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「したい」ことができない人


#創作大賞2023 #エッセイ部門


私はよく相談をされる。
相手は相談しているつもりではなくて、
ただ愚痴を言っているだけかも知れないけど、
「〇〇したいんだけど出来ないんだよねー」こんな感じで話が始まるとつい
「えーどうして⁈」と深掘りしてしまう癖がそうさせるようだ。

相談(愚痴⁈)内容で多いのは、
「〇〇したいけど、どうしたら良いかわからない。」
というもの。

「したい」のにできない人の相談はこのような内容。

  • SNSを始めたいが怖い気がして始められない

  • 副業を始めたいが何をしたら良いかわからない

  • 結婚または離婚したいがどうしたら良いかわからない

  • 自由な生き方を選びたいのに不安で一歩踏み出せない

このように様々。

大抵、
相手:「〇〇したいんだけど出来ないんだよねー」
私 :「えーどうして⁈」の後には
相手:「だって……」という言葉がつく。

例えば、時間がない
例えば、お金がない
例えば、リスクが怖い、などなど
他にも、自分には無理という言葉が続く。

とにかく、「出来ない」理由をこれでもかというくらい積み上げる。

相手:「だって、忙しいから時間取れないし、どうせ長続きしないからやっても無駄だし、続かないのわかっててやるのって無駄じゃない?」
私 :「でもしたいんでしょ?」
相手:「そうなんだよね〜、結構ずっとそのことで悩んでる自分がいるんだよね〜」
私 :「試しにやってみたら?」
相手:「でも、その勇気がないんだよね〜。やってダメだった時のダメージを考えると、やっぱりやらない方がいいと思うんだよね」
私 :「じゃぁ、それはやめて、他のことしてみたら?」
相手:「他のことかー、他にやりたいことないんだよねー、一番したいことからやりたいんだけど……でもねー」

こうして、いつもの世界に戻るのでした。
おしまい……


という感じで毎回、同じことの繰り返しパターンになる。


一方、「したい」ことができる人を見分けるのは簡単だ。
最初からこんな相談の仕方をしてくるからだ。

  • 「SNSのインスタとブログを始めたいけど、やり方が分からないから教えて」

  • 「家計の足しになるくらいの副業ってある?」

  • 「婚活サイトってたくさん申し込んだ方がいいと思う?」

  • 「仕事辞めてYouTuberになろうかと思うけど、どうかな?」


前者後者共に「したい」ことはあるが、
前者はいつまで経っても出来なくて、同じ世界のまま、いつまでも変化しない。

後者は「したい」と思って一歩を踏み出し、新しい世界に飛び込む勇気がある。変化を楽しむことができる。


この違いは、なんだろう?

性格?行動力?保守的か進歩的か?
確かに、これらの影響もあると思う。

しかし、私の思う一番の違いは、
「自分を好き」かどうかということ。
「自分のことを大切」にしていて、
「自分を楽しませていい」と思っているかどうか。
「自分には価値があって、「したい」ことをしていい人間だ」と認識できているかどうかということ。


これらが全てプラスに働くと

  • 制限がなくなり個性的なおしゃれを楽しめたり

  • 物おじしない自信みなぎる人になったり

  • 自分の心に正直で自分の「したい」気持ちに忠実にそれらの願いをどんどん叶えてあげられたり

  • イキイキとしていてやる気に溢れていて、日頃から自分磨きをしている

そういう人になる。



「したい」ことができない人は、安全な世界から出ないことで
「自分を守っている」ということもできる。
「その方が自分には似合ってる」
「してみたいことはあるけれど、新しい世界は怖い」
こんな風に、自分に制限をかけることで自分を守っている。
本当に心の奥からそう思えているのだったら、それが「したい」ことなので
「したい」ことができている人ということになる。

しかし、人は進化したい生き物だ。
SNSを見て羨ましがったり、
いつも自分だけ我慢してるような気がして辛くなったり、
普段は平気だけど時々感情が抑えきれずに爆発してしまったり……

もし、これらに当てはまったら「安全な世界に満足していない」「自分に制限をかけ我慢させている」=「自分を大切にしていない」ということの表れ。
そして、残念ながら「自分に価値がある」と思えていないということになってしまう。



私はよく「好きなことをしたらいいじゃない!」ということが多いが、
相手から「自分にできるわけがない」とか「無理」という返答が返ってくると、
「好きなこともさせてもらえないなんて、かわいそう」と思ってしまう。
「自分で自分の自由を奪ってしまうのは、なぜなんだ」と思ってしまう。
そして、「誰の人生を生きているのだろう」「自分の人生を生きてほしい」そう思ってしまう。




かつて私もそうだった。
家族のため、仕事のため、社会のため……
自分以外の誰かのために生きていた。
それが当たり前だと思っていた。
安い服を選び、安い化粧品で地味なメイクをし、綺麗でいることは悪であるかのように、着飾る人を毛嫌いしていた。
「あーこのまま歳をとって、誰にも意識されず終わっていくんだー」
と朧げに思っていた。
そうして本当に私は、その場の「風景」の一部になっていった。
いつもそこにいるのが当たり前で、いつも同じ仕事や家事をするのが当たり前。
特別なことは何一つなく、誰か声をかけられることも、感謝されることもなく、ただ、その場の「風景」の一部になっていたのだ。

それでいい、それが普通だと思っていた。
大人なんてこんなもんだ、みんなこんなもんだ、と思っていた。
出過ぎない方がいいと思っていたし、遠慮がちに一歩下がることが美徳だとも思っていた。

でも、活躍している人が称賛の声を浴びている姿や、若く美しい人がチヤホヤされている場面では、面白くないものを感じていたことは否めなかった。。
自分を隠したい、隠れていたいのに、目立ちたい感情が心の奥底から沸々と小さく湧き上がってくるのだ。

苦しくなってきた。これは強烈なジレンマだった。
隠れたいのに目立ちたい…地味でいいと思ってきたのに綺麗でいたい…
「風景」の一部でいいと思っていたのに大切に扱ってもらいたい……

若さは失われていくものだけれども、心の自由までも失っていいのか……
若くて綺麗な時期を地味に目立たぬように遠慮しながら生きてしまった後悔を、これからも続けたいのだろうか……と自分に問おてみた。
答えはNOだった。

それならば、好きなよう生きよう、と決めた。
自分を好きな自分になろう、自分を一番に据え置こうと決めたのだ。

たったそれだけで、私の人生は変わった。
「誰かのため」ではなく「自分のために」生きることを自分に許可した。
「したい」ことはして「したくない」ことはしない。
こんなシンプルなことに気づくのに、ずいぶん時間がかかったなぁ……

自由な世界
アァ〜なんて楽チンなんだ〜




「自分に価値がない」という思い込みが行動「できない」理由だということを理解できたら、行動「できる」にすることは簡単だ。

「自分を好きなになる」
「自分のために生きる」
「自分を一番にする」

たったこれだけだからだ。



ぜひ、鏡を見て、じっくり自分の顔や立ち姿を見てみよう。

どんな表情をしていますか?
鏡の中の自分は輝いてる?
幸せそうですか?
ピカピカに磨かれていますか?
自然に笑えていますか?

そう、
全ての答えは、鏡の中にある
鏡は嘘がつけませんから


幸せの形、夢や希望、人生のゴール、これらは人それぞれ、好きに決めていいもの。
だから、考え方ややり方が違うのは当たり前で、他の誰かの考え方ややり方を尊重するだけではなく、あなたのそれも、尊重されるべき素晴らしいものということ。

もし、誰にもわかってもらえないとか、誰にもわかってもらいたくないとか、そう思うときは、自分がわかっているのだからそれでいいと思うと良い。

他の誰かのことを尊重することも、自分の「したい」を尊重することも、全部自分で決めて良い。
「正解」も「間違い」もない自分が出した答えだ。

そう、
全ての答えは、自分の中にある
あなたなしではあなたの世界はあり得ないのですから



鏡の自分と向き合った後は、自分の小さな声に耳を傾けてみて。
「今、何をしたいか」

・休みたい・コーヒーが飲みたい・ゆっくりしたい・泣きたい・笑いたい……

その声を無視しないで、その希望を叶えてあげて欲しい、永遠に……
小さい希望を叶えてもらってやっと、本当の希望が聞こえてくる。

  • SNSを始めたい

  • 副業を始めたい

  • 結婚または離婚したい

  • 自由な生き方を選びたい

最初に思ってものとは違う、もっと本質的な願望が出てくるかもしれない。
否定しないでほしい。

・歌いたい・踊りたい・小説家になる・海外に住む・宇宙に行く……

「そんなのできるわけがない」ではなく
「どうしたらできるかな」とそんな風に受け止めてほしい。


もうすでに「何をやろう」と前向きな気持ちになっていることに気づくはず。

ここには「したい」ことができない理由は何も無くて、
覗き込んだ鏡の中には、自由で解放されたあなたの笑顔があるだけだから……


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