精神科に行こう④「はじめてのしんさつ」

どうも、僕です。

今夜、甲奴町の夜空に文字通り花火を打ち上げてきました。正しくは花火打ち上げの段取りをさせてもらった。

世の中コロナ云々と何もかもが中止、取り止めとなっている中、「なんか町民のみんなに面白いことしたいよ~!」との内なる声にフタをしながら日々の生活を送っていたんだけど、某青年部の友人たちと世間話をしていた延長で、気が付いたら秋の夜空に打ち上げ花火をセッティングすることになった。

実は昨年も夏祭りに打ち上げ花火の準備をしていたんだけど、晴れを祈れば荒天となる逆・天気の子である僕が企画したイベントがことごとくピンポイント台風等でひどいことになってしまって、先送りして同時期に花火を上げさせてもらっていた。

書類手続きなんかの段取りは昨年と変わらないからあまり難しくはなかったけど、問題は軍資金だ。皆さんご存知だろうか。打ち上げ花火というものはお金がかかるのだ。

これも天運、地運、人運というものだろうか。タイミング良く某ルートから諸先輩方が何かあった時にと貯めてくださっていた有志金のバトンが僕に渡ってきた。僕はこの有志金でコロナ禍によってことごとく行事がなくなった町内の皆さんへのエールとして花火を上げたいと仲間に図った。

皆の反応は満場一致。そんな目的のためならとイエスに決まった。ありがたいことだ。僕が作ったわけではなく、先輩方が額に汗して少しずつ貯めてくれた元気玉だ。フリーザ(町民のハート)に直撃させなければいけない。

という様な意気込みで僕の逆・天気の子属性も今日ばかりは許してくれたみたいで天気は上々、打ち上げの時刻までを待ちながら、協力してくれる某青年部の仲間たち、消防団の仲間たちと着々と配置に着いた。

本日の打ち上げ担当の花火師のIちゃんも某青年部の仲間だ。準備が整ってから、打ち上げ花火というもののレクチャーをしてくれた。僕らは興味津々である。花火の打ち上げは手伝えないけど、単純に初見となる打ち上げ花火玉に興奮していた。

そして時は来た。今日は甲奴町のジミーカーターシビックセンターのイルミネーション点灯式に合わせて花火を上げるのだ。

式典は滞りなく進んだ。イルミネーションは現物をぜひ見てほしいから、メインスポットではない場所の写真を上げておく。さて、点火のタイミングは…?

点灯式が済んで直後にIちゃんに連絡を取る。

「どう、いけそう?」

「んー、もう少し暗い方がいいかと。」

プロ意識だ。餅は餅屋。プロの意見に従って損はない。僕はもう少し辺りが暗くなるまで待つことにした。…10分後、僕はまた連絡を取る。

「どう、いけそう?」

「イケると思います。」

GOがかかった。ここからはIちゃんのアドリブで夜空が明滅する。もう僕たちは見守るだけだ。

ここまでの準備が約1ヶ月。250発の花火を打ち上げ終えるまで約15分。日本人が花火好きな理由が分かる気がする。金もかかる、時間もかかる、準備は人手がいる、本番は一瞬で終わる。こんな潔さのあるエンターテイメントが他にあるだろうか。粋過ぎィ!!

花火が上がっている間、途中までスマホのカメラを構えて見ていたけど、生で見れる花火を肉眼で楽しまないのって、もったいなくない?そんな気持ちになったのでスマホをしまって花火を見続けた。幸いにして嫁さんがいい感じの写真を撮ってくれていたので拝借させてもらった。

打ち上げは無事終わった。今回は時節柄あまり広報を行わずに出来るだけ町内の皆さんへ見て欲しい気持ちだったんだけど、皆さんちゃんと見てくれただろうか。良かったよ、という人は後で僕たちに教えてください。次の機会にもっと頑張れます。

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前回のカウンセリングが行われた際、鬱のどん底まで行った僕はそうとう曖昧な状態だった。この時期の時系列や記憶に自信が持てない。だから初めてKの病院で診察を受けた時の記憶もぼやけている。

Kの病院は日によって担当医の先生が違う。僕が看てもらうことになった先生はS医師という初老の穏やかな先生だった。

初めての診察はどんなものだったのか。覚えているのは嫁さんが一緒で、とにかく不安感、不眠症をなんとかして欲しいと伝えて頭がボーッとするお薬をもらってきたことだ。

人体は不思議だ。あれだけ寝る前になるとあれこれ不安感が募ってきて眠れなかったのに、もらった薬を飲むと布団に入って一時間もせずに気付かず寝ている。

もらった薬を飲めばとりあえず不安は感じない。夜も眠れる。昼もなんだか自分が抱えている問題全部がぼやけて眠くなる。

こんな調子で大丈夫なんだろうか。家族にはどう思われているだろう。何も出来ず寝てばかりいる自分が情けなかった。

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