし、それも自分が決めて選んできたことです。

会社がなくなったくらいで生きていけない生き方を選んでしてきたのも自分。
友人に笑われるようならそんな友人しか選んでこなかったのも自分。
家族が失望するだけでなら、そんな家族関係しか作ってこなかったのも自分。
豪華な暮らしや今までの日常が失われるくらいで、「明日が無い人生」ならそれを選んで今まで生きてきたのも自分です。


自分が選んで決めたんだから生きていく以上は、その先も自分で選んで決めていくしかありません。

でもここで言えるのは、「自分で選んで決めれる」ということをもっと受け入れるということです。

他人のために生きているわけではありません。最後の最後は自分のために生きているはずです。
だから自分のことは自分で選んべるんです、決めれるんです。

自分を最高に幸せいっぱいにして周りの人を喜ばせる人生を選ぶなら、どうぞそうしてください。
逆に、人に嫌われては生きていけない人生を選択するのならどうぞ、そうしてください。


すべては自分軸に在るかどうかです。
自分の外側(イリュージョン)は自分の在り方を映し出すだけです。
他人に何の責任もありません。

嫌な人がいるわけではありません、嫌な人に会いに行くことを選択している自分が存在しているだけです。
不慮の事故が悪いわけではありません、その境遇に遭うまでの人生を選択していたのは自分です。

恋人のおかげで幸せなわけではありません、幸せを感じるために恋人と生きる時間を選んだ自分がそこにいるだけです。
お金があるから土地があるから豊かなわけでは、ないんです。自分が豊かさを選んだからお金と土地があるんです。


ここに気づくことができれば、すなわち「他者の人生」「外側の人生」から目を覚ませば・・。

世間や他人を恨んだり、嫉妬したり、怒ったり、それが原因で悩んだり、苦悩したりするだけの人生からは開放されます。

なぜなら出来事のすべての根源は自分にあるのですから。

「こんな生き方を選んでいたのは自分なんだ!」
「こういうふうに感じることを選んできたのは自分なんだ!」

自分自身に目を向ければ、本当に人生がクリアに観えてきますし実際に自分自身も軽やかな人生を歩み始めます。
自分の人生に起きるどんな出来事も目を覚ましていくための気付きでしか無い、ということを思い出していただければこの地球での体験はより楽しいものになると思います。

今この瞬間、

「何かスッキリしない」
「不遇な出来事は、世間や他人のせい」

そんな境遇にある人が、少しでも軽やかで楽しい人生を歩めますように!


後書

自分の戒めに書いたつもりが
なんかスピリチュアルカウンセラーみたいなことを書いてしまった笑。
でもまぁ、これが本質だと思う。

人生がアップグレードすればするほど、今までに経験したことのない大きな出来事に遭遇してこれでもか!?ってくらい自分が試される。
その度に「なんなん?まじで?笑」ということも起こる。

幸せに見える一方で大きな悩みを抱える。
この悩みを選んだのは自分だー!と知っていても、自分の物質的な幸せ指数が上がるほど、
つまり引き寄せの法則とかが働いて、物質的に幸せになるほど手放したくないものも増えて自分が軽やかな波動から重い波動にいるときがある。

そうして強制的に手放すときもあれば、自分からクリアリングしてきちんと手放すことを選択できるときもある。

上記でも書いているように自分の人生がクリアになるほど(社会的に見て)うまく行っているような感じに見える人生を歩むこともある。
でもそれはあくまで自分自身で選択して創っている環境であり私自身のための世界である。
「世間的な成功者」を維持できるほど私は他人に興味はないし、承認欲求も今はない(むしろ放っておいてほしい)。


大好きな仲間や家族も、自分の会社も、想いの詰まった古民家ライフも、自分自身の才能も。
全て自分で選んで、物質化してきた。
そして大好きが故に「手放したくない」という執着に気づいた。
そしてその執着を赦し、許容し、手放す。

思考の現実化でも引き寄せの法則でもなんでもいいけど、
世間的にうまく行けばいくほど、ヒト・モノ・カネ・場所が身の回りに増えて、人生が重くなる。
抱えては手放し、成長し、また手放す・・。その姿は我が愛娘のようだ。

全てを許容し、手放し、己の創造し世界を生きる。

どこまで行っても我らは現実というイリュージョンを愉しむ生き物なのか?
それとも目を覚まし、悟りの道を愉しむ生き物であるのか。


終りが見えないので、
最後に西行法師の歌で締めくくりまする


花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふ我が身に


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