見出し画像

2021/12/25 から26にかけての富士山を廻る記録(縄文人が歩んだ道を辿る旅)

これは、リウマチを患う知人と一緒に出かけた旅の記録です。
今回のコンセプトは縄文と富士山を堪能する旅。
この記録は、富士山に関する方のたどった軌跡のおまとめです。

12/25 16時ごろ
下諏訪から富士山を眺めて
諏訪の黒曜石を求めた縄文人も
この光景を眺めたのだろうか?
と想いを馳せる

少し時間が過ぎると、
次第に夕焼け色に染まっていく。
赤みが増した富士山も美しかった。

到着時は、少し山頂付近に雲が残っていたが、
諏訪湖を離れる間際には、雲ひとつ無く
美しい型を堪能できて、本当によかった。

帰る間際に見た、諏訪湖越しの富士山

諏訪から富士山までは、糸魚川静岡構造線の関係で、富士山まで遮るものが思いの外何もない。

この景色の先に、縄文人が黒曜石を求めて歩んだ道が続いているのかと思うと、なんとも言えない気持ちになる。

諏訪湖から富士山を見た翌日、山梨県側から富士山を目指していく道中のマップ
縄文人が諏訪を目指した道は、だいたいこんな感じかと

その後は、山梨県方面に向けて電車の旅。
縄文人が何日もかけて歩いたであろう道のりも、
電車を使えば1時間ちょっとで行けてしまう。
本当に便利な世の中になったものだ。

あれから数千年の時を経て、
同じ道のりを辿る為の手段やツールはガラリと変わったけれど、
同じ景色を見た先に感じる想いは、
遥か昔の人と同じだと良いな……なんて思いながら、1日目の旅を終えた。

12/26 夜明け前

今度は、ゆるキャンの聖地と化している
ほったらかし温泉から、富士山と日の出を愛でる。

日の出目前。山梨市駅からタクシーでほったらかし温泉へ移動。
始発移動だったのだが、山梨市駅にタクシーはおらず。手配がとても大変だった。
電話に出てくれた運転手さん、本当にありがとうございました。

ほったらかし温泉の券売機で、チケットを購入した直後の富士山。
山梨市の夜景の名残りと、
街と広大な山々の対比と、
山頂からたなびく雲が格好良かった。

その後、温泉に浸かりながら日の出を堪能。
あまりにも空が澄み渡っていたからか、
この日の太陽は、一際力強く感じられた。

まるで鉄を溶接する時に放たれる閃光の如き強烈な光が山際から現れた瞬間は、心が揺さぶられる想いがした。

この日は、まあまあ風も強く、
湯から外に出るのが大変だった。

暫しノンビリと湯に浸かり、8時半くらいを目処に温泉を出る。

太陽が登り、晴れたる青空に映える富士もまた、大変美しい。

ほったらかし温泉から、
山梨県笛吹川フルーツ公園、
山梨市フルーツパーク方面へと、
徒歩で下山しながら景色を堪能。

下山しながら見える富士山は、また場所ごとに見える光景が少しずつ違って面白かった。

ススキらしき植物越しの富士山も
風情があって良かった。

明るくなって、街並みの見え方も変わった。
字の如く、夜明け前とは見える世界が変わっていた。

山梨市フルーツパークまで降りて来ると、
そこには恋人の聖地なる場所があった。

新日本三大夜景スポットと言われるだけあり、
障害物に遮られる事なく
富士山などの周囲の山々を見渡せる開けた景色と、
その先にある海原のように広がる街並みは
ただただ見事だった。

その後、山梨市駅にバスで移動。
山梨市駅から富士山の方角を見て目を凝らすと、
雲が掛かった頭が、ほんの少しだけ覗いていた。

その後、甲府まで電車で移動し、
身延線各駅停車で富士山を堪能。
東側と西側で、見える景色が違うのがとても興味深い。
主に富士山が見え続けるのは東側。
しかし、より富士山らしい富士山を拝めるのは西側。富士川などの川の景色も楽しめるので、ただひたすらに窓の外を眺める旅だった。

道中、2回ほどステキなカーブが有り
そこから見える富士山は、最高に素晴らしかった。

この辺りから綺麗な富士山が見えていた
カーブ中な為、真っ直ぐにとるのは難しい
富士山を遮るものが非常に少なくて綺麗に見えていた
反対側だと、電柱や建物に遮られる事多し。

その後、終点の富士に到着した時、
東海道本線の上りで事故発生のアナウンス。

この後、帰り道のJR東海道本線にて、
田子ノ浦付近から臨む富士も写真に収めたかったのだが、そこまで頭が回らなかったのが悔やまれる。

折り返し運転中の東海道本線の車両から由比駅か蒲原駅付近に差し掛かる際に見える、
夕日に照らされて赤紫色へと色づいた富士を見て、
山部赤人さんの有名な句に想いを馳せる。

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 
 富士の高嶺に 雪は降りつつ」

乗車中に見える雪化粧の富士山は、
車両から見る時間が短いからだろうか、
雪はふりつつ を感じられるほど
しみじみと眺めることは出来なかった。
万葉の元歌の 雪は降りける という表現が、
ある意味しっくりくる様に感じた。

雪は降りつつ の世界観は、駅に降りだ方が感じられそうなので、そのうちチャレンジしたい。

縄文の時代から今なお見える同じ景色。
この先も、ずっと先の世の人にも
是非とも感じて貰いたいなと、心から想う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?