カシオペアの丘で 重松清 ネタバレ読書感想

命が消えていく物語は苦手です
わかりやすい、お涙頂戴なお話は苦手です
頑張っている姿に涙するのは当たり前すぎて
それを前面に出されると逆に冷めてしまう気がしています

なのにこの本は
なんなんでしょ?
なぜこんなにも愛おしく感じたのでしょうか?

ネタバレ読書感想文を書き始めて
ただただ「良い話だったなぁ」って思える本は
感想文が書けないって言う事に気付きました
すごく心に沁みわたる本や
やる気もらえたりする本も沢山読んでるんです
でもそれ以上も以下も感想が残らなくて
どの部分がどんな風に「良い」のか
言葉を連ねるのは無粋な気がしてしまうんです

けれど、この一冊は書きたいと思いました
それはもしかしたら
この本は「許し」の一冊だからかもしれません

日常の中
悲しい出来事
苦しい出来事
悔しい出来事
数多くあってどうしても笑えない時
笑うために一歩前に進むためにしなければならない事

諦める
忘れる
見て見ぬ振りをする

その中で本当の意味で
心を軽くしてくれる事
相手の為ではなくて
自分の為にする最大の事
それが
「許す」と言う事なんじゃないんでしょうか?

目一杯向き合って
自分の中で幾度となく反芻して
消化して
そして一点の曇りなく許す事が出来たなら
その時本当に笑えるんじゃないでしょうか?

もしかしたら
「シュウちゃんの死」と言うゴールがあったから消化できた感情もあるかもしれない
何より
シュウちゃん自身がシュウちゃんを許す為にはもしかしたら
「自分の死」が必要だったのかもしれない

それが切ない

それが元気な内にできたら
もっとお互い
良い時間もいい関係もいい相乗効果もあったのかもしれない

謝罪の気持ちの重さは
その相手への愛情の深さによって
大きくなるから
大切な人であればあるほど
自分の死と向き合う中でしか
自分を許せなかったんだろうなぁ

それなのに残された人
みんな幸せにしていったシュウちゃんはすごいなぁ
決して「死」をもって幸せにしたのではなくて
みんなが自分自身を相手を「許す」機会をシュウちゃんが
それぞれに渡して残してそして見守ってシュウちゃんは逝ってしまったんだな

愛おしい話だった

許したい事があります
許されたい事があります

まだ本当の意味でどちらも出来ません

許す事ができることは「強さ」なんだろうな

いつかその強さを持つ事が出来たらいいなと思います。

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