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ひとり帰路についた夕方に。

二人暮らしがひとり暮らしになった。彼が社宅に引っ越したのだ。寂しいかと言われれば寂しいし、以前の方がよかったかと問われるとそうとも言い切れない。ひとりにはひとりのよさがある。家具を新しくした。ベッドと本棚、机とソファ。本はそんなに読む方ではないけれど、段ボール箱に詰め込まれていたそれらを在るべき場所に並べて見るとなんだか満たされたような気持ちになった。

帰路、電車にゆられる。大人になってから三半規管が弱くなった。それとは別に、実家を出るときから物理的に気持ちが悪かった。それを紛らわせるように、きのこ帝国の「WHIRLPOOL」を延々とリピートさせる。

「仰いだ青い空が青過ぎて 仰いだ青い空が青過ぎて 仰いだ青い空が青過ぎて…」

実家の間延びした空間で自分を見失いそうになった。実家は心地良い。しかし今の自分の日常とは別世界のようだなと思う。そして沢山の自分の中から、どの自分を選べばいいのか分からなくなる。社会の中で自分はどう生きていきたいのか…。自ら仰いだ空に不意に圧倒されその青さに呑み込まれてしまいそう。意志の無さを突きつけられた、今のわたしにはすべてが途方もなく遠くて手に負えないもののように感じます。

自己と向き合うということを最近していなかったのだと気づく。それはとても苦しいことだ。けれども、見るべきものを見ないふりをしている自分よりも、じっと苦しむ自分の方を肯定できる気がする。つい先日、ある人に「意思がとても強い人だと思ってた」と言われて驚いた。自分はそのように在りたいと思っているけれど、少なくとも彼にはそう見えていたということは、自分の理想像に少しずつ近づいているのだろうか。

夕暮れ、薄暗いアパートに帰ってきた。電気は灯けないでテレビのスイッチを入れる。実家と同じように蝉が鳴いていて、夏は私が何処にいても同じように在るのだと思う。しばらくぼーっとテレビを眺めていて、ふと気がつくと雨が降っていた。雨は安心する。しばらく降っていて欲しいなと思いながらテレビの音量を下げる。やはりひとりは寂しい。あとで友達に電話でもしてみようか、でも相手が出なかったら悲しいな。そうしたら録画した金曜ロードショーでも観ながら一人晩酌でもしよう、と考える。電車に乗っていた時の気持ち悪さはもうすっかりなくなっていた。

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