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生成AIとコンテンツについて

まずは話の入り口として以下の記事を紹介しておきたい。

 細かい部分は記事本体を読んでいただきたいのだが、この記事の中で野尻氏は『生成AIで世界はこう変わる』 (SB新書、今井 翔太 著)の創造の3分類を引用し、

(1)組み合わせ的創造性(Combinational Creativity)
(2)探索的創造性(Exploratory Creativity)
(3)革新的創造性(Transformational Creativity)
 (1)(2)は生成AIでも実現できている。(3)はいまのところ不可能で、人間側の指示、つまりプロンプトに宿っている。実際のところ、生成AIの作品で面白いものは、きまってプロンプトが面白い。

上記記事より抜粋

 と記載されている。
 この部分については私も同様の感覚を持っており、結局のところそれがイラストであれ、物語であれ、単にAIだけで作ったというだけの物には「何を見せたいか」が欠如していて、単に、へーこんなこともできるようになったんだねー。以上の面白さはない。
 必要なのはその創作に至った動機であり、小説であれイラストであれ、人が「書きたい」と思った理由にこそある。と常々感じている。
 経営的に言えば、経営理念の部分。最も根幹となる思想の部分で、そこがあらゆる価値判断の根本となる。
 それは例えば猫好きが「猫の可愛さを伝えたい」ということを動機にしてもいいし、バトルもので「スリリングな思考バトルは面白いだろう?」を動機にしてもいい。
 それが根幹にあって初めて表現されるものの設計がはじまる。【猫の可愛さ】を伝えるために、1番可愛いと思ってもらえるシチュエーションとシーンを用意する、とか、1番可愛いと思ってもらえるしぐさを表現するとか。そしてそこへ至るための道筋をつけていけば物語が完成する。

ツールとしてAIを使う

 つまり、動機部分を人が提供することで、ツールとしてAIを使って創作することは可能かもしれない。
 根本動機を人が用意し、そのプロットを人が作り、プロットを入力データとして小説を書かせるやり方なら根本的な道筋は人が作っていることになるので可能だろうと思う。
 だが、おそらく作っている途中で、出てきた文章を大幅に書き換えたくなるだろうなとも思う。作っている人にとって、それぞれのシーンを効果的に輝かせると思える表現はやっぱりあるだろうなと思うので。そこまで行くとAIを使った方が早いのか、自分で書いた方が早いのかといったレベルだ。
 ただ、イラストや動画に関しては、単純に作業工数が多いから、ツールとして使う価値はあるだろう。ある意味アシスタント的に使うやり方で、絵の背景にビルの俯瞰を入れておいてとか、衣装の模様をこういう感じのもので入れておいてとか。
 今のところAIイラストはそういった方向はあまり注目されてないが、必然的にそうなるんじゃないかなと思うし、そうなってほしいと思う。
 遠い未来、人工知能が人間と同じように意思を持つようになったら、おそらくその時初めて面白い小説が1からかけるようになるんだろう。

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