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戦術って何と言う話 vsFC東京戦

見るのも堪えない惨敗を喫したFC東京戦。
思い出そうとしただけで、頭痛・吐き気・発熱・腰痛など様々な疾患が現れてしまうので、今回は振り返りません(`・ω・´)キリッ

どうせ振り返ったとしても、今のエスパルスって本当にみやもんへの依存度が高くなってたんだなぁと再認識して、みやもんって凄いでしょって書いておしまいです。

こういう何もかもが崩壊したような試合の後は、思考も基本に立ち返ろうと言う事で、「そもそもサッカーの戦術って何?」って所から考えていきたいと思います。

(´・ω・`)やめて、ニシケン。そのインタビューは海月に効く。

戦術量

まず最初に記載しておきますが、ここから先に書いていく戦術に関する話は、全て海月独自の解釈による物です。不正確な事もたくさんありますから、絶対信じないでね!!!約束だよ!!!

と、言い訳を最初に記載したので、もうどんなてきとーな事を言っても大丈夫。信じたヤツが悪い。と、つよつよメンタルで話を進めたいと思います。

さて、平岡エスパルスになってからTwitterなんかを眺めていると、平岡監督には戦術が無い派と、戦術あるやんけ派が血で血を洗う戦いを繰り広げていますが、そもそも何があると戦術があると言えるのか、それ自体もアホな海月にはよくわからないのです。

「戦術」という言葉の意味だけを捉えるのであれば、チーム全体で統一した約束事があれば、それは戦術だと海月は思うのです。
なので、攻撃は唯人に全部お願い!ってサッカーしてても、それがチーム全体で意思統一されていたら、それは戦術であり個人頼みではないでしょって思ってしまう派です。

そう、平岡エスパルスにも戦術はあるのです…。たぶん。

しかし、どう考えてもロティーナ時代と比べてチームとしての約束事が少ない事は誰が見ても明らかな事実です。なのでその差を言語化しようと、海月は「戦術量」という言葉を使いたいと思っています。

なので戦術は、あるないのall or nothingではなく、多い少ないという量で考えています。

たぶん戦術ないって言ってる人は、その人が考える最低限の戦術量を持っていないと戦術がないって表現しているのだと思っていますが、必要最低限と考える戦術量は人によって違うので、派閥が出来てしまうんですね…。

(。-`ω-)all or nothingは戦いしか生まない。危険だ。

能力の均一化

さて、戦術量と言う造語を覚えてもらった所で、当初の疑問である「そもそも戦術って何?」って所を考えていこうと思います。

前述もしましたが、戦術とはチーム内で統一された約束事です。
その約束事は、チームとしてゴールを守る、又はゴールを奪う為に存在します。

ここで肝心なのが、「チームとして」の部分です。
サッカーの試合は、常に同じメンバーで出来るわけではありません。怪我だったり、連戦の疲労だったり、代表招集でいなくなったり、様々な要素で選手はいなくなります。
そうした時に監督はチームに対して、誰が出てもゴールを守ったり奪ったり出来る約束事(=戦術)を授けようとするでしょう。

しかし、この「誰が出ても」が問題です。

極端な例としますと、
海月がエスパルスにボランチの選手として所属していたとしましょう。
そうすると平岡監督は、鈍足で走れない海月がボランチで出場する可能性を加味して、ボランチが走らなくても良い戦術を組み立てる事になってしまいます。
あんなに走り回れる宮本選手がいるのにも関わらずですよ?

つまり戦術によって、地蔵海月でも試合で使えるようになるけれど、宮本選手にとっては強みである走力に枷をはめられてしまう事になります。
このようにどの選手が出てもチームとして成り立つ戦術には、「選手個人の能力の均一化」という面が存在すると考えています。

(´・ω・`)簡単に言うと、誰が出ても同じプレーになりやすいって事ですね

さらに付け加えると、戦術量が多いほど「選手能力の均一化」の傾向は強くなります。ロティーナ時代よりも今の方が、選手がイキイキしているように見えるのは、均一化する為の枷が減ったからだと思っています。

(´・ω・`)ロティーナとしては、約束事の中で各選手のストロングな部分だしてねって思ってたと思うけどね。

さて、うだうだと書いてきましたが、
「そもそも、戦術って何?」と言う質問に対して、海月個人的な解答は、

「誰が出てもチームをスムーズに機能させるが、個人の対して制限をかけてしまう側面がある物」です。

平岡サッカーについて

では、ここで平岡エスパルスに話を戻します。

皆さんも感じているかもしれませんが、平岡エスパルスの戦術量は著しく少なく設定されています。
もう現代サッカーにおいてはありえないくらいの少なさです。

あらゆる戦術論が言語化され、それを育成年代ですら落とし込みがされているこの時代に、このサッカーでいいのかと若干の不安を感じますが、前にも書いたように平岡監督解任には反対派なので、この平岡サッカーで強くなる未来を考えるしかありません。

では、この戦術量の低い平岡サッカーが強くなるにはどうしたらいいのか。

1つは、単純に個人の能力を上げる事です。
戦術量が少ないって事は、戦術による枷が少ないと言う事なので、純粋に個人の能力があがれば、チーム力もアップします。
どんなシュートも権田が止めれば無失点になりますし、唯人が相手DFを全員ぶち抜いてゴールを決めれば勝てるのです。

(; ・`д・´)自分で書いてて、めっちゃ不安になるな…
って内容ですが、事実です。

そもそも、平岡サッカーの根幹には選手は常に成長していく物という考えがあるような気がしています。
しかも、毎試合出来る事が増えていくレベルでの急成長を期待しているようにも見えるので、選手の皆さんには大真面目に頑張って下さい。マジで…。

まぁしかし、個人の能力はそう簡単に急成長する物ではありませんので、現実的な話ではありません。

では、どうしたらいいのか。
それの解決策が、「選手発のコンビネーション」だと思っています。

これは戦術によってパターン化されたコンビネーションではなく、選手同士の発想・イメージの共有によるコンビネーションの事です。
もともと様々なタイプの選手がいるエスパルスにおいて、選手同士の掛け合わせによるコンビネーションは、無限のパターンを生み出します。
これが完全に完成したとなれば、どんな対戦相手も対策のしようがない強力なエスパルスが完成する事、間違いありません。

そのためには、各選手は他の選手の事を深く理解しなければなりませんが、個の能力を常に急成長させるよりは現実味があります。
現状で言うと、選手同士のコミュニケーションがエスパルスを最短で強化する方法だと思っています。

(。-`ω-)戦術量が少ない分、他の選手についてよく覚えてねって感じ

しかし、この平岡サッカーで最も注意しなければならないのが、メンバーが固定化されてきた時に、その選手だから出来ている事を戦術(チームの約束事)と認識してしまう現象が起こる事です。

例えば今回のFC東京戦でも、それに似た状況が発生していました。
後半11分に広いエリアをカバー出来る宮本選手が交代し、特徴が全く違う白崎選手がボランチに入りました。しかし、周囲の選手のやり方は全く変化せず、結果的にチームは完全な機能不全に陥る事になります。

これは、宮本選手だから出来ている事を戦術と認識してしまい、代わりにボランチに入った白崎選手に宮本選手と同じタスクを周囲が担わせた事が原因です。

こうやって書くと、
(´・ω・`)周りの選手は、めっちゃ薄情じゃん
って思いますが、周り選手の責任とは言い切れません。

そもそも通常、試合中の変更点はベンチから指示が出るものなんです。
それが普通です。Usuallyです。
海月が監督でも、選手間の距離を狭くしようくらいの指示は出します。
それが無かったのなら、普通はやり方を変更する事はありません。

しかし、それが平岡サッカー的には間違いなのです。たぶん。
明確な形を持たない以上、選手同士でコミュニケーションを取りながらやり方を変えていくのが、平岡サッカー的な正解なのです。たぶん。

ここまでウダウダ書いてきて、本当に平岡サッカーってこんな感じなのかな?と疑問すら感じていますが、それを裏付けるようなニシケンインタビューが出てしまいました。

だとすると、平岡チルドレン以外は、現代サッカーではかなり特殊な平岡サッカーに順応する事は時間がかかると思います。そこを埋めるのは、間違いなくユース卒の平岡チルドレンしかいません。

(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾ユース卒のみんな!頼んだぞ!!!


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