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青が澄んだまま棲んでいる

もやもやしている時ほど、自分の言いたいことが簡単に明確になるのが早い。もしくは早くスッキリしたいからこそ、それっぽい答えを出そうと頭がフル回転するのだろうか。わたしはその「明確化された風の何か」を自分なりに言語化し、どこかに吐き捨てるだけで少しスカッとする。品のないやり方であることは否定しないが。言葉を紡ぐことは自分の思考整理方法の一つであり、頭がごちゃごちゃしているほどに整理すべき対象物があちらこちらにある。やるべきタスクが自分の方から顔を出してくれ、わたしは探すことに精を出すことなく、ただただ目の前にある障害物を攻撃して次々と倒していけばいいだけだ。思考することは疲れる。選択をすることも疲れる。指示だけもらってその通りにやるだけならいくらでもできる。だってそれはわたしの選択じゃないから、少しだけ、自分だけの責任ではないと思えるから。実際にはその問題に少しでも手を出した時点でわたしにも責任が生じるわけだけど、でもわたし以外の人もこの責任を負ってくれている、という感覚はわたしを少し強くしてくれる。自分がだめになっても誰かが後ろにいるから大丈夫。誰かに寄りかかれるという喜び。自分は一人じゃないという感覚。錯覚でもなんでもいいけど、自分が少し強くなれた気がしてくる。モチベーション次第でパフォーマンスに差異が出るのなら、良い思い込みなんてやってなんぼだと思う。
高専時代の五条悟が二日間の徹夜と術式出しっ放しで天内理子を保護しようとした時、それを心配した夏油傑に言った言葉。「問題ねぇよ 桃鉄99年やった時の方がしんどかったわ それに オマエもいる」傑、呆れた風ですごくすごく嬉しそう。「まぁ大丈夫でしょ 俺達最強だし」もそう。二人で最強だった青の時代は一過性のもので、二度と戻れなくて、だからこそ青はいつまでも澄んだまま心の中に棲んでるんだね。
文脈も何もかも無視してただ自分の言いたいことを掃き溜めてみました。

タイトルはキタニタツヤさんの「青のすみか」の歌詞の表現を拝借しました。

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