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成人式

まずは、無事成人式を迎えられた皆様、おめでとうございます。20代、沢山経験をして人生を謳歌して欲しいと願う。

私も、かつては20歳だった。

中学の頃の担任の先生から連絡が来て、実行委員会に選ばれた。公民館に集まり、何度か市の担当の方々と話し合いをし、当日私は司会を担当した。
本当に原稿を読むだけの、今思うと司会とは言いがたい、ちょっと恥ずかしい経験だった。
というのも、募金を募るアナウンスをした後、時間もあけずにありがとうございました、と勝手に言ってしまった。
実際には、まだ終わる気配もなく集めていたのでその点は助かった。
徐々に引いていくような感じだったので、(多分)周りの皆にも伝わっていたのかもしれない。

振袖は赤い、いつも地味な括弧しかしていなかった私にとっては少し派手なものを選んでいた。

その後の同窓会も、実はあまりよく覚えていない。この文章を同級生がもし読んでいたら申し訳ない。

今とは違って携帯電話もガラケーだったので、LINEなどを使っていたらまたコミュニケーションも多くなっていたかもしれない。


亡くなってしまった私の兄は、40歳になった時に、2度目の成人式と題して同窓会をやった。
そこで兄は実行委員長をしていた。

委員長だからと、挨拶文を考えていた。妹である私にまで、「これでいいかな?」と便箋に長々と書いた挨拶文がLINEで送られてきた。残念ながらそのLINEが消えてしまった(機種変更のため)ので、どんな文章だったのかみることができない。どんな事でも残しておく事の重要さを感じる。

私は「自分で読んでみれば?」と、大勢の人の前で話すということを考えてのアドバイスをしてみた。今思うと本当に一丁前であった自分に気づく。

兄は、その文章を飲み仲間である数人に読んで聞かせていたという。
兄は、私のアドバイス通りに、挨拶の練習をしていた。
兄が亡くなった後に知った貴重な貴重な事実である。

実際に読んでいた原稿を発見した。中学の卒業アルバムに挟んであった。無くさないようにと、わかりやすい所にでも置いておいたことが私には伝わった。兄の死後、来てくれた同級生が開いたことで見つかった。読んでみるとかなり書き加えられていて、私は驚いた。委員長になったいきさつが事細かに書いてあった。その場にいる人達に伝えるために必死で考えたものということがわかった。時折、クスッと笑える一面もあり、「兄らしさ」を感じるものだった。

そして最後には、私たち家族に一人一人に対して感謝すると挨拶を締めくくっていた。

これを集まったたくさんの同級生、恩師の先生方の前で便箋を見ながら読み上げたということを、私は一生忘れない。
数年経った今思い出しても胸が熱くなってくる。

最高の兄である。
私の自慢の兄でもある。

大好きなお兄ちゃんを、私は誇りに思う。

何かいいものを食べます。生きます。