見出し画像

さぁ、退職だ


先日、今年いっぱいで退職する事を決めた。

私は氷河期世代のちょっと後の世代。
はざま世代とも呼ばれて、みんな何でも一緒にやりましょうという教えと個性を重んじていきましょうという教えの間で混乱した世代だ。

氷河期世代に入っていないのが不思議なくらいの就職難だった。
年齢不問、経験不問、学歴不問なんて求人があれば1人の採用に100人は受けると言われていた。
たとえ、それが正社員じゃなくても。

書類選考でざっと30社は落ちた。
不問って書いてるのに…!?
もはや何で落とされてるか考える方が虚しくなる。
顔か?顔なのか?顔だよね?
それとも履歴書に書かれた字が少し斜めになりがちだから?
そのうち自分が悪い気さえしてくる。

結局、就職は諦め(というより、少し病んでいたのだ)時々旅に出たり、休んだりしながら様々なアルバイトを転々として過ごし、卒業から10年近く経ってから縁あって現在の会社へ正社員として採用された。

とても保守的で、昭和の体制がそのまま残っている会社だ。
それなりに安定していて、それなりにやってきた。(つもり)

けれど最近になって自分が少し変な事に気がついた。
なんだか、自分の人生を生きてる気がしない。
時間の感覚も変だった。
昨日の事なのか今日の事なのか、しまいにはどちらでも同じような気もする。

そんな中のコロナ入院。
私は自分の人生を取り戻して退院したようだ。

急に腑に落ちた瞬間があった。
「◯◯会社の◯◯さん」が私の常になっていたのだ。
 
私が「田舎 住子」さんだとしよう。

会社の休みは日曜祝日。(土曜は休みの時と出勤の時にがある)

つまり平日と時々土曜は「◯◯会社の田舎さん」として生きる。
日曜祝日は「田舎住子」として過ごす。

それを繰り返し、今年で11年以上となり、
いつの間にか「◯◯会社の田舎さん」にどんどん浸食され、ついには私の中の「田舎住子」が行方不明になってしまった。

田舎住子という人物が好きな事は何だったのか、何に幸せを感じて、何に癒やされていたのか。
そういう事の全てを忘れていた。
その頃には、映画にも本にも以前程のめり込まなくなり、内容がすぐに頭からスルスルと抜け落ちていった。

なんせ、就職難がキッカケとは言え、わりと自由に田舎住子はやってきている。
頭の中の、もしくは心のどこかで相当窮屈さを感じていたのだ。

社会に馴染み、日本の一般的な正しさで生きようと必死だった。
早く仕事を覚えて会社の役に立てるようにと必死だった。

老後の貯金だ、いや今は投資だ、情報の面でも正しさは目まぐるしく変化する。

僻地には仕事帰りに立ち寄るような心躍る店はないし、習い事をするような場所もない。
まっすぐ帰る。
 入社してから何年もの間、帰宅してから翌日出社するまではしっかりと「田舎住子」に切り替わっていたはずなのに、いつの間にか24時間◯◯会社の田舎さんのまま生きていたのだろう。

けれど目に見えないウイルスによって私はたった数日で突然人生がここで終わるかもしれないという状況になった。
 
明日のことはわからない、と思っていながらもどこかで軽んじていたのだ。
なんだかチープでありがちな言葉のように聞こえていたし、日常があたりまえにあるように思っていた節がある。
図々しくもなんとなく、病気で闘病してからとか、年老いて体力が少しづつ落ちてから…というイメージで、神様が少し考える時間を与えてくれる気がしていた。

会社に復帰すると、誰にも片付けられることなく机に(隣の空き机にまで!!)積まれた仕事の書類が目に入った。
優しい言葉をかけてくれる人もいたが、仕事の事には触れることはしない。

復帰してしばらくは息苦しく、歩くのも体の向きをかえるのもやっとだったので、泣きながら仕事をこなすだけの日々が続いたが、体力な快復するにつれ、まるでルービックキューブのすべての面が揃った時みたいに心の方もカチカチと整っていくようだった。
ひとり、粛々と仕事をこなす中で「◯◯会社の田舎さん」から少しづつ脱皮していたのだ。

これは!!この感覚は!
私の中に「原点・田舎住子」が戻ってきた。

田舎住子は強い。
変化や失敗を恐れる事もない。
(ありえない程失敗を繰り返したからだ!)
世間と群れなくても平気、人と違おうがお金がなかろうが批判されようが彼女は気にしない。
もう、ここから離れよう。
この世界をもっと隅々まで味わいたい、遊びつくしたい。新しい人たちに出逢いたい、話がしたい。
これが彼女の望みなのだ。

あの世には時間もお金も物も、持っては行けない。持って行けるのは満足感だけ。
それを満たすものは自分にしかわからない。
人生程オリジナルにカスタマイズできるものはない。

誰に読まれるか、もしかしたら読まれないかもしれない文章をひたすら書く自分が私は好きだ。
履歴書の書類選考の際に、例え顔で落とされたのだとしても、私はこの顔が好きだ。

1番の推しは自分なのだ。それが正解。
自分応援団長、田舎住子。

圧倒的に心強い。
誰にも認められずとも、彼女にさえ好かれているなら私は笑って生きていける。

さぁ退職だ。
これからが楽しみじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?