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Chapter 1: before departure 留学に決めた

サワッディー(สวัสดี)!!タイから参りました。トオイです。今頃、日本で桜を満喫する季節のようですね、、日本で暮らした頃、色々懐かしい!

留学に決めた頃(2011年)からあっという間に10年以上経ったのか、時間の流れがはやくないかとふと思い出しました。修士生の頃に遡って日々深夜までラボで実験に没頭したり、研究の論文を書いたりするぐらいの生活なんて当たり前のことでした。普段、修了生の門出としては研究機関や企業のもとで研究員に就くか博士号を取得するまで進むか、大体そういうふうなパターンになると思います。特に大学教授を目指した人あるいは研究に好奇心旺盛を持った人には博士号を取るためまた3〜5年間で掛かりそうです。そう考えてみれば目的が達成するまで 長過ぎない そんな余裕の時間ある??、、、

アカデミックな世界で専門性やコミニュケーション力を高めるためにできれば海外で色々な活躍を通した経験を積むことは一般的な考えですが、個人的に実は自分の成長を狙うことより見慣れない世界を見渡して別の可能性、別の自分を発見することに何か気づくかもしれません。だから、そのぼんやりと目的を立てました。

ただ、実際いつでも行けるわけでありません。留学するのに行き先、個人経済の状況、言語力、タイミング、ビザの申請など全てを把握しといて準備万端を整えなければなりません。なぜ日本を選んだのか?と聞いたらアニメ、ドラマ、文化、観光、技術といったものが動機でもなく単純にと言えば「英語が苦手なので英語圏の国を避けるという理由です。短い時間でTOEFLの高得点を取るなんてさすがに難しいと思います。さらに米国や欧州での高物価もキツイから。日本留学に決めた後の1年の間、必死に日本語を習得しながら日本政府文科省の奨学金試験を控えていました。その頃、入試の高校生みたいな日常生活が繰り返して少し退屈でした。奨学金の試験を挑んだ結果、やっぱりすごく厳しくて不合格になったことも可笑しくありません(泣 泣)、、結果発表の後、2、3週間ずっとぼーとしてやる気も燃え尽きました。、、その後、諦めるもんじゃないか!!そのとき丁度「Study Japan」という説明会が開催されてあっちこっちの学校ブースに寄ってみて情報を集めました。奨学金のことは仕方ありませんが、最初の段階として「日本語学校に行っていいのかな?」という思いが浮かびました。


長い間の準備で日本に必ず行きたいという希望を親父にちゃんと説得してみた最初、「お前勉強ばかりだな、、ちゃんと働けば?」と言われました。当時自分がまだ就職していなかったのでビザ申請の手続きには保証人の書類が必要なんです。そして親父は一年後定年退職になる予定ですから、反対の理由は分からなくもないけれども今の時期でなければ留学のことはずっと叶わないでしょう。留学の話に悩みについて僕を育ていたお婆ちゃんがいつも耳を貸してくれて僕が何となく落ち着けました。数ヶ月が経って結局、お婆ちゃんの手助けのお陰で親父がやっとお願いを聞いて留学にサポートしてくれました。最初の出発点は、「京都」です。なぜ京都を選んだかと聞かれたら他の学生と同じで大学とか学校とか多くて情報収集を集まりやすいという点です。(結局、また京都から移動しましたが、、)

2013年3月28日、TG626 バンコク→関西空港(大阪)出発の決定
初めての来日として、複雑な気分でした。出発の日に親父が来なくてお婆ちゃんと叔父さんがスワンナプーム国際空港まで見送って「頑張れよ、夢を実現させて私が見守ってるから」という応援な言葉を僕に届きました。今でもその「心の温もり」がまだ忘れていません。そして同じタイムに、空港まで送った元カレと正式なお別れの日でした。「4年間支え合ってくれてありがとうな、研究に無理にしすぎないように新しい人生を応援してる」という別れの言葉を彼に。別れのことにちょっと寂しかったけれど自分の旅たちにもワクワクしました。さらに、同じ目的地にたくさん新しい仲間たちと知り合ってそこから僕がまたマイストーリーを書き始めました。京都にしゅっぱ〜〜ツ

To be continue>>>>>(京都に到着)

picture@河津・静岡(2019年)

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