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新年、明けれども明けれども…

 みなさま、新年明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、実際はほとんどお世話にならなかった人にも、むしろ内心、一方的にお世話したぞ?って人にも、今年は一度もこいつの顔見たくねぇなって人にも、本当にお世話になった人にも同様にする、だるだるな挨拶もお行儀よく述べたところで、本題に入りませう。
 毎年、お正月には「新年の抱負」なるものを述べるのが慣例ですね。私は子どものころ、書初めや作文やクラス内での発表という形で必然的に言葉にしなければならなかったので、毎年この「新年の抱負」をこさえたなぁという記憶があります。高校を卒業して以来も何となく自発的にこさえたのですが、その年の終わりどころか1月下旬にはもう、何を「今年の抱負」にしたのかすっかり忘れてしまっていました。思い返してみると私は、例えそれが上手く機能していないものでも惰性で使い続けてしまうところがあり、この「お正月に抱負を掲げる」というのもその一例…_(:3」∠)_

 長期的な視野を持てる人、妥当な計画を立てられる人にとっては、1年間の目標を明確にしておくことは日々の成長や充実の有効な手助けになるのだろう。しかし私はど近眼だし(肉体的にも精神的にも)、物事をどうしても失敗してしまう星の元に生まれているので(私が悪いわけではない!)、1年後に「成功したか失敗したか」がはっきり分かれるような目標を立ててもあまりQOL的にも幸福度的にも良い結果は望めない。だからまぁ、掲げるとしたら日々の生活の姿勢、在り方の指針にでもしようかなぁと思います。

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 これが私が一日一日、日々の心持ちとしておこうと思うところです。漢検は3級(中学3年生レベル)しか持ってないので、全く漢字に詳しいとかではないのですが…。「負」。この漢字と私の相性の悪さはこの30年間でひしひしと感じて来たしだいです。「気負い」「負債」「負い目」「負のオーラ」、エトセトラ…。まぁ元々あまり良い意味を含むことが少ない字ではありますが、英語で言うところのプレッシャー、物理で言うところの外圧、心理で言うところのストレッサーと言うような意味と近いですかね。ただ人生の中で避けられないものだし、そういうマイナスな部分があるからこそ、成長や成熟が出来たりするものだと思います。「抱負」とかね。
 昔、阿川佐和子が、彼女の母の介護についての記事で「母に、仕事に行ってくると嘘をついてゴルフに行く。そうすると私の中に母に対する後ろめたさが生まれる。でもこの後ろめたさがあるから、母に優しく接することができる」と語っていた。このように負い目、「負」と上手く親和できる人がいる一方、私は些細なプレッシャーで失敗し、小さなストレスで潰れてきた。だからこそ私と相性の悪い、この「負」を生活の中から減らしていこうという、何となくの心持ちである。

 「抱負を掲げない」というのは、ここ2年間、それまで全く見当違いをしていた「自分」という人間について否応なしに向き合わなければならず、自己理解が急速に進んだ成果としての改善ですね。ですので今年は、背負わず気負わず負のオーラを出さず、まぁまぁなぁなぁでやっていこうと思います。ここまで読んでくださった方には心から、本年もよろしくお願いいたします。ハッピーヌーイヤー!!!