ペテルブルクの思い出
これは、最初のバージョンは、5年ぐらいに書きました。飛行機の中で書いていた気がする。
昨日の出来事で、この事を思い出したのです。
ペテルブルグの聖堂は、カザン聖堂です。
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2018年11月6日
ペテルブルグのこと
一番、最初にペテルブルグに来たのは、ボストンコンサルティンググループでの濃密な3年間を過ごしたあと、3ヶ月ぐらいの一人旅をしていた時だった。
新潟からウラジオストックに飛び、そこからシベリア鉄道に乗って、モスクワを見て、ペテルブルグに着いたのだった。
シベリア鉄道で、同室になったおじさんは、スターリンの時にウクライナからシベリアに流された人だった。いきなり、二人部屋の個室の扉から頭を出して、左右を確認したかと思うと、ガシャッと鍵をかけた。ビビった私に、でも出してきたのはウォッカだった。何てことない安っぽいウォッカだったけど、そのおじさんには貴重な高価なものだったんだろう。飲みながら、やっと帰れる、と泣いていた。あの時の私はロシア語が全く喋れなかったのに、意思疏通が出来たのは何故なのか。
本当に遅いシベリア鉄道の窓から眺める森は、荒れていた。
1998年の事だった。
あの時のモスクワは酷かった。ソ連が崩壊し、3月の寒い街角では、老人の方々が物乞いをしていた。店には商品がなかった。私が止まった、恐らく当時のモスクワで一番に高価なホテルのダイニングでは、アクビをしている退屈そうなアメリカのビジネスマンに、ブランド品を扱わせてくれ、と売り込んでいるロシアの女性がいた。
そしてペテルブルグの聖堂。帝政ロシアの都だった、ロシアで考えられる限りの華やかな街。しかしモスクワと同じく色褪せていた街。その聖堂で、私はイエス様にあった。違う。一人のお婆さんにあった。その人は、聖堂の中で、私に言ってくださった。「あなた、わかる?神様っているのよ」。本当に幸せな顔で。聖堂の中に光があった。
冷戦に負け、国が崩壊し、社会が潰れていた。
そして、礼拝に行くのを止めていた権力もなくなった。
人は再び、教会に足を運び、神の赦しを得た。
その20年近く後、2016年の夏の日曜日、私はペテルブルグの、その聖堂で礼拝に出ていた。1998年、私は無神論者だった。一人で、強く、金持ちではあった。2016年、私はクリスチャンで妻と子と一緒だった。そして幸せで、イエス様の力を感じていた。
ペテルブルグは、アジアであり、ヨーロッパであり、都であり、革命が起きた場所であり、あのナチスによる苛酷な包囲殲滅戦を経験した都市である。
そして、私に神を信じる力を与えてくれた都市である。
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ネフスキー大通りからちょっと入ったカザン聖堂の裏になるところに、素晴らしいグルジア料理のお店がありました。もう、あの素晴らしいペテルブルグには、行けないんだろうなあ。
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