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全然戻ってこない10万円と付箋の森


こわい。


目の前にあるものの、その内訳がわからないとき
人はそれをこわいと思う。


最近は色々なものがこわい。

そしてそれと同じくらい

色々なものがどうでもよい。

もう少し今の心情にしっくりくる言い方をすれば

社会に出て触れるもののほぼ全てが気に障るけれど
人生が終わる程の危機には満たないので
生きていけている。

そんなところだ。

少しかよわく、もしかすると同情をも
さそえるような表現をすると、こわい、である。

最近のどうでも良過ぎる話をすると

無職のうちに年金をたんまり前納して早々に就職したので
払いすぎた分の10万程を返金していただこうと
手続きをしたり、

それが待てど暮らせど戻ってこなかったりして。

明日の暮らしに困っているわけではないけれど
増やせるものは増やしとこうかと思い、本を売ろうと
以前使っていた資格のテキストを引っ張り出した。

買った時から、 使用後は売る と決めて使っていたテキストだったのですべて付箋に書き込んでいて
それを一枚ずつページをめくりながら剥がしていった。

なんという時間の無駄づかいだろう。と思うほどに
付箋がついていた。

剥がしながら思った。

今、あの時かけたお金と資源を捨てている。

資格が取れたからそのお金は無駄ではなかったとかなんとかはもう考えないものとして、なんかこう、、、

お金にしよう!と思い立ち行動したものの
お金を捨てているにも等しい行為をしてしまったので
なんとなくもやっとした。

のも、束の間。

両手利きなので、無意識に右や左やと
両方の手で剥がしては反対の手の甲につけ、を繰り返していたようで

ふと気がついた。

左で剥がしたものが、ほぼ寒色。

右手で剥がしたものが、ほぼ暖色。

無意識って面白い。
という、それだけなのだけれど。

右脳と左脳の違いだとか、そういうのがあるんだろうか

脳科学とかって、おもしろいよね〜
そういう本よみたいな〜、と思いつつ

今日も違う本を読みながら眠るのだ。

さいごに

からあげ弁当

お弁当の民なので毎日毎日お弁当箱を使用する。
昔から変わらない。

高くて良質なお弁当箱も、安くてそれなりのお弁当箱も、
私の使う頻度になるといくつか使い回さなければ長持ちなどしないということに、やっと気がついた。

高いお金を払って気に入って使っていようが、
すぐにぼろぼろになってしまう。

それなもので、行き着いた先は100円ショップ。

最近はもうずっと、100円のお弁当箱を使っている。

中身も100円程度のお弁当なので、ちょうどいいか、なんて思う。

そんな今日この頃である。


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