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アイザック=ニュートンが離婚しろと言ってくる。

序章

カーテンの隙間から差し込む朝日と、次男の気配で目が覚めた。次男は僕の耳たぶを触りながら、「線路は続くよどこまでも」を母音だけで口ずさんでいる。
彼には知的障害があり、10才になった今も話すことができない。障害のせいだろうか、僕は彼に対してモヤモヤすることが多い。過剰に世話を焼いてしまったり、感情的に怒ったりしてしまう。だから彼とちょうど良い距離感で接することができる、朝のこの穏やかな時間が好きだ。

彼に耳たぶを触られながらTwitterを開くと、パンデミックに関連した刃物のように鋭利な言葉たちが目に飛び込んでくる。心の平穏が揺らぐ。この世界の大部分は不穏なんだと我に返った。さぁ、一日の始まりだ。今日は彼のデイサービスがある日だ。弁当を作らねば。一日の予定を頭でなぞろうとしたその時、ふと思い出した。

昨夜、妻と別れたんだった。

重い足取りでリビングへ入ると、ちょうど妻が娘のオムツを替えているところだった。

『起きるの遅いよ!今日、燃えるゴミの日だよ!早く出してきて!もう収集車来ちゃう!』

いつも通りの早口。いつも通りの朝。変わったのは「僕の中での」彼女との距離だけ。そう、僕は心の中で離婚した。昨日まではこんな言い方をされると頭にきていた。言い返しても勝ち目はないので、ぶっきらぼうな態度や雑な行動をして怒りを表現していた。

最近、気持ちがささくれていた。自分の思い通りにいかないことがあると、心はどんどん潤いを失っていき、表皮が剥けて肉の部分が露わになる。すると水がしみるように、ちょっとしたことで痛みを感じてしまうようになった。それは妻の言動や次男の問題行動であったり、会社からの電話であったり、Twitterの言葉たちであった。どれもが以前よりも強い力で僕の心に働きかけてきた。どうにかしなければならないと思った。

1章 万有引力の再定義

万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

(谷川俊太郎『二十億光年の孤独』より)

敬愛する谷川俊太郎の詩の一節である。大きな力が心に作用しているのも、何かが歪んで感じるのも、どうも万有引力が関係しているようだ。八百のものがする引力なのだから、さもありなん。
その万有引力は以下の式で表されるらしい。

F=G•Mm/r^2 

F: 2つの物体間に働く引力の大きさ。
G: 万有引力定数と呼ばれる一定の値。
Mとm: それぞれの物体の質量。
r: 物体間の距離。

人間関係に置き換えると、それぞれの変数は、

F: 2人の人間に働く心理的力
Mとm: その人の持つ何らかのポテンシャルの要素
r: 2人の心理的距離

のように考えられそうだ。
質量に対応する、このMとmは一体何なのだろうか。

一般相対性理論によると、質量とはエネルギーであり、それにより時空が歪み、重力が発生している。(…らしい。)

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(Wikipedia 一般相対性理論 より)

詩中の「万有引力は孤独の力」、「宇宙はひずんでいるから求め合う」という言葉を考慮すると、Mは「相手を求める感情から発生する、周囲を歪ませ巻き込むポテンシャルエネルギー」と考えられないだろうか。(てゆーか、そう考えて!お願い!)したがって、Mは、人が持つ「巻き込みエネルギー」のMと再定義する。(どうもありがとう。)

では、あらためて再定義する。

自分と他人の間に心理的な万有引力が作用する。
その心理的力の大きさFは次のように表される。

F=G•Mm/r^2

G: 万有引力定数
M: 相手の巻き込みエネルギー
m: 自分の巻き込みエネルギー
r: 2人の心理的距離


2章 グラフによる可視化

万有引力をグラフに表し可視化することで、対象人物との間に働く力について考えていこう。

ある特定の2人の関係を考える時、それぞれの巻き込みエネルギーM、mはその人固有の値であるので一定とする。(時間軸を考えると違う気もするけど…)
すると変数はFとrなので、万有引力のグラフは下に示すF=1/r^2のグラフと相似である。このグラフをもとに、力Fの性質を考察していく。


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①心理的距離rとの関係

まず、r軸上に境界を設定してみる。

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A域: かなり近しい人たち(例:家族、恋人など)
B域: 近しい人たち(例:友人など)
C域: 遠い人たち(例:知人など)
D域: 知らない人たち

次に下の図のように、心理的距離に従って、対象となる人物をその領域に配置してみる。

あくまで「心理的」距離である。人によっては、同居している家族であっても遠くに感じることもあるだろうし、全く赤の他人のアイドルであってもハマってしまえば近く感じるだろう。「誰かを愛したその時から 家族の意味さえ変わってしまう」のだ。(槇原敬之『北風』より)

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グラフから心理的距離が近いほど大きな力が働くことが分かる。


②巻き込みエネルギーMとの関係

mは自分自身の値なので変わらないが、対象となる人物によりMは異なる。Mの大きさを変えてグラフにすると下図のようになる。
これは、巻き込みエネルギーMを持つAさんとの間に作用する力と、倍の2Mのエネルギーを持つBさんとの間に作用する力を描いたということだ。

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心理的距離が一定でも、相手の巻き込みエネルギーMが大きければ働く力も大きくなることが分かる。


③心の限界点

物体がある一定の力を受けると破断したり変形したりするように、心も一定の力を超えると何らかの影響を受けてしまうだろう。先ほどのグラフに、これ以上負荷がかかると心に大きな影響を及ぼす限界値を設定してみる。

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心理的力Fは力の絶対値(大きさ)のみを考慮しており、ベクトル的な扱いはしていない。つまり、力の方向性はその人の心の持ち様で正にも負にも作用すると考えて頂きたい。(正負を考慮することはできるが、ここでは省略し、別の機会に説明したい。)

限界値を超える力が人にとってマイナスだとは限らない。絶大な力で周りを巻き込み、素敵な方向に皆を導いている例を僕たちはよく知っているはずである。例えばこの方である。

2章のまとめ

①心理的距離が近ければ作用する力は強くなり、遠ければ弱くなる。

②人はそれぞれ巻き込みエネルギーを持っており、その大きさによって作用する力も変わる。

③作用する力がある大きさに達すると、心は変容する。


3章 検証と考察

① rについての検証〜SNSとの距離感〜
この思考実験の本丸は妻との関係であるが、まずは外堀を埋めるためTwitterをはじめとしたSNSとの距離感について考察を進める。(面倒な問題は後回しにするタイプ。)

世界との心理的距離は、SNSの普及前後で大きく異なると考えられる。下図のように、SNSがなければ到底手の届かなかった事象が、SNSの普及により自分の影響が及ぶ範囲に入ってくる。その気になれば、「世界に素手で触れている」感覚さえある距離感に近づける。(宇野常寛『遅いインターネット』より)

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ここまで接近すると、世界から自分に作用する力は非常に大きく、それ故に反作用として自分も世界に向けて強い力(鋭利な言葉たち)を発信せざるを得なくなっているのではないか。

どうすればこの強い力を限度内に抑制できるだろうか。対策としては、情報に対するリテラシーを上げ、SNSとの距離感を意識するしかないように思われる。(僕はリア充のキラキラさに心が折れてFacebookをやめてしまいました。これはリテラシーというより逃げですが。)


②  Mについての検証〜ジャイアニズム〜
人により巻き込みエネルギーの大きさは異なり、作用する力も異なることを2章で確認した。
世の中には絶大な巻き込みエネルギーを持った人物がいる。その代表例として、漫画『ドラえもん』に登場するジャイアンこと、剛田武氏がいる。

彼は自身の巻き込みエネルギーが大きいことを自覚しており、他人へのアプローチは主に恫喝によるものである。その対策として周りの人物は、剛田氏に自分の存在を想起させないように物理的距離をとって対応する。(=ジャイアンが来たから見つからないように逃げる。見つかってから逃げたのではジャイアンは逆に怒りを増幅させ追いかけてくるだろう。)相手に認識させないようにするということは、心理的距離を大きくとっていることに他ならない。(骨川スネ夫氏は全く別の危機管理法をとっているように思われるが、かなり高度なコントロール能力を有している為だと思う。)

なぜそうするのか。下図からも分かる通り、巻き込みエネルギーの大きい人物はある程度の心理的距離をとっても作用する力が大きいのだ。

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実生活における「パワハラ上司」や「やたら結婚を勧めてくる親戚」など、巻き込みエネルギーの大きい人物からは、その人物に認識されないように距離を置くというのが対策になりうる。(一般には難しいだろうが、僕の同僚にはかなり高度にその存在感を消す能力を持つ者がいる。彼は写真を撮っても写らない説がある。僕の持っている写真には微かに写っているので真偽の程は定かでない。)


③  r=0近傍の問題点〜子と配偶者〜
ついに本丸である。
距離r=0、すなわち、自分自身に近い位置にいる人物について考えてみたい。

自分の子供は目に入れても痛くないほど可愛いと言われる。親子の深い愛に心打たれる物語も無数にある。

しかし、殺人事件の52.2%が親族間で生じているという2011年のデータもある。そしてその動機のトップは「憤まん、激情」である。(法務総合研究所研究部報告より)

これはどう考えられるのか。

心理的距離rが0とは、自分自身のことと考えられる。このr=0に近い領域にいる人物は自分自身と同化して考えてしまう傾向があるのではないか。下のグラフより、r=0近傍でのFは極端に大きな値となっている。プラスの方向に力が作用すれば深い愛情の力となり、マイナスの方向に作用すれば深い憎しみの力となる。

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例えば、子供のイタズラを注意する場合を考えてみる。適切な距離を保っていればコントロールされた怒り(=叱る)を表現できるが、近すぎるとコントロールできない激しい怒り(=虐待)となりうる。家族といえども自分自身とは別の個体である。他人に対する敬愛を持って、距離をとるべきと考える。(え、何これ、道徳の時間?)


4章 結論

Twitterの言葉に心を乱され、会社からの電話に怯え、妻子の言動に腹を立たせていたんだった。どうすればいいのか?

もう答えは出ていた。

Twitterの言葉たちは動物園の柵の向こうにいるように眺め、興味を持てば自分の言葉で研究してみたらいい。

会社の電話には…出ない。(ウソウソ!ムリムリ!オコラレル!)

子供たちに対しては、彼らの人生があり、僕の人生ではないことを意識する。失敗は彼らの糧となる。

妻とも少し距離をおく。脳内で離婚したことにして、彼女を恋人以上妻未満として見てみよう。

そうニュートンが諭してくれたような気がした。


終章

万有引力の法則をそれらしく人間関係に適用し、僕は離婚したことにしたんだ。(元)妻はそのことを知らない。…あれ?待てよ。僕の心理的距離は遠くなったけど、(元)妻は昨日と同じ距離でいるはずだ。そうすると、二人の間には同じ力が作用していないことになる…。作用反作用の法則は適用できないのか…。いや、この距離の歪みが巻き『…なた!?』込みエネ『っと!あなた?!』ルギーMを歪ませて変化させ…

『ちょっと!?あなた!聞いてんの??いつも私の話聞いてないわね!』

皿を洗う手を止め我に返ると、そこには冷たい視線を送る妻の姿があった。

『これ、出したらちゃんとしまってくれる?もう何十回も言ってる!』

食卓では次男がまだ「線路は続くよどこまでも」を母音で歌い、反抗期の長男がそれに激昂している側で、長女が泣いている。

「♫えーんおあうううーお!!♪おーおあっえっおー!🎶」

「うるさいっ!あっち行けよ!!」

「びぇーん!びぇぇぇん!まんまんまぁー!」

僕は確かにこの家族を愛している。この人たちとの関係はどこまでも続いてほしい。続かせていきたい。

僕は妻の方を振り返って微笑み、なるべくすまなそうに聞こえるよう言った。

『ごめんね、忘れてた。ありがとう。』

Q.E.D.



追記 〜パクりではないです〜

『これは一世一代の面白い詭弁を思いついた!』と、四十肩で上がらないはずの両手を上げて喜び、この文章を書き始めました。
あとは図を貼り付けていくだけ…という段になって、僕が思いつく程のものを他の誰かが思いついていないことはないのではないか(←チャウチャウちゃうんちゃう?みたいな表現…)と思い、調べたところ、すでに万有引力と人間関係について論じている方がいらっしゃいました。

https://ei-infinity.com/?p=465

他にもいらっしゃるのかもしれませんが、少なくともこの方は僕より先に万有引力と人間関係について論じておられることを追記しておきます。

追記2  〜彼女は素晴らしい人です〜

UP後、読み直してみて(元)妻がすごく攻撃的な女性に感じるなぁと思ったので、誤解を避けるために追記します。
彼女は高い判断力、行動力を備えたデキる女性で僕はすごく尊敬をしており、かつ、絶大な信頼を置いています。彼女のおかげでこの家族がスムーズに回っています。また、とても品のある女性で、僕たち夫婦の中では「品を取ったら、品しか残らない」女性だと評判です。


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