慟哭の野良犬

この投稿はフィクションです。
しかし、
現実に進行している作者個人が関わる「事件」と、
時系列がリンクしています。
おそらく長い戦いになるであろうと予想されます。
この投稿は、
犬と猫に、
己を捧げてきた作者(=私)の人生の記録であり、
権力の理不尽との戦いの記録です。
この「物語り」には、結末が記されない可能性が大です。
結末が記されない理由は、
作者が不慮の事故等で亡くなったか、
経済的に限界を迎えたか、
のどちらかの場合だとお考えください。
また「大団円」の結末が記される可能性も僅かに残されています。
作者は「大団円」を目指して戦いを開始します。

プロローグ
2022年7月23日14時18分。
宮崎県串間市の海水浴場の駐車場で、
正木洋一は、
15年連れ添った愛犬「パンチ」の、
最後の息吹を見届けた。
もう、終わりが近いことを痛いほど認識していたので、
パンチが好きだった「海」へと誘ってきたのだ。
他の2頭の犬たちを散歩させて、
車に戻った洋一は、
喉が渇いているだろうパンチに、
スポイトで水を飲ませた。
パンチは、吸いつくように水を飲んだ。
その直後、
痙攣が始まり、
深く息を吐くと、
パンチの胸が動かなくなった。
目は閉じられていた。
洋一は、
自分の半分が、
永久に失われたことを認識した。
「おつかれさん。よく頑張ってくれた。ありがとう」
3度もの「安楽死」の推奨を蹴り、
最後まで見届けようと決意した結末だ。
最後の1週間は、
水も食べ物も受け付けず、
とても苦しい時間だった。
それでも洋一は、
自らの決意に従い、
懸命に世話をした。
本来ならば、
駐車場のアスファルトに倒れ込み、
大声で泣き喚き、
拳を打ちつけ、血だらけになっていただろう。
ところが、
パンチを悼む気持ちはあれども、
「悲しみ」や「後悔」が、
微塵も襲ってこない。

パンチが、

悲しみや苦しみの感情も、

半分、持ち去ってしまったかのようだ。
その代わり、
ふつふつと湧き上がってきたのは、
「怒り」の感情だった。
「怒り」は身を滅する。
帰依する仁徳者の先生に、
繰り返し繰り返し、教わったことだ。
しかし、
洋一は、その教えに背いてしまった。
この瞬間に、
洋一は、
別の人間へと変貌した。

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