Oi-SCALE2022本公演「あの夏の暗い夜、虹の袂のエデン。」アーカイブ配信。
本作の着想について。
2011年3月11日14時46分18秒。東日本大震災の地震が来た時間。
もちろん震源地から遠く離れた地域に住んでいた人や、当時子供で記憶が曖昧な若者も居ると想う。
でも、どんな綺麗な虹を見た日より、皆既日食の日より、オリンピックで日本チームを応援した日より、人生観が変わるような映画を観た日より、誰かに優しい言葉をかけられた日より、美しい桜並木を歩いた日よりも、きっと日本人の多くが最も共通して記憶を持つ瞬間があの地震が来た瞬間だと想う。
あの瞬間のことは覚えてるのにあの年の記憶はみんな薄れてきている。
iPhone4が2010年に発売されてヒットしていた。当時はiPhoneはソフトバンクでしか取り扱いがなかった。震災の影響でJTのタバコの銘柄販売停止になった。澤穂希を中心としたなでしこジャパンがワールドカップで優勝した。震災被害の大きかった東北3県以外は7月に地上デジタル放送に完全移行して、アナログTV単体では視聴不可になった。首都高速の値段は一律700円だった。ドヤ顔って言葉が流行ったり、ベクルルとかシーベルとか放射線量を示す聞きなれない単位をよく耳にした。水とガソリンが売り切れた。公的な建物の冷房の設定温度が上げられて暑かった。
あの夏の夜、東京の道は暗かった。福島第一原発事故の影響で電力供給は逼迫して、街灯の点灯が間引きされていた。
僕が東北のボランティアから東京に帰ってきた時、飲食店の灯りで明るく酔っ払いたちが普通に歩いてる渋谷の街を異様に感じた。
僕の一番好きな映画「セブン」の中でモーガンフリーマン演じるサマセット刑事とブラッド・ピット演じるミルズの台詞を想い出す。
「無関心がまるで美徳のようにもてはやされ、大事にされる場所には住み続けられない」とサマセットは言った。
僕らの世代みんながハマったフェイバリットムービーだけど、今になって少しづつ解ってきたこともある。
そしてコロナ禍の今も全くこのセリフが身に染みて想い起こされた。
みんなが生きたくて、みんなが家族に死んで欲しくないのに、なのにみんなの心はちょっとしたことでバラバラになってしまう。
2011年、東北でボランティアから一文なしになって東京に帰ってきた僕が本当に迷い込んだソープランド街でのアルバイトの話が本作で再現されてる部分があります。
本作に取り掛かろうという心持ちになった経緯は公園前に書いた下記記事内でもお分かりになっていただけると想いますので、是非こちらもよろしくお願いします。
舞台写真公開。
撮影・空が飛べると想ってみる。
FUJIFILM XT-4 XE-4・16mm F1,4 18mmF2,0 35mmF1,4
アイディアノート公開。
iPadのノートにとにかくアイディアを書き込み、それをスタッフと共有していくという方法をとっています。物語を書く前から照明や美術のイメージが先にあることが多いです。字は雑で汚いですが、丁寧に書いても汚いです。
劇中演奏ちょい見せ映像
オープニングの林のプロローグから、車の運転シーンで2011年にタイムスリップするイメージで2011年のヒット曲のバックトラックを演奏しました。
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