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ひとりで生きていくということ

 慌ただしかった2024年もわずか数日を残したある日、帰省途中の電車でふと、小学六年生だった頃の年末年始を思い出した。
 当時の私は中学受験をすべく、進学塾に通っていた。
 通常であれば日曜日や年末年始は休みだったのだが、受験間近となったその年だけは母の作ったお弁当と重たい参考書を背負って塾に通い詰め、その非日常感に私はウキウキしていた。
 特別勉強が好きだったわけでもないし、勉強熱心な家庭に生まれ育ったわけでもない。
 ただ、小学校に入学した当初から(もしかしたら保育園に通っていた頃から)周囲の空気に馴染めず、会話のテンポについていけず、クラスメイトの娯楽を共有できなかった私は、環境のせいだと他責思考にとらわれ、私立の中学校に入れば解決するのだと壮大な勘違いを抱き、一般家庭の子供は地元の学校に行くものなのだと信じていたはずの両親を「将来自分の力で食べていけるようになりたいから」と説得し、見事受験ルートに乗っかることに成功したのだ(もちろん中学受験をしなくともその未来を手に入れることは可能なのだが、両親は私のやりたい事を尊重してくれた)
 勉強以外にやることのなかった私はゲーム感覚である中学校に入学したのだが、当然クラスに馴染めるわけもなく、さらに勉強についていくこともできず、ようやく自分の不器用さに気づき、今の職業を目指すようになった。

 その後も挫折を味わいながら(そのたびに金銭的に親に迷惑をかけながら)どうにか大人になり、とりあえず私は夢であった「屋根の下で暮らせて食うに困らず、時々好きな本や音楽に触れられる生活」を手に入れた。
 しかし、それは私だけの力によるものではない。

 2024年は私にとってひとつの転機を迎え、転勤をきっかけに働く場所と住むエリアが変わったわけだが、出会ったばかりのある同僚に、
「宮内さんは一人でも生きていけるでしょう?」
 と言われた。
 とんでもない。
 そんなわけあるわけがない。
 確かに私はひとりで暮らしているが、それは多くの人々の支えがあるからだ。
 実際に関わっている方々や家族はもちろん、衣食住に携わる仕事をしてくださっている顔の見えない人々のおかげだった。
 今年は心身がすり減ってしまい、仕事ができなかった時期もあり、周囲の方や創作関連の方からも励ましをいただいた。感謝してもしきれないほど、私は多くの愛をもらった。
 ひとりで生きている私は、ひとりでは生きていけない。でも、それは矛盾ではない。
 どのように生きていくか、どのように社会と関わっていくか、様々な価値観を取り入れながら私はこれからもできることを一歩ずつ重ねていきたいと思う。
 ご縁のある皆様と、例えば電車で乗り合わせる名前も知らない人々の幸せを祈りながら、年末の挨拶に変えて。

2024.12.31 宮内ぱむ

BGM:King Gnu「三文小説」

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