マウント媼


 先日、祖母が他界した。95歳でそこそこ長生きだったし介護していた両親に自宅で看取られたのだから、往生しただろうとおもう。この父方の祖母、ここではトモコと呼んでおこうとおもうのだけれど、このバアさんは孫に小遣いをせびったり自殺ほう助を依頼したり、嫁いできてからずっと嫁いじめをして母を泣かしたり、子にあたる叔父伯母にはぎとぎとに甘いくせにいちばん近くで介護をする父をじぶんの財布から金を抜く泥棒と疑ったりするというひとだった。
「そろそろトモコが死ぬから、あんたも今生の別れをしに来な」
と久しぶりに母から連絡があったのは亡くなる3日前だったけど、ちょうどそのときは高速を運転しているときで、実家に向かっている真っ最中だった。トモコ瀕死のうわさは姉からすでに仕入れており、「どうせ正月はだらだらしたくて実家にも顔出さないでいる予定のあんたのことだから、今のうちにバアさんの顔みて母さんと父さんに会って来なよ。そうしたら年末年始は行かなくて済むでしょ」と勘の鋭い姉から忠告を受け、素直に従うことにしたのである。
 ベッドに横たわるトモコは口で浅い呼吸を繰り返し、薄くあいた目はわたしを認識していないようだった。実際、夏にあったときにはもうわたしのことを忘れてわからなくなっていたので、トモコとの今生の別れはとっくの昔に終わっていたのだけれど、晩年のトモコはとにもかくにも死ぬことばかり相談していたから、その後実際に訃報に接したときは成就してお疲れ様というのがいちばんの感想である。
「プルちゃん、ちょっとハイヤー呼んでくれない?」
「どっかでかけるの?」
「あの世。ハイヤーが、バーッて来たタイミングで『さいならー』って言いながらタイヤに飛び込んで死んでやっから」
「ドライバーさんが気の毒すぎるし、タイヤも汚れるからダメだよ」
こんな具合である。もっとも、このときの祖母は歩行器をつかってなんとか一人で移動していたから、車に乗る前には疲れ果てて回りの家族に悪態をつくのが常だったから、こんなうまい具合にはいかないのはわかっていた。ほかにもさまざまな自殺ほう助の依頼があったが、どこまで本気だったのかもうわからない。ただ、寝言でも「殺せー!!」って叫んでいたから、たぶん本気だっただろうし、それだけトモコの地獄がこの世や家と地続きだったということを思えば気の毒な話である。わたしもその地平に立っているということに気が付く歳になったよ。
 わたしのほか10人ほどの孫がいるけれど、同居する末孫ということでトモコとはいちばん思い出があると思う。と、言いながらわたしがトモコの愚痴や恨み節をこの一族の年代記を読むように面白くて何度も何度も繰り返し聞いた、という方が正しい。今思えば、他人事で無礼な発想で申し訳ない。この家に嫁いできた初日に祖父と触れ合うよりもはやく、ひいひい爺さんの汚れたオムツを取り替えさせられたことが如何に屈辱だったか。祖父と二人で田畑を開墾していると、いつまでもいつまでも石ころが出てきて、石を拾い続ける夢を何年も見続けたこと。肝炎で死にかけたとき多額の輸血で命を繋いだが、その輸血代で賄われるはずだった嫁入り用の着物が買ってもらえなかったという祖父の妹との確執。バイク(原付)で家出したとき職質を受けて免許証の提示を求められたがストッキングの内側に入れていたものだから軽くパニックになって警官の前で破って出したら「色仕掛けは通じないぞ」と言われて、めちゃくちゃムカついた話、そのつもりはなかったが、その気になればその警官には通じたとのこと。などなど。
 トモコは話をするのが好きだし、わたしは話をきくのが好きだったからこういった思い出話は竜がとぐろを巻きながら空を登っていくように盛り上がった。トモコは話したことを忘れるし、わたしは何度も聞いて、聞くたびに面白がっていたから需要と供給があっていたのだ。ただ、あまりにもわたしが繰り返し思い出話をせがんだし、こっそり母の漬物に塩を大量投入するような陰湿なトモコの語り口がこのときばかりは饒舌になることもわたしのツボだったこともあって、あれは祖父からもらったラブレターを河原でこっそり読んでいたら後ろからトモコの兄がやってきて祖父の字の汚さをさんざん馬鹿にしてきた話を聞いた100回目くらいのとき、いちばんの盛り上がりポイントの祖父の字の汚さを指摘されてムカついた、というところでゲラゲラ笑ってたときにさすがにトモコも気を悪くして「プルちゃん、お前、おれのこと馬鹿にしったべ、あ?」と切れられて、それもおもしろすぎてゲラゲラわらったのが今となっては懐かしい。
 わりと気性の荒い奴だったけれど、トモコを語るうえで欠かせないのは、「マウント媼事件」において他にない。10年以上前、祖父が亡くなる直前だったが、早朝トモコが雄たけびを上げているのを聞きつけた父が祖父母の寝室にむかうと、「こんにゃろー!!こんにゃろー!!」と叫びながらトモコが寝たきりの祖父に馬乗りになってボカスカ顔面を殴りまくっていたのである。祖父はこのときすでに死に体だったが、トモコの拳骨により前歯を2本失うことになった。この件について生前尋ねたことがあったが、「寝てて覚えてない」とうそぶいていた。あんた、折った歯で右手の拳が裂けてたでしょうよ。祖父に対する昔年の恨みがあったのかもしれない。トモコと違って、わたしには祖父は絵にかいたような田舎の好々爺だったから、いまいちわかならい。ただ、その直後祖父が肺炎で亡くなり、遺体を移動させようとしたときにトモコが祖父を君付けして遺体に縋りついて泣いていた様子も思い出される。
 葬儀は身内だけで行われた。トモコ死去に伴う面白い出来事、コロナ禍もあってご近所さんにはトモコ死去は葬儀まで秘密にしようと約束したのにお坊さんが盛大に自宅前で自損事故を起こしたものだから一瞬でご近所に知れ渡ったたり、甥っ子が1秒もジッとしていられなかったり、大叔父が記念写真撮りまくって伯母と大喧嘩したり、司会がトモコの名前を読み間違って父が激怒したり、いろいろあったが、なんかもう書くのがめんどうくさくなった。
 サンキュートモコ、こうして川柳の友達とかにあんたの生き様を見せてやるからな。わりとしょうもない奴だったけど、しばらくは孫の思い出話で生き返らせてやるから。『さいならー』

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