ル・グィンとキリスト教

ル・グィンの話を少し。

物語作家として、私の中で、最高に位置づけています。

浪人していたころか(30年前!)、「セムリの首飾り」を読んで、その硬質さと気高さに衝撃を受けました。当時、同じく衝撃を受けていた萩尾望都と佐藤史生(ともに少女漫画)の延長線上で捉えていました。実際はル・グィンの影響下に萩尾望都もいたのに。

そして、ゲド戦記を読んで、ハマりました。片っ端から読みました。でもゲド戦記を読んでハマったというのは、良くある話。

本当にル・グィンの作品が私にとって意味を持つようになったのは、この2年ぐらい。つまり日本宣教というのが、私の召命であると、気付いてから。

それから何度かゲド戦記と西の果ての年代記を読み直しています。特にゲド戦記の第三巻。

ゲド戦記の第三巻「さいはての島へ」は、世界の均衡が破れ、その均衡を取り戻すお話。ただ、それと同時に死んで復活を待つ人々が囚われの人々として描かれているお話。ル・グィンは批判でもNoでも無いと、一応は否定したそうだが、明らかにキリスト教の教理批判、特にカトリックと一部のプロテスタントへの明確なNoである。

ダンテの新曲に代表され、それ以降、歪み続けてきたキリスト教世界観の否定である。

何故、我々は、審判を待つまでの死後の世界ということを明らかにしたいと思い、人の言葉として説明しようとしたのだろうか? 何故、素直に信じて待てず、無理な説明と押し付けをしてきてしまったのか。

中世以降のキリスト教、宗教改革を経てのキリスト教は、どうしてヨーロッパの桎梏の中にあるままなのか。

ゲド戦記第三巻は、死に、最後の審判が来るとは何かを、探索する思考モデルとなる。

西の果ての年代記は第一巻「ギフト」と第三巻「パワー」が、もう欠かせない。初代教会と賜物、そしてローマ帝国におけるキリスト教の宣教を把握する思考モデルとなる。特に第三巻「パワー」における社会描写は、ローマ帝国とは、何だったかを、塩野七生の書籍より余程深く理解をさせてくれる。

日本におけるキリスト教宣教を考える時に

1 シンプルな福音とは何か

2 死生観は、どう語られるべきであり、どの落し穴を避けなければいけないか

3 ほぼ完全な異教社会における社会構造把握とは何か

といった点への、山程の気付きを与えてくれるのである。

こういった観点で、さらに議論できる方って、どこかにいないかなあ。

ナルニア国物語でキリスト教を語るのだけだと、深みと切れ味が出ないと思うのですよ、、、

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