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メモ(とりとめのない話)

詩の雑誌 midnight press 21 2003秋
poetic dialogue 詩の危機 生の危機(瀬尾育生・稲川方人)p54〜p68

対談をまとめた『詩的間伐』という本で読んだ記憶がある。また、過去に現代詩フォーラムで ななひとさんが書いた

こちらの文章のソース元なのかとも思ったが、改めて ななひとさんの文章を読み直すと

『現代詩手帖』に載ったらしい瀬尾氏のネット詩否定の論文

「詩人」の「資格」 ななひと
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=110916

とあるので、そちら(現代詩手帖)をあたってみたい。図書館行くか…。見当をつけるため、思潮社のサイトでバックナンバーのPDFファイルを見てみたが、全然わからない。ななひとさんの投稿が2007年なので、それ以前なのは確実だろうか。バックナンバーの特集の字面を追ってて気づいたのは、「インターネット」という言葉が出てこないこと。ざっと目で追っただけだが、そこはかとなくネットの香りがするのは、

90年代のバックナンバーから「メディア」
00年代の「00年代詩人」
10年代の「10年代詩人」
年代は忘れたが「詩はどこにあるか」の「どこ」

ぐらいである。
媒体や、当然それらの媒体に触れているであろう年代の詩人たち※、媒体の場所(種類)に、「インターネット」という言葉が含まれていそう…というだけで、確証はもてない。さらに言えば、90年代の「メディア」という言葉には、むしろネットへの距離が感じられる。(私は)90年代の「メディア」という言葉に、物理メディアの延長みたいな印象をすごく受ける。CD-ROMの電子辞書で、鳥の鳴き声が再生できるとか…。そんなイメージ。Macromedia Director等のオーサリングソフトで作成された、インタラクティブなマルチメディアコンテンツをCD-ROMで楽しめる、とか…。大容量の記録メディアに、コンピュータグラフィックスはもちろん、音声や動画をふんだんに盛り込み、それらをパソコンで楽しむことができるようになった時代。しかし、通信によってリッチなメディアを受信することはまだできない時代。ちなみに、パソコン通信は80年代に始まってたと思うけど、その辺りは詳しくないのでわからない(といって、他のことは詳しいのかと問われると、別に詳しくはない)。
1998年ごろからインターネットに接続し始めた私の記憶では、コンテンツというのは、まず文字データや簡素な画像データ、それからシャリシャリした音や、次いで小さくてギザギザの動画たちだった。
RealPlayerとか。RealPlayerやWindows Media Playerはストリーミング機能を備えていたが、途中で止まるのが当たり前だった(電話線のデータ転送量はMAXで56kbpsだったと記憶しているが、まずそんな速度は出たことがなかった。実際の転送量は、ファイルダウンロードの進捗画面を見る限り、平均4〜6Kbps程度で、下手すると1〜2しか出ないこともざらだった。10Kbps以上の数字を見るのは非常に稀で、そのような数字を見ると、「今は回線が空いていて、かつ相手側のサーバーの回線にも余裕があるんだな」と実感できた)。だからこそ、動画は落とす(ダウンロードする)ものだという認識があった。今思い返すと、なぜ電話回線で、横160ピクセル、縦120ピクセル、音もシャリシャリしててしょっちゅう止まる動画とかを一生懸命見ていたのか。しかも深夜2時とか3時とかに。ほとんどテレビの受信テストでカタカナのイが映るノリであって、見れればなんでもよかったのかもしれない。
そういや、あの頃はまだ全然テレビだった。テレホーダイでネットしながら深夜映画を見ていた気がする。ネットに接続するようになると、次第に個人が作るウェブサイト(ホームページ)に触発され、自分でもHTMLを含めたテキストを打ち込み、簡素な小さな画像を貼り付けて、公開などもするようになった。画像のサイズや質を落とすのは、自分のサイトを見にくるであろう相手の通信速度に合わせてのことだった。まだまだ容量の大きなファイルは嫌われた(私は結構我慢する質だった)。他人のサイトを閲覧するとき、デジカメで撮った画像をそのまま貼り付けると、表示されるまでに、下手すると数分かかり、表示されたとて、それほど良い画像でもなかったりしたので、画像は小さくが基本だった。いきなりデカいのを貼らずに、サムネ画像にリンクを貼って、見たい人だけが高解像度のファイルにアクセスできるようにするのがマナーでもないけど、なんかあった。そういうの(サムネとタグ)を生成するソフトもあった。中にはおっちょこちょいがいて、高解像度の写真を、サイズ指定でサムネのサイズに縮めてるだけの人もいて、そんな時は、めちゃくちゃ重たいちっこい画像がちまちま表示されるのを見届けるか、その場を立ち去るしかなかった。ソースを見てホームページビルダーだったりすると、偏見を持つ年頃だった。
なんの話だっけ。
まあいいか。
続けよう。
自分で作ったファイル一式(コンテンツ)をサーバーにアップロードし、ホームページとして公開していた。私も、他人がそのようにしてアップしたであろうコンテンツを閲覧していた。BBS(電子掲示板)は、広告付きを無料レンタルして、ホームページからリンクを貼り、そこで挨拶や会話などを行っていた。ただし、まったく見ず知らずのアドレスへ、ピョーンと行けるほど検索が機能しているわけでもない時代。Yahoo!はまだ登録制だった記憶がある。最初はYahooで興味がある分野の有名どころを閲覧したり、そこのリンク集を辿ったりして読み耽るのが常だった。あとは、ポータルサイトというのか、趣味のクラスタごとにwebringとか投稿サイトといったものがある(創作系webring? 文芸サーチエンジン? なんかそんなのあったよね)ので、そこに登録して、webringからの人の流入や、投稿サイトから興味を持ってやって来た人などとちょっと挨拶したり。大抵の場合、ホームページには、えーと…88×31?ピクセルのバナーという、ちっちゃい看板的な画像があり(個人が画像作成ソフトで作る)、それをお互いのリンク一覧のページに貼って、お互いのサイトをリンクさせることを「相互リンク」と呼んだ。今で言えば、SNSのフォローとかフォロバにあたるのかもしれない。
↑ここまでの交流話は私の創作であって、私はコミュ障なので相互リンクとかほとんどしてなかった(と思う…せいぜい3人とか)。あと私はwebringはやってなかったし、投稿サイトから人が来て挨拶…なんかもほとんどなかった。交流が苦手だしね。実際には、最初はリアル知人と交流するための目的不明のサイトを作り、その後、詩のクラスタにやってきてからは、隠れてもう一個サイトをやり始めた。その際、先に書いたような交流が、小規模だが、ささやかながら私にも発生した。さっきはかなり盛って書いてしまい、すいませんでした。
でも、未だになんで詩にいったのか意味がわからない。それがネットの面白いところではある。普通に生きてれば絶対こんなふうに鈴木志郎康さんの本ばかり集める人生にはなってなかったはずだ。詩の投稿サイトに参加した当時の日記には「ひもじかったので…」みたいなことしか書いていない。人間なんてそんなもんである。
詩のところに流れ着く前の、そのころの私(1999年ごろ?)は、詩なんか知らないという感じだった。どんな感じで知らないかというと、とにかく知らないという感じだった。教科書で すれ違ってるはずだけど、完全に抜け落ちているジャンル。テレビで流れる歌(J-POP)や、CDの歌詞カードに、かろうじてそれ(詩のようなもの)を感じている程度だったように思う。本も読まない、映画も見ない、音楽も流れてるものしか聞かない。そのころはたぶん、詩というのは、なんか、漠然と、夜空とか、アンデスとか、コンドルは飛んでいく、みたいな雰囲気のものだと思っていた。要は、詩っていうものは、日本原産のもんじゃないっていうのはすごく感じてた。
なんか話がそれてきたな。
ええと、現在においては、圧倒的にデータを受け取ることのほうが増えたように思う。Youtubeやサブスク動画などはその最たるものである。月額数千円払ったり、意味のない早口の広告見たり、個人を識別できないデータや識別できるデータをガンガン相手に送り続けたうえでの享受だとは思うが。結局、コンテンツにしろ広告にしろ、視聴傾向を把握して、消費者への命中精度を上げるのが目的なのだ。物理的な大容量記録メディア内のコンテンツ(フィジカル)の受け取りから、インターネット初期の草の根的なデータや情報の相互間の受け渡し(ギブアンドテイク)の世界を経て、ネット環境の整備(高速化や支払いのセキュア化・馴致等々)によって、コンテンツがフィジカルである必要性が減り、個人が企業と契約した期間だけ、コンテンツのクラウドが開放されるだけの世界になってしまった。物理メディアの時代のように、取引によってコンテンツの記録媒体そのものがすべて明け渡されることはなく、契約期間中は享受仕切れないほど膨大なコンテンツの中に投げ込まれるが、契約期間が終わればアクセスできなくなり、そのどれもが手元に残らない。なんかちょっとひどくない?とも思うけど、モノでいっぱいになるのも大変。メルカリとかで売らなあかん。およそ二十年前の、個々人が細い通信回線で試行錯誤する時代から、アルゴリズム、クラウド、ペイウォールによって、見るものや受け取るものを並び替えられ、芋蔓式におすすめが永遠に表示される時代へ。元データは(私のファイルですら)常に向こう側(クラウド)にある。更新した情報が端末間をシームレスに渡ることによって、スマホでもPCでも何も意識することなくスケジュールから写真から何からを確認することができる。情報は、より情報らしい姿になった気がする。所有感なんか要らんかったんや!という気もするが、アカウントを維持・継続できない人間は、そこから退場し、暗渠へと消えるしかない。その安否は、サービス提供側はもちろん、本人の動向や消息を把握できる関係にあり、且つ本人がアカウントの存在も知らせた人間にしか分からない。家族・友人でも、本人がアカウントを持っていることを知らなければ、アカウントに紐づいた関係者に対し、その安否や消息をアナウンスすることは出来ない。また、サブスクやクラウドでサービス提供者とデータをやり取りしていたに過ぎない個人の場合、決済が滞った時点で完全に縁が切れ、誰からも不可視な存在となってしまう。サービス享受者からの孤独死まったなしである。というかこれ、今の私がまさしくそんな状態である。今は勤め人なので、死んだらさすがに会社が不審に思ってくれるかもしれないが、今、ここ(部屋)でいきなり私が突然ぶっ倒れたところで、飼っているペットは壁に立てかけていたクイックルワイパーが倒れたときと同じリアクション(キーッ! 直訳:びくっとしてムカッとしました)しかしてくれないだろう。そんなふうに考えていくと、今の社会は本当に「今はいいけど…」みたいな部分がとても多い。少し違うけど、パスワードの管理も同じような問題を孕んでるような気がする。まあ、そんなふうに生きて来た私も私だけど。個人的には、地元のスーパーマーケットの買い物データを解析して「(統計的に)この買い物の仕方はヤバい」みたいな感じで、やんわり福祉に繋いでくれるようなシステムがあるとありがたい気はする。
話を戻そう。
なんの話だっけ。
そうそう、現代詩手帖の特集の見出しに「インターネット」って出てこないね!って話だったとおもいまーす
ではつづけまーす
そうそう、たぶん当時あった詩の雑誌で、インターネットを特集しないって意外な気がするんですね
(バックナンバーの見出しじゃなくて、小特集とか論考ではあったかもしれないので、それならそれで別にいいんすけど)
たぶん詩学と詩と思想と今回取り上げたmidnight pressはあると思うんですよ多分(多分って2回言った)
詩と思想は、光冨郁埜さん(今検索したらなんか名前変わりました? 光冨幾耶さん)のネット時評があった(https://mitsutomi.work/column04.html)ように思うし、詩学には、先田督裕さんの論考「ぼくはインターネットでこんな詩を読んだ」があり、
midnight pressには「インターネットという途上を生きる」(17 2002秋 谷川俊太郎・正津勉 ゲスト:いとう 片野晃司)がある。

余談:光冨さんのネット時評ちらっと見て「ネット詩f」ってみえたのでついでに書いておくが、この「ネット詩fについて(清野無果さん)」という、批評祭2007(だっけ?)に投稿された文章は原文が消えてて読めないし、どこのアーカイブにも残っていません。その割に言及されまくってるので、この原文を知ってる人がいたら後でこっそりメールかなんかで送ってください! 以上!

で、
でですよ。ここからが本題なのですが、昨日本棚を増やして、本の整理をしていたら、ファイルが2個出てきました。中身を見たら、たぶんインターネットの詩に言及している紙の雑誌の複写を図書館でバーッと印刷してもらった時期(10年ぐらい前でしょうか。まだ個人送信サービスがなかった頃。今は国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるはず)があって、それが出てきましたので、これを読んで、ネットやネットの詩にぐちぐち言ってる文章をあげつらって批判していくターンに入ります。

新日本文学 1999年7月号 No.604
遅れている日本の「インターネット詩壇」
−−インターネットで詩はかわるか
井上俊夫


井上俊夫さん(1922-2008)は当時77歳で、パソコン歴15年。ということは、62歳(1984年頃)からパソコンやってるということで、かなりのヘビーユーザー。ネットも始まってすぐに飛びついたとあり、その後、ネットサーフィンするうちに自作のホームページを作りたくなったのが1996年。
1996年といえば、清水哲男さんや鈴木志郎康さんが自身のホームページを拵えた年でもある。
従軍経験のある井上さんは、ネットで若者が戦争や歴史認識について喧々囂々やってるのを見て、自身の体験に基づいた戦争論や、過去に発行した散文詩集から戦争詩を抜粋して公開した。「浪速の詩人工房」というサイト(アーカイブ:https://toin.pw/)である。こちらがNHKや朝日新聞に取り上げられ、トップページのアクセスカウンターの数字は毎日10〜20増え、(1999年の)4月10日には40500アクセスになったという。
郵送による(同人誌や詩集の)頒布は非効率だし、せいぜい数百部どまりだが、ネットに載せれば、閲覧者の数は飛躍的に増大するし、不特定多数の読者も獲得できる。ただし、トップページのカウンターはアクセスを示すだけ。中身を読まずに去る人もいると想定する必要がある。アクセスカウンターで一喜一憂するのはあるあるだが、井上さん的には今はもう要らないと考えていて、ネットで公開した以上は読んでくれる人がどこかにいるはずだと信じたほうがいいとのこと。
あと、ネットでは複製が簡単に作れるので、盗用されて困るような情報(独自の発想や、収集に苦労した資料)は、本にするまで公開しないようにしている。
詩人を検索エンジンでみると、ざっと300人いるが、ほとんど新鋭かアンネーム(匿名・ハンドルネーム)の詩人で、知名度のある詩人はほとんどいない。既成詩壇の詩人は、ほとんどインターネットにいない。詩人の団体組織のホームページもない。ただ、インターネットで活躍する詩人や詩の書き手によって「インターネット詩壇」というべきものが形成されてきていると感じるが、その姿はよくわからない。
ネットでの詩の表現や公開方法には色々あって、(井上さんのように)ホームページで公開する、「ビジュアル詩(カラフルな映像と組み合わせた詩のことらしい)」を作る、同人雑誌をホームページで公開する、自前のホームページはないけど、詩の投稿サイトにメールで投稿する、ニュースグループでの投稿などがある。ニュースグループで投稿している人たちは、検索エンジンでも見えてこないので実数は定かでないが、これも何百人といるのではないか。
現状、インターネット詩壇には、まだネットの利を活かして主義主張を持った文学運動を起こしてやろうというグループはいない。ネットでの詩人の分類は、検索エンジンへの登録、つまり自己申告制。落書きのような詩をのせているホームページでも、本人が名乗れば詩人になれる。インターネット詩壇は玉石混淆。詩のホームページでこんな調子だから、投稿作品のフォーラムはさもありなん。
なので、将来インターネット詩壇に通暁した批評家が、いい詩人やグループをキュレーションしないと、ますますカオスになる。
(あとは、アメリカのインターネット詩壇についての話。今回は割愛させていただきます)。

以上、要約したけど、こんな感じのことが書いてあった。井上さん的には

「インターネット詩壇」とでもいうべきものが次第に形成されてきていることは間違いない。しかし、その姿は混沌としていて、掴み所がないのだ。

新日本文学 1999年7月号 No.604 p54
井上俊夫
遅れている日本の「インターネット詩壇」 −−インターネットで詩はかわるか


というのだけど、私はついぞ「インターネット詩壇」を感じたり、お目にかかることはなかった。ネットに対する見方や、利点や注意点はまっとうな感じで、インターネットの詩についてもっとこっぴどく書かれているものと思っていたが、カチンとくる箇所は少なかった。ここぐらいかな↓

今やインターネット詩壇で見られるものは、文字通りの玉石混合(原文ママ)である。詩のホームページがこういうありさまだから、まして投稿作品のフォーラムともなれば、一度覗いたら二度と見たいと思わないほどのひどさである。

新日本文学 1999年7月号 No.604 p55
井上俊夫
遅れている日本の「インターネット詩壇」−−インターネットで詩はかわるか

なんか手厳しい。けど、わからないでもない。私も石側の人間の認識はある。自己肯定感ひくひくで生きている。けど、この井上さん、悪い人ではない。読者を得るために、手あたり次第に詩集や詩誌を送る非効率な詩壇の旧弊に辟易としているのも見て取れる。その解決策としてインターネットは使えるか? 結論「読める人にしっかりキュレーションしてもらえば、いい感じのインターネット詩壇ができるんじゃないでしょうか、あとアメリカ見習え、以上」って感じである。まあ、批評が大事ってことでしょうか。あとは過去の著作権が切れた詩人のデータベース化を急げ、アメリカはやってるみたいな話。あとアメリカは詩人を著名な詩人とアンネームドで分けてるし、パーソナライズといって、詩を贈りたい人のために詩を書くサービス(1つ25ドル〜35ドル)もある。日本も見習え的なことも書いてらっしゃる。

しかしである。誰もがキュレーターなのがネットのいいところである。玉石混淆の中、それらを掻き分けて(嗅ぎ分けて?)自分好みのクラスタへと漸進したり(現在アルゴリズムによって、秒で"おすすめ"が立ちはだかってしまうが)、「この人のおすすめみとけば飽きねえな」っていう、金鉱脈的な人を掘り当てるまでがインターネットです。たとえば、気になる詩を書く人のホームページのリンク集から、さらに気になる詩を書く人を見つける。あるいは現代詩フォーラムであれば、気になる詩を書く人の「おすすめ」から、さらに気になる詩や詩人を発見すること。このように、自らをキュレーションし、芋づる式に好みの作品を黙々と掘ることができるのがネットの利点である。あとは、アクセスする難度が、他の媒体と比較して圧倒的に小さい。寝てても見れるし部屋暗くても見れる。バスでも電車でも見れる。暗い中スマホで詩なんか読んでたらダメだよ…って気もしなくもないが、そういうアンニュイな日が、人生に1〜2回、あるいはもうちょっとあってもいいのかもしれない。

さっきの井上さんのよろしくないところは、なんといっても、詩壇ありきの発想と、いい詩とわるい詩があるかのような口ぶりにある。詩のわるいほう(よくないほう、だめなほう)がネットにはいっぱいあって、キュレーションが機能してなくて、けど紙媒体はちゃんとしており、紙にはよい詩しかなく、紙にはガチのやつしかおらず、紙にはうまいやつかガッツのあるやつしかいない(こんなこと誰も言ってない)といった偏見に対しては、「それは同じ誌面に共にする参加者(投稿者や寄稿者)を信じているからしょうがないことなのかもしれないけど、あまりにも無批判に、紙になってるとスゴイみたいな感じがして、俺はすごいやだなーって若い頃は思ってたんだけど、今はもうゆるくなっちゃって、そういうのも、なんか大事なのかな…って」と答えよう。

midnight press 創刊号(1998年秋号)p44
福間健二
詩は生きている1 まず一歩出ること


ここで、詩の雑誌 midnightpress 創刊号から、次の言葉を引用しよう。

 以前、鈴木志郎康さんから、彼の詩の授業やその受講者の話をよく聞かせてもらった。そのたびに思ったのは、知識のつみかさねからではなく、ただ書きたいように書きはじめた初心者の書いたものへの、鈴木さんの視線のやさしさは、ぼくには、とても真似できるものではないということだ。
 鈴木さんは、NHKという組織のなかでカメラマンをやったあと、人生の中盤から、教師をやりだした人であるが、映画の授業の場合でも、おそろしいほどに徹底して、反権威的であり、学生たちが自分の力で新しく生みだす表現に、胸をときめかすことができる。そこには、教師としてどうこうというより以上に、表現者として、そういう人なのだというしかないものがある。

midnight press 創刊号(1998年秋号)p44
福間健二
詩は生きている1 まず一歩出ること

これである。こういうやさしさが必要なのである。このあいだ、NHKのアーカイブが見られる施設へ行き、『夢の島少女』(1974年10月放送)というフィルムドラマを見てきた。作は、佐々木昭一郎と鈴木志郎康の2人。佐々木昭一郎という人は、生活者意識を大事にしている人で、俳優をほとんど使わず作品を作っているらしく、そのへんが鈴木志郎康さんとウマが合うのかしら…などと思いながら見ていた。
生活者意識というのは、生活してる人それぞれの意識であり、これを簡単にいえば、なにもかもネットだとそんなにわからないということである。書かれた詩がガチの一作目か、出直してもう10回目の一作目だけどめちゃくちゃ鬼気迫るものがあるのかもわからない。逆に鬼気迫るっぽいけど結構大丈夫そうとか。家の蔵書や経済状況。あとは見ているものが違うということ。現代詩フォーラムのことを話そうとしても、話は噛み合わない。それは時間軸としてもそうだし、そこにいる(いた)人の、どんな作品を好んで読んでいたかもズレるし、よほどポイントとってる人の話じゃないと、なかなか噛み合わないし、そういう人でも、投稿作品数が多いと、「それは読んでない」って作品のほうが多くなってくる。同じとこ見てたはずなのにって話になり、最終的にはなんか違うなってなる。でもそれはふだんなら当たり前の話で、一緒にいない人が同じもの見てるわけがないってだけの話である。その点は、ネットと放送で大きく違う気がする。

その人の一回一回を寿ぐ感じで、身体を同じ場所に置いて、時間をかけてやる。鈴木志郎康さんの教師っていうのは、そういう感じなのだろうと勝手に想像する。まあ厳しいときは厳しそうではあるが。※2 私は福間さんと同意見で、とてもそんなふうにはやれないって感じであり、ネットで何かに接する人のほとんども、基本そのスタンスであろうとは思う。

そういやネット始めてすぐの頃は、なんかやたら「儀礼的無関心」って言葉を見かけた気がする。私自身が視線恐怖だったので(今も継続中)、人とすれ違うときとかってどうやってたんだっけ?って感じでめっちゃ困ってたので、ネットでそういうのばっか見てたんだと思う。そういう「無関心」と、ネットの「限界」はまた別で、冷笑と紙一重なんだけど、そういうのとは違くて、ほんとに届かないものは届かないし、無理なものは無理っていう感覚? 逆にいえば、できることをしようっていうポジティブにもなるっていうか、メリハリというか、ある種淡々とした、割り切った対応は初期のネットの人(いわゆるインターネット老人会)に多いと思う。
そこにプラスして、先に挙げた鈴木志郎康さんのようなまなざしを得るのは非常に難しい。これは時間をかけて対象と関わるしか方法がないから。書かれた言葉をあいだに置いて、執拗にやらないと得られないもののように感じる。そこに毎年新しい人が来て、彼らをまた新鮮な目で、パターン化せずに、ずっと興味津々でいるなんて、私には無理です。私は後方腕組みおじさんとか後方彼氏面とかそっち系の人間で、すぐ大穴の中腹の巣でジト目の火の鳥ムーブかましてしまいます。すいません。

なんで俺が謝らなきゃなんねえんだ。というわけで話を戻そう。もう戻る話もないのだが、どのへんに戻ろう。とりあえず瀬尾さんのmidnight pressでの発言を引用しよう。

たとえばネットで詩の雑誌を作ったりするでしょ。ネットは公開の場所として成り立つのかというようなこともやっぱり考えたりするんです。詩の作品それ自体の手続きとちょっと違うけど、この公開の手続きの問題も大きいと思うんです。ネットで詩を公開することに関しては僕はものすごく懐疑的ですね。これは公開の場所として成り立っていない。いくつか理由はあるけども、一つは公開の場所には「境界」がなければならない。ここは出さない、ここから出すという「境界」がちゃんとできてないと公開というのは成り立たない。ふつうは編集者がいて出版社があって、それが手続きの場所になって印刷物として出てくる。ネットの空間にはそういう敷居がなくて、書き手一人の判断しかないから、暗い部分と明るい部分の境目がない。それと同じことなんだけど、ネットというのは名前のアイデンティティを本質的に作れない空間ですね。あそこでもしアイデンティティを作っちゃったら利用されるから出さない。匿名性がつねに侵入してくるわけです。したがって名前によって責任がとれない。責任を問えない。だからネットの空間は全体として暗がりになっていて、どう考えても公開の場、公的な場にならないと僕は思う。ネットは一つの例ですが、一般的に詩の言葉を公開するときの手続きの問題は、これからかなりいろんなところでシビアになると思う。

midnight press 21 2003年秋 p66
poetic dialogue 詩の危機 生の危機(瀬尾育生・稲川方人)

この発言を、初めて『詩的間伐』で読んだとき「???」ってなったのだが、何度か考えるうちに、ぼんやりと言わんとすることが分かった気になってきた。
いや、でもなんか「(考えかた)古っ!」って、思わなくもない。脊髄反射しようと思えば「じゃあ編集者と出版社がいないからママは詩を書いちゃいけないってことね」と、ヒスママ構文で責め立てることもできる。でも、もう少し建設的に瀬尾さんのいうことを汲んで解釈していくと、これはむしろ、今の時代にこそアクチュアル(この言葉初めて使った…)な問題である、みたいな話になる、気がする(だんだん弱気になってきた)。これって結局、公開の話じゃなくって、アーカイブの話だよねって考えた時に、瀬尾さんの言う「シビア」の意味はわかるような気がするのだ。さっきも書いた「安否や消息がわからなくなる」話と、ちょっと近くて、たとえば今、私(瀬尾シミュレーター)がインターネット上の詩でアンソロジーを編みたいと思ったとするでしょう。すると、まず何からどうやって同意を取り付け、好きな詩を集めていけばいいのでしょうか。最終的には、面倒くさくなってきて、誰にも同意など取りつけず、ひとりで自分が好きな詩をコピーして、自身のパソコン内で愛でるしかない。これが私の言う「公開」の問題です。

↑これが、私のなかのAI瀬尾が出した答えです。2003年の当時だと、「なんかズレたこと言ってんなーこのおっさん2chとネットの区別もついてねーのかよ」と思うし、逆に現在だと、「もうネットもリアルの一部ですよ、なんなんですかネットは本質的にアイデンティティを作れないって。ネットでも責任とれますよ」って思うんだけど、それでも、今「当時の何かを」いざ動かそうとしたときに引っかかるもののことを指して、当時の瀬尾さんは「公開」の手続きが踏めてない、って仰ってるのかなーって思ったわけですね。時々インターネットの詩の歴史とか流れみたいなものを編もうとしては、いろんなところにちょっとずつ、いろんなものがあるけど、結局なかなか総体として取り出せないのも、そのへん絡んでるのかなって思うわけですね。関係が密になるほど、ハレーションが起こったとき情報が残らない体系になっているとでもいうか。そのせいで、ビジネスライクでやってたり、何かを挟んで向かい対していれば、いつか公開できたはずのことも書けなくなってしまっている。そのことを「書かなくてもよいのだ」みたいな…、清貧っていうのかな。こうやって何も残さず消えていくのがいいのだ…みたいな、ショーシャンクみたいなポーズで清潔? 清廉潔白?な感じで語るしかないってのが現状なのかなって思ったり。そういう意味でいうと、瀬尾さんはこういう状況を予見してたってことになる。のかもしれない。

もっかいAI瀬尾を出すと、シンプルにいえば、作品を見ても「出されたいのか出されたくないのか、今はもうわからない感じ」がするんですね。もう覚えてもいないかもしれないし、この世にいないのかもしれないし、今も「あれは黒歴史だからちょっと勘弁してほしい」って思っているのか。それがまったくわからない。AI瀬尾です。AI瀬尾でした。

ちょっと休憩してたら「これって単純にネットミームとかデジタルタトゥーと同じ問題なんじゃね?」と思いました。でも、瀬尾さんは「一般的に詩の言葉を公開するときの手続きの問題」と限定されておられるので、ちょっと違うのかな。
ユニークなアドレスで、オーサーが一元的にファイルを握っているようでいて、閲覧者全員がこっそり複製している可能性のある世界。そして、オーサーは手元にあるオリジナルを修正したり、出したり引っ込めたりもできるけれども、言質としての魚拓やスクショは撮られる世界。これをして、瀬尾さんが公開とか手続きの問題というのも頷けなくもない。でも現在、覚悟は青天井である。とりあえず一歩踏み出すしかないみたいな時代であり、不確定性の高まっている時代である。だから、編集者と出版社がいて印刷されるから云々とか、本質的に名前のアイデンティティが作れない、みたいな話にはあまり同意できない(もちろん、なりすましやフェイクの問題はあるけれど)。というか、たぶん、このあたりの問題はネット関係ないのだと思う。もっと主語を大きくして「そもそも言葉は…」でも、同じことは言えそうな気がする。

あとがき

結論はないですが、とりあえず思ってることをばーっと書いてみました。よみにくかったり、文章がねじれてて何いってんのかわっかんねーよみたいなところは自分もよくわかりません。雰囲気で書いてるとこもあるので、ある程度脳内で補完していいふうに捉えてください。

何について書いてたんだろうか。まあ、なんか、なぜ俺たちはガンガンキュレーションしてガンガン引用してガンガン書けないのか?みたいなことを延々書いてた気がする。つまりなぜ集団として作品と批評をうまく回していけないのかみたいなことである。これは、まとめることについてもそうで、どこまでをまとめるかとか、どこをどうまとめるか、自分が見て来た視点以外に何が必要なのか、誰に同意があり、誰が拒否権を持っているのかすらわからないアーカイブやサイトはゴマンとある。そういうものは、もう崩れるまで遺構として眺めるしかないのだろうか。そこに落ちている仁丹塔の欠片みたいなものを持ち帰り、個々人が飾り、愛でるしか方法はないのだろうか。なんか、そんなような話である。
集団というか、想像上の共同体は結局時間をかけないと立ち現れて来ない気がする。あとは規模と管理者の問題。運営の側にも健康上の問題とかプライベートでの諸事情があるのであって、そのへんはインターネットの詩がうまくいくというか、そもそもうまくいくって何?みたいなところから始まる部分があるので、なかなか難しいところではあるのかなと思います。まあ人間、何か人様の役に立とうとか思った時点で結構歳くってるって問題もある気はする。そう考えると社会の問題でもあるんだけど、そういうこと踏まえて自分は何をするかっていうと、特に何もしない。するかもしれないけど今はしない。気がついたら体が動かない。そして終わる。

※必ずしも00年代詩人だから◯歳、というわけではない気もしますが…ここは勢いで書いています

※2 思い出して検索してみたが、以下の記事が参考になる。

また、有料サイトではあるが、競艇サイト「マクール」での渡邊十絲子さんの記事も参考になる。

また、全文確認はしていないが、「現代詩をもみほぐす」の鼎談にも、鈴木志郎康さんの(授業?というのだろうか)スタイルが描かれている可能性がある。こちらは後日再読して確認したい(予定)。

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