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阪神タイガースと私

気づけば、もうキャンプの一軍招集メンバーが発表されていて、2024シーズンが始まってしまう。

38年ぶりの栄光を記念し、また史上初の連覇という偉業を願って、ちょっとした自分語りを記しておきたい。


1985年生まれの宿命

私は1985年生まれの、阪神タイガースファンである。これが何を意味するか、おわかりだろうか?

「あんたが生まれた年に、阪神は日本一になったんやで。バースと掛布と岡田がおって、めちゃくちゃ強かったんやで」

物心ついた頃にはそう教えられていた。先祖代々阪神ファン。そういう環境で私は育った。

暗黒時代の幼少期

しかし、野球というスポーツを理解できるようになった頃、阪神タイガースはすでに「暗黒時代」であった。

あまりにも勝てない。

一瞬だけ2位に浮上し、若手の亀山と新庄が躍動した「亀新フィーバー」があったものの(今ではBIG BOSS SHINJOが阪神にいたことを知る若者も少ないだろう)、基本的に野球は負けるものだと思っていた。

対象的に巨人は強かった。なんかよくわからんがとりあえず強い。阪神は負けるから巨人ファンになろかな、などと嘯いたら、

「そんな子はうちの子とちゃう」

と、母に人生で一番冷たく突き放され、今でもトラウマになっているほどである。母にあれ以上怒られたことは38年も生きてきて、ほんとうにないのだ。いやほんまに。これは驚くべき英才教育、いや洗脳だった。

讀賣は諸悪の根源、ナベツネは悪魔の手先である。そのように育てられた。

タイガーステスト

私が中学生になっても、阪神はいまだ暗黒時代から抜け出せずにいた。

ちょうど、85年の日本一チームを導いた吉田義男(よっさん)が3回目の監督となったもののダメ虎は浮上せず、その後を引き継いだ名将・野村克也でもついに強いチームを作り上げることはできなかった。

ところで、我が母校の中学には当時「タイガーステスト」なるものが存在していた。国語科の先生に阪神ファンが多かったため、阪神が負けた翌日は、漢字または百人一首の小テストが行われる。

当然ながら、毎日のように小テストに苦しめられた。それは野村になっても変わらなかった。監督なんか誰がやっても一緒や、という諦念があった。

なお、今ではタイガーステストは行われていないらしい。一部の保護者からクレームがあったのか、暗黒から抜け出して回数が減ったため辞めたのか、そもそも国語科に阪神ファンの先生がいなくなったのか、卒業生の間でいろいろな噂はあるが、定かではない。

常勝期の学生時代

2002年、星野仙一が阪神にやってきた。

星野政権では、アニキ・金本知憲をはじめとする大型補強があり、今岡・赤星ら生え抜きも飛躍の年を迎え、あれよあれよと2003年にリーグ優勝を成し遂げてしまった。

私はちょうど2003年、大学に入学し、阪神ファンの先輩たちと優勝を喜んだ。18年ぶりのリーグ優勝。生まれて初めてのリーグ優勝である。日本一こそならなかったが、強いチームになったなぁと感慨深かった。

翌2004年からは、後任として、あの85年の主軸である岡田彰布が登場。JFKが野球を変えた。2005年に2年ぶりのリーグ優勝となり、常勝タイガースが誕生した。しかしここでも、日本一は達成できなかった。プレーオフで勢いづいたロッテに大敗を喫したのだ。ちなみに「33-4」の悪夢というネットミームは、当時では観測されてはいなかったということらしい。

この(第一次)岡田政権の時代、最もセ・リーグが面白かったと思っている。中日に落合、巨人に原、常にAクラスで三つ巴の戦いをしていた。采配を含めて見どころが多い試合運びだった。

だが2008年、その三つ巴に終止符が打たれた。最大13ゲーム差をつけて独創していたが、北京五輪のどさくさに新井貴浩(現・広島監督)が故障し、巨人に捲られた歴史的なV逸である。俗に言う「Vやねん」として、33−4に並ぶ阪神ファンの新たなトラウマとなった。

そして、その責任を取り、岡田彰布はタイガースを去った。

低迷・再建

2009年、真弓政権の始まりとともに、私は社会人生活を始めた。開幕直後の4月、祖父が亡くなった。

祖父の病床で、祖母と母と叔父と私で、テレビを見ている。それはもちろん阪神戦のデーゲームである。

「真弓はあかんな」

などと言いながら、祖父を見送った思い出がある。

Vやねん以降、主力の衰えが見られはじめ、ドラフトで取ってくる期待の若手はいつもどこかに消えていた。世代交代がスムーズに行かないのは世の常とはいえ、どこか「おもろないなぁ」という気持ちが強かった。

ユニフォームを脱いですぐの岡田彰布は、解説で真弓批判を繰り広げた。的を得た物言いが面白く、岡田がオリックスの監督に就任してからは、私はオリックスとの兼任ファンとなり、何回か京セラドームにも通った。2ちゃんねるで「そらそうよ」スレが立ち、岡田の独特な「どん語」が語録化していくのもこの頃だったかと思う。

和田豊が監督を引き継いでも、阪神の野球はなんとなく面白みに欠けるように思えた。一度だけCSを突破し日本シリーズに出たときは、「光の中から現れた短期決戦の鬼」などと盛り上がっていたが、総じて地味な印象だった。メッセンジャーやマートンを初めとする助っ人外国人選手の存在感が大きく、弱くはないものの、圧倒的なチーム力とは言えなかった。

金本・矢野政権の時代(2016-2022)は、実はほとんど野球を見ていない。仕事が忙しくなり、中継を見れる時間帯に家にいない。追い打ちをかけるように、2019年に東下りとなり、私は驚愕した。

「野球の中継がない……だと……!?」

東国にやってきて初めての住まいには、BSアンテナがなかった。地上波ではナイターでもデーゲームでも、ほとんど中継をやっていない。これは驚くべき東西の文化差であった。

このように近年は野球を見れる環境ではなかったということもあるが、それ以上に、私が大好きだったスター選手である金本と矢野が、ベンチで監督として座った瞬間に死んだ顔になってしまう、それを見るのが辛かった。(実際、金本政権では最下位となっている)

そんな理由で、しばらく野球から遠のいてしまった。

そして2023年のアレ

私の野球熱に再び火をともしたのは、他ならぬどん様こと岡田彰布の登場である。

阪神のタニマチの家に生まれ優勝パレードカーに乗り、ドラフト1位で阪神から指名され主軸として85年の日本一メンバーとなり、二軍監督と一軍監督で両方優勝した、生粋の阪神ファンが、最後はタイガースのために、と再びユニフォームに袖を通す。熱すぎるやん。

ちょうど2022年のオフにBS視聴可能な家に引っ越したこともあり、NHK BSの名番組「球辞苑」を見ることもできた。春先にはWBCも盛り上がり、私の野球熱はますます高まっていった。

2023年はもうすっかり世代交代が行われていたので、久しぶりに選手名鑑を買い、若い選手の名前を覚えるところから始めていった。他球団の知っている選手ももうベテラン勢の一員か、首脳陣としてベンチにいるか、引退してYouTubeをやっている。隔世の感を覚える。

その後のペナントレース・ポストシーズンの快進撃はご承知のとおりだが、今のタイガースの大好きなところを少し掘り下げておきたい。

若くて真面目な選手たち

いちばんのベテランが33歳という、とんでもなく若いチームで優勝してしまった。前回のリーグ優勝時は他球団からFAやトレードで補強したメンバーが多く年齢層も高かったが、今度は違う。近年のドラフトが実を結んだ結果とも言えるが、この戦力を作り上げた球団に敬意を表したい。

また、優勝旅行でもトレーニングを欠かさないような、真面目で意識が高い選手ばかりだ。阪神といえばタニマチ、というほどタニマチの影響力は強いはずだが、オフになっても遊び歩かずトレーニングを欠かさない選手たちには頭が下がる。

真面目なのは野球の練習だけでなく、私生活にも及んでいる、スキャンダルはほとんどなく、若くして結婚し、安定した家庭を築いている。なんだこれは。真面目すぎるやろ。

関西出身の生え抜きが多い

西宮市への優勝報告には、監督とともに兵庫県出身の選手が並んでいた。坂本(養父)、近本(淡路島)、才木(神戸)、佐藤輝(西宮)、村上(淡路島)。兵庫県だけでこんなにいるのか、と思ったものだ。

かつて生え抜きの主力として活躍した井川や鳥谷のように就職で初めて関西にやってくる選手は、阪神ファンというものがどういう生き物なのかを知って驚いたと口を揃えて言う。

しかし地元出身者はこうはいかない。阪神に入るということはどういうことか、嫌というほど知っている。実際にファンとして育った選手も多い(村上の讀賣巨人嫌いです発言しかり)。だからこその覚悟を持って、日々プレーしてくれているのだと思うと涙を禁じ得ない。

もちろん関西以外の子たちもがんばってほしいし実際にすごい選手たちなのだが、関西のチームなのに地元の選手がいないのは寂しいものだ。そういう意味でも、現在のチームは理想的だと思える。

首脳陣・裏方さんもすごい

ここまで読んでくださった方は、私がどん様のことが好きで好きでたまらないのをご理解いただいているはずだが、その他の首脳陣も大好きなのだ。

ビールかけの挨拶からアサヒ生ビール・マルエフのCMをゲットした名参謀・平田ヘッドは、38年前どん様と二遊間でコンビを組んでいたレジェンド。

常にどん様の傍らに控える安藤とブルペンを預かる久保田、佐々木朗希攻略のためシーズン唯一の円陣を組んだ今岡、信号機として三塁コーチャーを守る藤本、みんな18年前のリーグ優勝時代の生え抜き主力メンバーである。

さらにどん様が招聘した馬場さんと水口さん、前政権から引き続いて一塁コーチャーにいる筒井さん、スコアラーさんや広報さんもみんな一丸となっているように見えた。

スカウトやブルペンキャッチャーにも見知ったOBがたくさんいて、また在阪メディアで盛り上げてくれるたくさんのOBがいて、2005年から18年という時間があって、今ここにいるんやな、生きてて良かったな、という気持ちにさせられる。

阪神タイガースを応援することは、ただのスポーツ観戦ではない。

人生そのものだ。

2024年のアレのアレのアレのアレ

もう数日でキャンプが始まってしまう。2023シーズンの余韻に浸る時間が短すぎた。

才木が大谷から奪った三振、村上のあわや完全試合、5月の快進撃と6月の失速、近本の離脱と復活、バトルブロックへの抗議、大竹のバスター、西勇輝の2時間6分の力投、栄光の架橋からの優勝、ミエちゃん主役ちゃうよ、佐藤輝の盗塁、湯浅の一球、大山の申告敬遠満塁サヨナラ、森下の3塁ベース叩き、ノイジーの就活3ラン、おつかれ生です……いろいろと思い出はあるけれど、ひとまずここで一区切りにしておきたい。

2024年は球団初の連覇がかかっている。アレンパだ。それは楽しみであると同時に、不安でもある。

とにかく阪神ファンはネガティブである。10ゲーム差が開けばVやねんがよぎるし、日本シリーズに行けば33−4がよぎる。2023年はそういうシーズンだった。ほんとうに心臓に悪かった。

ただ、今の阪神の選手たちを見ていると、そんなことは杞憂のようにも思える。仮にアレンパならずとも、良い試合をたくさんしてくれるはずだ、という信頼と期待感がある。それが嬉しい。

どん様、今年もおもろい野球たのんまっせ!

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