自分の何の能力が用いられると考えたか

(2022年3月東京基督教大学入学時の証の締めくくり部分から)

リプラス時代に、私がしていた活動があります。「もやい」というNGOがあります。DVで家を出てきた人達の住居を見つける支援をしていた団体です。私の大学自体の先輩達がやっていた活動でもあります。DVで家を出てくると、新しく住むところを見つけるのは至難の業です。住民票を移してしまうと、居場所がばれて何が起こるかわかりません。この「もやい」の活動に、リプラスとして入居時の保証を、ほぼ無償で提供すると同時に、「もやい」がやっていた活動を分析して、どうすればスピードを早めることが出来るか(早く住むところを見つけ、早くDV被害を打ち切る、というのが重要でした)をアドバイスしました。そして、会社として彼らの相談相手になるという事を続けていました。

あるいは、東京大学に私が寄付(昔はお金がありました)したお金で作った奨学金がありました。当時の小宮山総長は、独自財源を作ることに熱心な方でした。どうすれば、波及効果を持つ資金の出し方があるだろうか、色々と議論をしました。用途を絞ることで効果が見えやすくなり、かつ個人からの寄付金であり、その事を東京大学として顕彰することを前面に出した形にしたら、事例として説明をしやすくなりその後に続くのでは無いかと提案をしました。実際に、アジア圏からの留学生だけに対象を絞って、私の個人名をつけた奨学金は、その後の東京大学の寄付金集めで、かなりの効果を産みました。

私のキャリアは経営のコンサルティングから始まりました。例えば営業戦略では何をするのか。何か特殊な成績をだしている人や支店を見つけ出す。その人や支店がしていることの成功の鍵、学びを見つけ出す。それを他の人や支店でも学べるように一つのケースとして記述します。そのサイクルを回し続けるための仕組みを作ります。

次に私のキャリアはベンチャーキャピタルに移行をしました。ベンチャーキャピタリストは何をするのか。育ちかけている事業を見つける。その事業が育つ周囲との関係を導く。孤独で苦しみ、様々な経験をまだ経ていない事業家の相談相手となります。

その後、私のキャリアは、ベンチャーキャピタルから起業に移りました。起業家は何をするのか。何かの種を見つけます。種は往々にして自分の中には有りません。外部です。その種に水をあげて芽を出します。一緒に夢を見る人を見つけます。その人たちが、普通の「労働」では出せないような結果をだすように考えます。

私自身は、結果としてお金に対して貪欲であったり、人並外れた執着心を持っていたわけではありませんでした。従って大きな失敗もしました。多くのものを失いました。
ただ、50歳になり、祈っていた時に導かれました。この私の経験は、日本宣教において私が出来ることに繋がると。そのために神様は、私にこのような経験をさせてきたのかもしれません。
様々な教会とクリスチャンの働きを見つけ、相談相手となり、取り組んでいることの成功の鍵を見つけ、想像以上の結果を出すための促しをする。そして、それを他の方々の学びに繋げ、支援と共感を生む。

私は、まだ今の日本の状況に深く通じているわけでは有りません。実際にやること、やらなければならない事というのは、良く調べ、考え、作り上げていかなければいけないでしょう。

当然だが福音はビジネスではありません。勿論、単にお金儲けでなければいいという話でもありません。ビジネスは人と人との間の契約関係で成り立っていくものです。でも福音は信仰の話です。神と我々の関係です。

我々は「神の国の一員として迎えて頂けた」兄弟姉妹です。そして、イエスを信じ、洗礼を受け、神の国を待ち望む喜び、福音を伝えたいという点で繋がっている兄弟姉妹です。何をしようが聖書に立ち戻り、聖書を読み直さないといけません。

そして、「破れ口」にたつイエスが言われたように、律法・世の事ではなく、ただ信じることを深めなければなりません。そして、兄弟姉妹との間で、聖書に対する思いと理解を語り、神に祈りながら道が示されるのを待たなければいけません。

今の私は、まだそういった事を徹底するだけの聖書に対する理解がありません。使命を果たしていくために役立てることの出来る経験はあります。しかし聖書の理解は入り口にたったところでしかありません。今の私が、いきなり使命を果たそうとしても、聖書に書かれていないことを想像だけで行いかねません。また、兄弟姉妹との間の信頼関係を築けるだけの学びも経ていません。

起業家として走り始める時には、一緒に働く人の力が化けるのを見るだけでは、実は不十分です。起業家そのものに、何が世の中の構造そのものにつながるかの信念がなければ、事業など立ち上がりはしません。

私には使命は与えられました。ただ、兄弟姉妹と一緒に働きをなしていくための聖書を通じたより深い日本宣教に繋がるだけの理解、そして迷いの無い信念が、生まれるのはまだこれからです。

東京基督教大学での学びを通じて、聖書に対する理解の入り口から奥に入っていきたいと考えています。そして、さらに大学院での研究を通じて、特に新約聖書の研究を通じて、日本宣教の中での使命を果たすに足る理解と信仰を深めていきます。
焦らずに、ゆっくりと考えを沈めながら。

今回の神学の学びをしようと決めるにあたり、私の仲の良い従兄弟に相談をしました。一才違いの彼は、建築で大学の教授をしています。

「裕文くんは、結局、大学に戻るんだね。やっぱり研究もして、文章を書きたいんだね。お帰り」と言われました。

書物の中にわけいりながら、神から命じられた使命を果たしていくことの準備をしていくことに、喜びを感じています。

「父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ雇人のひとり同様にしてください」

ルカによる福音書十五章


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