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晴海見本市会場


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おそらくほとんどの方が、「晴海見本市会場」と聞くと、「いや、それは東京ビッグサイトのことでしょう」とおっしゃると思います。しかし、1996年までは、今の東京ビッグサイトではなく、晴海埠頭に見本市会場がありました。以下に記事があります。

私が高校生のころ、父親がこの晴海見本市会場に連れて行ってくれました。それが私にとって初めて東京に旅行する機会となりました。父親は大手電気メーカーを独立し、自営業で機械図面を書く仕事をしていました。その父親が設計した機械が見本市に展示されているということでわざわざ奈良から見に行ったのです。

父親は、大手製紙メーカーから受託で「フィルムで大きな紙箱を包装する機械」を設計していました。私は父親の図面はたくさん見ていましたが、実際それが機械になった姿を見たことはありませんでした。一体どんな機械なんだろうと思っていましたので、楽しみに東京に旅行に行きました。

TOKYO PACKという展示会は今でも開催されている包装機器の老舗展示会です。その展示会に父親の設計した機械は展示されていました。

いつも父は組図(機械の全体図)をA0という大きさの紙で設計していました。当時はまだCADというものが主流ではなく、紙のトレーシングペーパーにシャープペンシルで図面を書いていました。なので紙の大きさはわかっていましたが、縮尺を知らずにTOKYO PACKに行ってみたら、なんとその機械の大きいこと。私たちの背丈の倍くらいある大きさの機械で、うず高く積まれた段ボールを透明ビニールで包むという装置でした。展示会場の大きなブースの真ん中にその機械は設置されていました。

高校生の私にはあまりよくわかっていなかったのですが、今から考えるとあの機械は他社に販売するための装置で、その装置を外注である父が設計していたんだなということだったんだと思います。

父親の仕事の成果を実感した初めての場所、それが晴海見本市会場でした。

男子目線で恐縮なのですが、展示会というもの自体も人生初めてだったので、たくさんの大人の女性の方々が展示会におられたことはたいへん刺激的なことでした。

その後、晴海見本市会場に行くことはなく、いつの間にか閉鎖され、展示会場としての役割は有明にある東京ビッグサイトに移転されました。その後ビッグサイトは毎年仕事で行くことになるのですが、まさか高校生の時にはそういうことになるとは思ってもいませんでした。

晴海見本市会場跡地は一部が清掃工場、そして一部は東京オリンピックの選手村になっています。

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