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こぼしエッセイ「ぼくはあくまでマンホールとか自販機とかトミカのおはなしをしていてブログ論など1ミリも語る気がない故、タグはつけないぞ」

インターネットの中には、たくさんのサイトやブログが存在しますが、自分が知っているもののひとつに、マンホールの蓋を撮影し続けるブログというものがあります。

マンホールの蓋…………。

日常的に目にするものですが、マンホール関連の職業に従事しているわけでないかぎり、まず気にかけることはないのではないでしょうか。少なくとも自分は、マンホールの蓋について想いを巡らせたことは一度もありませんし、マンホールの将来についてもわりとどうでもいいです。

でも、マンホールの蓋が気にかかり、マンホールがそこに生きていた証拠をインターネットの中に残しておきたい人というのは世の中に存在するわけですね。

似たようなものに、自動販売機を毎日のように撮影し続けるブログというのもあります。

自分が知ったのは2010年ごろでしたが、その時点で結構な長寿ブログで、現在も元気に更新を続けられています。もう10年近くの間、同じ自動販売機の写真を撮り続けているのではないでしょうか。これはちょっとした…………いえ、ちょっとしたどころではない、歴史的資料となり得るのは?10年の間に発売中止になった、今はもう飲めないドリンクの画像も残されているわけだし。

マンホールのフタにせよ、自動販売機にせよ、生活の中に当たり前に浸透しすぎていて、それについて落ち着いて考えることはありません。

あるとすれば、生活の中に当たり前に存在するものを失ったとき、でしょうか。

具体的にいえば、東日本大震災が起きて、電力不足が叫ばれた。自分は被災していませんが、それまであるのが当然のように思っていた「電気」「電灯」の存在について考えました。

ごく個人的なことでいえば、「水」。これは一度、水道が止まったときにその重要性を痛感しました。幸い水道が止まったのは数時間程度でしたが、その数時間程度ですら、不便だらけでした。トイレに行けない。手が洗えない。料理ができない。

でも、再び、「電気」や「水」がある生活に戻り、それに慣れて当たり前になってくると、ありがたみもなにもかも忘れてしまいがちです。

マンホールのフタや自動販売機だって同じことだと思います。まあマンホールのフタを丁寧に扱う機会が今のところはありませんが。

そして、ならば自分は「電気」や「水」について語るブログをつくるのかというと……つくらないでしょうね。しいていえば、トミカのブログならつくる可能性はありますけれど。

だって……電気とか水とかにそんなに興味ないもん。いや大切だし必要なものではあるけど。電気や水の研究をするほどではないなあ。トミカの研究の方が長続きしそうです。名古屋にあるミニカー居酒屋さん、どなたかご一緒しません?すごいよ。

「好きこそものの上手なれ」と言いますが、好きから生まれるものが、好きです。ここで最近のトレンドワードを引用させていただくならば、まだスキで消耗してるのです。子供で痛いトイザらスキッドなので仕方ありません。お金は大切だし必要なものだし、もちろん自分もたくさん欲しいのですけれども。なのでこのnoteは…………いえ、無料ですよ。あ、サポートは受け付けているから、どうしてもくれるっていうのなら…………なら?ね?

#エッセイ

サウナはたのしい。