【日記】穏やかではなかった日

 2024年9月23日、午後5時24分 書き始めます。

 昨日は穏やかに過ごせていたはずが殴り合いのけんかの仲裁をする羽目に。現実世界での死亡フラグじゃん。仲裁して殺されたって人の話をたまに聞くし。まあ刃物が出てこないで良かった本当に。

とはいえ解決したわけじゃないから安心とは程遠い。それにしても何でこんなことに…。もう嫌になる。ただでさえこの界隈はクズやキチガイが多い地域で色々と面倒なのに。

平和な日本は過去の物か…と言いたくもなるが、実際は前に居住していた所も今住んでいる所も、知りうる限り30年以上はこの界隈はこんなもんか。平和な日本があるのなら私をそこに住まわせてほしいものである。粗暴な連中のいないところに。

 その反面、今日は現在までまあまあ穏やかに過ごせている。そして食料が少し届いたりした。しかし、やっと涼しくなり気がつくと日も短くなって秋めいてきた。すると今度は何とも理由なく切ない気持ちに。こういった気分ってのは社会的な出来事以上に気候に左右されるよなあ。切ない。

この切なさで今この瞬間、ふとフレイザーの金枝篇にて言及された儀式を思い出した。

植物神(GodではなくDeityかもしれない)が秋に老いて冬の訪れとともに死んでしまう事を恐れ、植物を身にまとい神に扮した人に死に役を演じさせそれを弔い、やがて若いままの神が春に再生する事を願う神殺しの儀式。今ならその人々の気持ちがほんの少しわかるような気もしないでもない。何となくではあるけれども。

しかし、それにしても漠然と切ない気分になる季節だ。こういう季節ってギャルゲのようなAVGを遊ぶのにちょうど良いように思う。

 オタク的な話としては、さて、今夜のシスプリの可憐ちゃんお誕生日配信は無事にみられるだろうか。

そして昨日と今日でサイバーパンク2077において更にショットガンで飛ぶ方法を編み出した。楽しい。

午後6時05分、書き終えます。

午後6時11分 追記。
 そういえばこの切なさには心当たりがある事に今気付いた。子供の頃、ゲームに熱中していつの間にやら辺りが暗くなり始めていた時の何とも言えない切なさだ。

というのも、今日は長時間サイバーパンク2077でショットガンを使ってピョンピョン跳ねて遊んでいたからだ。この不毛な熱中のうちに訪れる日没は、かつて幼い時分に友人宅でファミコンを遊んでいて日が傾き、友人がその場を去って一人になった瞬間、ファミコンの音が薄暗い部屋に響いている時の切ない不思議な感覚。あの時の感覚に似ている…って何か数カ月おきに似たような事を書いている気がするな。さすがに昨日は書いていないよな?怖くて確認できない。

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