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教育学部に入って、考えたこと

運動のために散歩しようとして、気づいたら車の中で2時間読書していました。ぷきんです🍞

(画像は違うことで描いたマッピングなんですけど、まぁ良いでしょう笑)


大学の後期が始まって、もうすぐで1か月が経ちます。


前期と比べると、必修科目が圧倒的に多いんですけど、

必修になるべくしてなったんだろうなって思う、中身の濃い授業が多くて

毎日が学びの日々です💪

(まぁ、面倒だなって思う必修科目ももちろんありますが😇)


ところで、教育学部ってきくと

指導方法学んだり、発達心理的なこと学んだりするんでしょ?

そんな風に思われる方が多いかもしれません。

私もそんな風に思ってました。


でも、そんなことないんです。(学科によるけどね!)


法律だって学ぶし、文学とか、社会学とか、いろいろやります。

何でかなって私なりに考えたんですけど、

教員にとって、色んな学問を学ぶことが必要不可欠だからじゃないかなって思うんです。

その理由を説明させてください。


そもそも、教育って一言では言い表せないものではないでしょうか。


人はそれぞれ個性があって、どうすれば成長するのかもそれぞれ。

だから、"いい教育"って抽象的な定義しかできないと思います。


じゃあ、教育する立場の先生側に必要なことってなんだろう?

指導力?忍耐力?適応力?


たしかにどれも大事なことだけど、なによりも大事なのは、

多様な価値観を受け入れる力 ではないでしょうか。

個性をつぶさない教育、って言った方が分かりやすいのかも、、、?


確かに、なんでもマジョリティが優先されてしまうのは、仕方のないことだとも思います。

ハサミとか、右利きの人用の方が売れるのは自然なことだし、、、

改札も、右側にタッチ部分置いた方がスムーズに人が流れるし、、、


でも、教室の左側に窓を設置して、右手の影ができないようにするのは違うなぁと思います。

ハサミみたいに営利目的じゃないし、、、

改札みたいに効率的でもないし、、、


教育現場に、当たり前のように多数主義を持ち込んでしまうのは危険なことだと思うんです。

マジョリティがすべてじゃないし、普通であることが正義でもないから。

でも、今の教育現場は多数主義が当たり前になっていることが多い気がします。


だから、指導側である教員には、色んな個性を受け入れる価値観が必要だと思うんです。

そのために、教育学部は人権とか社会学とかを学ぶ必要があるんじゃないかなって


まぁ、国のお偉いさん方や、そこと癒着してる大企業のお偉いさんは

なんでもいうこと聞く軍隊みたいな人材を育てたいでしょうから、

日本の教育はずっとこの軍隊教育なんだろうなと思っていますが(小声で唐突にはさむ)


コホンっ(せきばらい)


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。(そして急に終わる)

最後に、これはへなちょこ教育学部生が書いたため、考えがまだまだ浅く、稚拙であるということをご了承ください。



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