宣教学「先祖供養」の回のリフレクション

 今の私の考えは、以下の考え方をもとに、かなり前に進みました。
地域別の捉え方、分析手法など。でも基本的な問題意識は変化はありません。柳田邦夫的な意識が、日本の中でも地方に縮小していっている、というのが、今の到達している地点です。
学習し始めの初期の考えとして、記録に残します。
2022年5月頃の論考
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初期のキリスト教においては士族階級が多かった。その階級においては、先祖供養=先祖代々というのがあったというのは理解します。
しかし、戦後においては、庶民が宣教の対象であり、先祖供養ではなく、家族供養という表現のほうが適切ではないか。亡くなった夫は「先祖」ではない。
 
私は韓国語は喋れないけど韓国人、済州道にルーツがあります。チェジュは田舎なので、割と古い習俗が残っています。
済州道にいくと、先祖代々の墓があり、一人ずつ別の場所。それを一つずつ回る。回らないとメンツに関わる。
そういった先祖供養は日本にはない。自分の知らない先祖まで祀るという行為は、日本の庶民には無かった。
庶民にとっては、あくまで自分が知っている家族に対しての行動だ。
 
勿論、代々の先祖を祭る、というのが残ってないとは言わない。
私が以前に軽井沢に持っていた土地のお隣さんは、徳川家の宗主だった。この人は、先祖代々を祀っていた。あれは、本当に祀っていた。
福井の永平寺に、「敵情視察だー」とおおみそかから新年にかけての勤行に出たことがある。
その中で、「松平家代々」(福井藩主だった)とか言っていたけど、その部分に関しては形骸化していた。個別の名前が出るわけでもなく、単に「松平家代々」とだけ言っていた。
 
明治後半から戦争までの間は、墓石が一般化したというのがあり、家という概念が、一般の人にも生まれかけた。
ただ、結局のところ、そんな無理やりなものは結局、戦後に一定期間を経たが崩壊をしたのではないだろうか。
そのセグメント別、時系列での把握を見逃して、「先祖崇拝」と一般論でまとめてしまったことが、日本宣教が陥った落とし穴ではなかったか。
授業では概論にならざるを得ないとは思います。
宣教学、という中で、この江戸からの、時系列に基づく社会構造の把握、都市・農村、および支配階級とそれ以外をわけての議論を確認をしたい。
論文を検索しても出てこないが、何か役に立つ論文を教えていただきたい。
 
また、「お盆」ということの象徴性については、単なる「エキゾティックだけど脱ぎ捨てられない習俗」という位置づけではなく、より深い議論が可能かと思う。
演出家の宮城聡が、初演をアヴィニヨンの法王庁中庭で行った「アンティゴネー」が「お盆」をテーマにしている。私は、この「アンティゴネー」は、駿府城での野外公演で見た。
アンティゴネー自体は、非常にどろどろとし、死んでも許すことは出来ない、という、いかにもギリシア的なテーマの悲劇だ。それを彼は、「日本では死ねばご破算、お盆を通じて死者も生者も交流をする」という風に換骨奪胎した。確か、初演の時には、大絶賛で、その年の演劇の世界No.1とも言われた公演だった。
ただ、ここにヒントがあると思う。キリスト教として、何を認め、何は戦わなくてはいけないか、という神学上の論点が明確化される箇所だと思う。
 
キリスト教の日本における文脈化、という言葉は聞く。ただそれを、本当に日本の思想と向き合って深め、受け入れる・あるいは文脈化する箇所と、戦うべき箇所を見極めようとした議論はどこにあるのだろうか。
 
以上

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