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ひだりきき

私はほぼ左利き。
ハサミや包丁は右だけど、その他は左を使う。

幼い頃の私はハサミを上下逆にして左手で使っていた。でも、切れ味があまり良くないので、厚紙はねじれて切れなかった。そこで、右手に持ち変えてみたらよく切れた。左手で切れなければ、右手に持ち替えていた記憶がある。そのまま右手で切るようになったようだ。

包丁に関しては、最初から右手に持たされたと思う。左手で切ると左端から切るので(当たり前だけど)教える母が不便だったとか。

子ども時代は、大人数の中でいろいろなものを教わる機会が多い時期。先生は右利きを前提として教える。
まだ子どもなので、左利きは少数という自覚が無い。何も考えず、言われた通りにやってみる。

その結果、教科書の位置も使いづらいし、給食の牛乳ビンもよく倒していた。
給食当番ではうまくスープをよそえない。有名な左利き泣かせのレードルのせいだ。

三角定規を使って平行線を描くときも、教わった通りに定規を当てても、うまくいかなかった。左手に鉛筆を持っているのだから、定規を固定すると鉛筆を上手く使えない。当たり前のことだ。 これには、さすがに先生が気づいて定規を持ち替えるように言われた。すんなり平行線が描けたときは嬉しかった。

習い事のクリスマス会。狭いテーブルにぎゅうぎゅうに座って軽食を食べる。そんな時も、お箸を持つ私の左手と友達の右手はぶつかる。そしてどちらかが食べ物を落とす、こぼす。
今思えば、左利きなんだから、左端に座ればよいだけだ。小学生の私はそこまで考えられなかったようだ。

左利き失敗談は、挙げればキリがない。
どれも自分は左利きだから、反対にするとか、左端へ行けばよいとわかっていれば解決することが多かった。

高学年になる頃には自分なりに工夫するようになった。
書道の授業では、大筆は右手、小筆は左手と使い分けて乗り切っていた。はね、はらいは右手の方が書きやすい。細かい動きは右手では難しい。それが理由だ。
教科書の位置も使いやすい方に変えた。ぶつかりそうな時は左端へ移動していた。

10代も終盤になると、人前でご飯を食べる、文字を書く機会が増えた。親より上の世代には、少し嫌味っぽく「器用に食べるもんだな」なんて言われた。中には「親が悪い、躾がなっていない」と否定してくる人もいた。私に言わせりゃ、「そんなこと言うあなたの方がよっぽど悪いよ」(心の声
もちろん、そんな人ばかりでは無い。「かっこいいね、サウスポーなんだね」なんて言ってくれる人もいた。
時計を右手につけているだけで、「左利きでしょ」なんて声を掛けてもらったり、「私も左利きだよ」と初めて会った人との会話のきっかけにもなった。
この頃には、左利きとしてそれなりに上手くこなせるようになっていた、と思っていた。

最近、左利きの木べらと出会った。どんなものかと、興味津々。迷わずに即購入した。
早速、使ってみると、なんと、驚き、感動の嵐。
何これ?今までは何だったの?これは魔法のヘラ?と思うほど、炒めるのが簡単に、そして上手にできた。
試しに、左利き用と教えずに子どもたちに使わせてみた。
「何これ?使いにくい。何でこんなの買ったの?」と言われた。
そうだよね、使いにくいよね。右利きには。
でも、私は今まで気付かずに、使いにくい右利き用でこんなものかと思って使っていたのよ。

これが、左利きの現実。

使いにくいものがたくさん。

右側に机がついている椅子、万年筆や水性ボールペンで手も文字も汚れる、紐付きのボールペン、お寿司の並び方、ケーキの向き、彫刻刀や缶切り、腕時計のネジ、トイレのレバー、右手で持たないと絵が見えないカップ、洗剤の詰め替えもラベルは裏側、、、どれだけあるのか、左利き泣かせの品々。

そして、他にも最近知ったことがある、
左利きに多いと云われる、左右盲。
左右盲とは瞬時に左右を判断できないことらしい。
実は、私も思い当たることが多い。
結構大人になるまで、ピアノの指使いを思い出して左右を判断していた。逆向きの物の左右を判断する時は頭の中で自分の向きをくるりと変えてからでないとわからない。恥ずかしながらアルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」の区別にも時間がかかる。〆切の「〆」、カタカナの「メ」は鏡文字に書いてしまうことがある。
全てが左右盲によるものかは、わからない。それにしても左右に関して少し認識が鈍いようだ。

左右盲の原因の一つとして、利き手の矯正や中途半端にどちらも使うので左右の認識に混乱するらしい。なんとなく、当てはまる。

左利きで不便なことはたくさんある。
それなのに私は「ひだりききの自分」が好きだ。

理由はよくわからない。
わからないけど、好きなんだ。




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