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死にたがりのマイミク-はじめてのSNSの出会いと別れ-
あれは、2006年ごろでしたかね。
自分用のパソコンをバイト代で買って、インターネット回線を通して、まずやったことは、mixiの登録でした。
当時のmixiは招待制だったのですが、ネットに強い友人に招待してくれるように頼んで、アカウントの作り方や知り合いの見つけ方を教えてもらいました。
mixiでは相互フォローの関係をマイミクと呼びましたが、見つけた知り合いはみんなリアルで知っていて仲の良い人たちなので、すぐにマイミクになってくれました。
最初は知り合いの日記を読んでコメントをつけたり、自分の日記に読んだ漫画の感想を書いたりと、わりと閉鎖的な使い方をしていたのですが、使い方を覚えていくにつれて、だんだん変わっていきました。
マイミクの人のマイミク一覧から知らない人のページに飛んで、知らない人の日記を見て、その人のページからまた知らない人の日記へ……、とジャンプしていくのを延々と繰り返す。
今でいえばフォロワーさんのフォロー一覧を辿っていくのと同じことですが、それを夜な夜なやっておりましたんですな。立派なmixi中毒。
当時のmixiの雰囲気は、今でいうTwitterに近く、日常的なことを書く人、自分の悩みを吐露する人、ニュースに噛み付く人、思い出話を書く人など、たくさんの人々の気持ちが入り乱れていました。
爆笑している人もいれば、泣いている人も怒っている人もいて、まあ賑わいでおりました。
SNSが発達しまくった現代に於いては、そういうものを少しでも見過ぎると疲れてうんざりしてしまいますが、当時は自分が精神的に未熟で、社会の辛さをミリも知らなかったこともあり、単純に、他人の内面がガンガン見えるこの世界は面白いなあと感慨に耽りつつ、他人の感情が揺蕩う情報の波を泳いでいたのです。
後に廃止されたのですが、当時は「足あと」という機能があり、自分のページが誰に何時ごろに閲覧されたかわかるようになっていました。
逆にいえば相手にも、自分がいつページを見に行っていたかがわかり、頻繁に見に来る人は把握されます。
すると、その人が自分のページに飛んできてくれて、自分のページに足あとを付け返しにしてくれたり、日記にコメントしてくれたり、ある程度の交流が続けば、「マイミク申請していいですか?」というメッセージが届いたりします。
「無言フォロー失礼します」という挨拶文が今でもありますが、当時は相手のmixiをフォローする前にメッセージで挨拶をするのが基本でした。
ちなみに、マイミク申請の依頼でなくてもメッセージを送ることはできたので、漫画を借りていたバイト先の先輩のマイミクから「そういえばあれそろそろ返して」という私信が来たりとか、どこかの知らないギャルの人から「<ぅちゃωレよス≠τ″すカゝ?」(倖田來未さんは好きですか?の意)といきなり送られてきたりということもよくありました。
そんな感じで生まれて初めてのSNSを楽しんでいたわけですが、そのうちに、ひとりの男子大学生とよくやり取りをするようになりました。
その人は、学年的には同じ、年齢的には自分より1つ年上の引きこもりで、大学は除籍はしていないものの休学中。
ドイツ哲学について勉強されているそうで、mixiに勉強中のノートの写真がアップされていましたが、かなり難しい内容のことが書かれていました。
日記ではどのようなことを書いていたのかというと、とにかく死にたい、ここから逃亡したい、一刻も早くドイツへ旅立つ、というようなこと。
しばらくはこちらが一方的に彼の日記を読んでいただけで、ああこの人は頭が良くて死にたがりなのだなあとしか思っていなかったのですが、ある時に何かの拍子でコメントのやりとりをするようになり、マイミクになりました。
最初は音楽の話で、バンドがらみだったと思うのですが、それがどのバンドだったかなぜか思い出せない。BUCK-TICKだったような気もするけど違うような気もする。
自分とほぼ同世代でこのバンドの話ができる人がいるとは、みたいなことを思ったような覚えはふんわりとあるんだけどなあ。ちなみに彼は洋楽にも詳しくて、システム・オブ・ア・ダウンは彼に教えて貰った。
だんだん、毎日のようにやりとりをするようになり、今日の金曜ロードショーの感想とか、バイト先はどうだとか、彼女がほしいとか、ものすごくフツーの話をするようになりました。
頭が良くて死にたがりで異次元だと思っていた彼も、同じ大学生なんだなあと、なんとなく打ち解けていくうちに、大学も同じ京都市内であることが判明。
じゃあそのうち、河原町で落ち合って食事にでも行きましょうよ、みたいなことをお互いに言い合っていたのですが、夏休み前に突然、彼からのメッセージはぷつりとなくなりました。
1週間くらいは特に気にせず、まあ大学の夏休み前といえば前期試験の時期だし、勉強が忙しいのだろうと思っていました。
しかし、夏休みに入ってしばらく経っても音沙汰がないので、こちらから「最近どうですか」みたいなメッセージを投げてみたのですが、応答なし。
彼の日記も長いこと更新されていなかったのですが、プロフィールページを見ると、どうやら彼はmixiの他にブログも書いているということがわかり、そのブログに飛んでみると、そちらではわりと最近の更新がありました。
そこでは、いよいよドイツに旅立つ旨と、誰に向けてなのかはわかりませんが、さよなら、という趣旨のことが記されていました。
そして、それ以降、そのブログも、彼のmixiも、二度と更新されることはありませんでした。当然ながらケータイ番号もメアドも知らないため、連絡手段はありません。
悲しいとか寂しいとかいう感情はなく、ただただ、あれはなんかの幻だったのか?と狐につままれたような気分になりました。そして、これがインターネットか、とも。
彼がドイツに旅立ってどうなったのか、大学はどうしたのか、本当に生きるのに完全に疲れたのか、すべては闇の中。
結局は河原町で会食することもなかったので、彼の風貌は全く知らない。なのに、とてつもなく死にたがっている文章と、意外にもフツー過ぎたメッセージのやりとりで見えた彼の内面の姿は、記憶として残っている。
メモリーはあるけどディスクの本体はない、みたいな状態というか。そのメモリーを保存するには、自分が覚えておくしかなく、それを忘れないようにするには、こういうところに書いておくしかありません。
でも、そういうインターネットの出会い方と別れ方がそう悪くないとも思えるのは、自分が立派なネット中毒だからですかね。今はnoteから離れられん。
サウナはたのしい。