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"行ってきます"の反対語は"おかえり"

明日(20日)は彼女の四十九日なのだが、事情があったため、本日(19日)、彼女のご実家に伺ってお参りをさせていただいた。

お昼前、部屋に飾っている彼女の写真に「行ってきます」と声をかけて家を出た。

私の家の最寄り駅から彼女のご実家の最寄駅まで片道1時間半。その間、参考書など読めるはずもなく、思い出の写真を見てはひとしきり涙を流していた。
ご実家の最寄駅からは、ありがたいことに、彼女のお母様が迎えにきてくださった。

ご実家に到着すると、ピアノが置いてある防音室で彼女は待っていた。
小さな骨壷に収められた彼女を見ると、亡くなってから荼毘に付されるまでの数日間の記憶が思い起こされる。数日前まで笑顔で話していた大切な人が、あっという間にこんなに小さくなってしまったと、ひとの命の儚さを初めて感じたときでもあった。

彼女の横には、数々のトロフィーや彼女がコンクールで入賞した時の新聞記事などが飾られていた。音楽に打ち込んでいた当時の彼女の姿を想像すると、色々な気持ちが込み上げてきて、とてもここでは表しきれない。

彼女に手を合わせた後は、しばらくお母様と彼女の思い出話をした。
帰り際には、事前にご両親に相談した上で用意していた"遺骨ペンダント"に、彼女の遺灰を少しだけ分けていただいた。

そのおかげか、今日の帰り道は彼女と歩んでいるような気持ちになり、涙を流さずに電車に乗ることができた。

やっと僕の家に帰ってきてくれたんだね。

自宅のドアを開けたときの一声は「ただいま」ではなくて「おかえり」だった。


※いつも以上に拙い文章になってしまいましたが、眠気が限界なので後日編集することにして寝ます…

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