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演技と驚き◇Wonder of Acting #4(Apr. /2020)

【はじめに】
演技が好きだ。映画、舞台、ドラマ、アニメ、古典芸能が好きだとりわけ演技が好きだ。もっと話したい知りたい。人がその人ではない誰かになって見せてくれる声と身体と仕草と表情が、どうしてこんなに心を捉えてはなさないのか、その秘密にいつまでも触れていたい。

そんなあなたのための、観客による<演技>をめぐる場所

第四号、何かをあなたの中に残せれば。

01.今月の演技をめぐる言葉

志村けん(Wikipedia)

片山友希(Wikipedia) / 伊藤沙莉(Wikipedia)

片岡仁左衛門 (15代目)(Wikipedia)

レネー・ゼルウィガー(Wikipedia)

バスター・キートン(Wikipedia)

藤原啓治(Wikipedia)

大林宣彦(Wikipedia)

桜井日奈子(Wikipedia)

二宮和也(Wikipedia)

37セカンズ(Wikipedia)

ポジション (バレエ)(Wikipedia)

引用させていただいたみなさん、ありがとうございました。

02.今月の「Wonder of Act」(編集人の一押し)

『37セカンズ』スクリーンで観たかったのですが、私は一歩間に合わず、Netflixでの鑑賞となりました。監督、主演、助演のインタビューです。

”佳山明「今は、たくさんの人に映画を見て頂いてありがたいという想いです。今回の映画を通して、表現することの面白さを皆さんに教えていただいたので、もし機会をいただけたらありがたいなというのが今の思いです」”

ぜひ、俳優を続けて欲しい。切に思います。

03.【新連載】演技を散歩 第一回「フリと演技」 ~pulpoficcion

今月から演技について書く。といっても作り手、つまり演出家や俳優にとっての演技論ではない。観客が観た演技について書くのだ。あるべき演技についてではなく、今、すでに成立している演技を主題とするということだ。というものの、では演技が成立しているというのは実際のところ、どういうことなのか。

『ラストレター』。広瀬すずと森七菜のまばゆい姿にアてられて蒸発死しそうになる映画。関係ないけれど、七菜をしばらく「ななな」さんと読んでいた、かわいい語感だなあ、と。それはおくとして、ここで書きたいのは松たか子だ。

ラストレター(Wikipedia)

プロットに抵触しないようぼんやり書くが、松たか子は劇中、別人のフリをする。いや、むしろ、のべつまくなしフリをしている。そのトーンが一段と高くなるシーンがある。同窓会を抜け出した帰路のバス停、かつて憧れていた男性(福山雅治)と久しぶりに声を交わすシーンだ。詳細は省くが、この時、松たか子は広瀬すずの声(ボイス)によせてくる。もう少し正確に言うと、広瀬すずが歳を重ねたら確かにこういう声色で、こういう風にしゃべるのだろうと思わせるしゃべり方をするのだ。はっとした。ぞくっとした。このとき松たか子の中で何が起こっているのか。

わたしたちも日常で何かのフリをすることがある。そのときフリすることを意図している自分と、フリしている自分は、身体の中で共存しているのだろうか。そうだとすると松たか子の中には、フリを意図している役の人物と、フリをしている役の人物と、さらにその奥に役の人物を演技している松たか子がいるということだろうか。(図1)

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そんなに複雑なことがこの演技の中に、はらまれているのだろうか。もちろん、それくらいの複雑な操作ができてこそのプロフェッショナルなのかもしれない。けれど、もしかすると、くだんのシーンは松たか子が単に広瀬すずの声色をマネしただけなのかもしれないではないか。

ふりだしに戻って考えると、わたしたちが日常でフリをしているとき、その実態は、フロントにベタにフリをする自分がいて、時々そのフリを反省的に振り返る自分がいる。という推移をたどるのではないか。演じることもそのように、役の人物の後ろに俳優が立って、ときどき眺めているようなものなのかもしれない。(図2)

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松たか子が広瀬すずのボイスで語る。

その時成立しているのは、役の人物が内部で割れて、さらにそれを操作する俳優がいるという現象なのか、それとも意識される/する/される/するという層状のモデルなのか。あるいは全く別の何かなのか。

さて、わたしは観客である。仕草、表情、声、そうした俳優・演者のおもてに現れたものを受け止め、演技を鑑賞するものである。観客が俳優の内面に立ち入って、そこで何が起きているのかを考えるのは、なにかどことなく僭越であるようにも思える。

いや、性急に過ぎた。それに正確な書き方ではない。

すぐれた演技に触れると、わたしたちは人物の心情を、自分なりの受け止め方で構成し、感応する。そういう意味で演技は人の内面をあてにした表現だ。人の内面をあてにしない表現があるのかというとそれはそれで語るべきテーマだが、とりわけ演技は感情を表現し、また直接感情に訴えかける表現だ。演技を語るのに内面という言葉を粗雑に取り扱ってはいけない。

だから言い換える。わたしが問いたいのは、わたしの中に何らかの感情を生み出した俳優の姿かたち声(感情表現)を成り立たせるひみつ(彼女彼自身のからだが持つ演技論)に「立ち入る」ことの是非である。そんなことが一観客に許されるのだろうか?

これに対して、わたしは次のように主張したいのだ。

「観客は演技をより深く楽しむため、俳優・演者の内面、その演技論に立ち入って構わないし、それには何らの責任もともなわない」

つまりこういうことだ。松たか子が、まるで広瀬すずが長じて発するような声色で話し出した。その時の「うわっ、こんなこと仕掛けてくるんだ。すげーよ松たか子」と鳥肌がたつほどの衝撃を記憶し、折にふれて反芻し、感動しなおすため、わたしは「フリをする演技とは何なのだ?」という問いを問う。答えを見つけるためではない。ただその問いの回りを歩き回るために。そのさまよいが、松たか子の、あの演技をより深く、強く記憶することになるから。

ほんとうは松たか子の姿にただ驚き、うっとりしていれば充分なのかもしれない(だんだん「松たかこ」がゲシュタルト崩壊してきた)。けれど、残念な(同時に幸せな)ことに<わたし>はそのようにして<演技>を楽しんでいる。多分これからもそうやって楽しむのだ。


この連載では、ときに勝手に俳優の内面を想像し、ときに答えのない問いを考えたりしながら、わたしが感銘をうけたあれやこれやの演技を、より光り輝かせるために歩き回りたい。初回は自らの立ち位置をはっきりするため、やや肩に力が入った。次回(隔月予定)はもう少し、ぶらぶらと行きます。

そして、どこかにいるかもしれない同好の士と出会えますよう。

04.こういう基準で言葉を選んでいます

対象は、舞台、アニメーション、映画、テレビドラマ、そのほか、人が<演技>を感じるもの全てについてです。肯定性・批評性・記録性・分析性を感じる。鮮やかな気持ちが伝わってくる。そんな言葉を探しています。

対象媒体は現在Twitterばかりですが、ほっておくと流れて消えてしまう言葉をとどめておきたいというのが本心です。チラシの一節とか、看板の一言とか。逆に言うとブログなどでまとめて書いてあるものは、「今月の「Wonder of Act」」で紹介することはあっても「今月の演技をめぐる言葉」には引用しないというのが大まかな方針です。

私が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは判断基準にしません。私が観たこともない演技について、100人のうち99人(私も含む)が賛成できないような言葉が載っているかも知れません。それも含めて<驚き>、という理解をしていただけるとありがたいです。

同じ対象(作品・俳優)、同じ言葉の出どころ(書き手)の重複はあまり気にしません。基本、その月に見つけた言葉を集めようと考えていますので、かぶることを気にかけすぎるのは変だろうという判断です。

是非、みなさんが感じた<演技の驚き>をお寄せ下さい。

05.予告、連絡先とその他

第5号は5月28日発行予定です。新連載を開始する予定です。
本誌への連絡はコメント欄のほか、以下もお使いください。
 Twitter: @m_homma 、@WonderofA (このマガジン専用)
 Mail: pulpoficcion.jp@gmail.com
ツイッターのDMは開放しています。

【引用の許諾について】
ツイートの事前使用許諾はいただいておりません。<演技と驚き>を公開後、それぞれのツイートに「引用したが問題あれば連絡ください」旨リプライしています(画像についても同様です)。
この方式に違和感のある方もいらっしゃるかと思います。そのあたりも忌憚のないご意見いただけますと幸いです。

マガジン、および、記事タイトルの画像は、乏しい私の画像フォルダから選んでいますが、かっこいい画像(撮影・作成問わず)をご提供いただけますとありがたいです。公表して良いお名前(アカウント名)もお知らせいただけますと、明記いたします(それくらいしかお礼できませんが)。

最後に、それほどいらっしゃらないとは思いますが、編集者の経歴について気になる方は第1号の末尾をご参照下さい。→

それから最近はこんなこともしてました。

06.編集後記

260、81、144
これは<演技と驚き>の2020年4月29日現在のビュー数です。第一号、第二号、第三号の順です(二号少ねえな)。この数をどう評価すべきか私にはわかりませんが、感覚的には1000くらい行くマガジンになると良いなあと考えています。それくらいになったら何か集まってできるイベントを企画したい。それくらいになるころには、今世界を覆っている災禍(といやな空気)も薄れているでしょう。というかそんな時は来ないのかも知れませんが(一応ダブルミーニング)。ともあれ「おうち」でじっくり演技について思い巡らせたい。今、たった今、そう考えている誰かにこのマガジンが届きますよう。
あ、あとついさっきまでずっと「にのみやかずや」と呼んでました。ニホンゴムズカシ

それでは来月号もよろしくお願いします。

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