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弟の自死 - 19. 火葬②

予定時刻よりも30分早い9:30、葬儀場に到着した。
タクシー運転手が迷ってしまい、葬儀場から少し離れた所で車を降りた。
母に気を配りながら、ゆっくりと歩いて葬儀場へ向かった。

葬儀場は敷地が広く、大きな駐車場を備えている。
建物は駐車スペースをしばらく歩いた先にある。
葬儀場の敷地に入り、駐車スペースを歩いていると、突然母が泣き出した。

「私が(弟)と最後に交わした言葉は、お金の事に対する苦言だった」
「なぜ、もっと優しい言葉をかけてあげられなかったのか」
「(弟)は、お金の事ばかり責める私の事を恨んでいるだろう」
母は、泣きながら自身の気持ちを言葉にする。

"葬儀場"
という状況が、弟の死に対する実感を強めたのだろう。
葬儀場に向かうタクシー内では元気そうだった母が、一気に暗くなる。
私は、泣く母に対してかける言葉が無く、背中を擦りながら、ただただ傾聴する事しか出来なかった。
母が落ち着くのを待って、ゆっくりと歩き建物へと向かった。

入口で名前を伝えると、待合室に案内された。
すぐに、葬儀社の担当者が母と私の元へ来た。
挨拶を交わした後、葬儀社の担当者から位牌を手渡された。

故 (弟の名前) 之霊位
令和五年八月十四日没
満三十九歳

位牌に記載されている文字を見て、私は涙が出てしまった。
私が持つ位牌を見て、母も号泣した。

母の気持ちはとても理解できる。
死体検案書の時も同じだったが、はっきりと文字にされると、弟の死に対して、どこか実感が湧いていないような精神状態に突き刺さるのだ。
急激に悲しい気持ちで一杯になった。
すぐ近くに喫煙室が有った為、母が少し落ち着くのを待って、私は喫煙室へ入った。
母から見えない喫煙室の中で、私は涙を拭いながら、涙が止まるのを待った。
私にとっては、弟の死よりも、母が悲しみ泣いている事が辛かった。
私も気持ちが落ち込んでしまい、この場に居る事がとてもイヤになってしまった。

私が7歳、弟が2歳の時に父母が離婚し、母子家庭になった。
母は、父からの生活費支払いが1円もない状況で、女手一つで一生懸命、私と弟を育ててくれた。
貧しい暮らしではあったが、母は自分の為には一切お金を遣わず、私と弟に不自由を感じさせる事なく育ててくれた。

私が学生時代は酷くグレてしまい、母に多大な迷惑をかけた
私は夢を追い続け、30歳まで就職せず心配をかけた
弟がようやく社会人になったと思いきや、借金問題を起こした

数々の苦労をかけてしまったが、それでも母は女手一つで私と弟を育ててくれた。
これだけの苦労をした母に対して、私と弟は、精一杯親孝行しなければならないと思っている。

そんな母が70歳になって、何故これほどに悲しい現実と向き合わなければならないのだろうか。
“生きる意味” とは何なのだろうか・・・
あまりにも悲し過ぎる現実で、虚しさや怒りを感じる。

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