飯田有抄のショパコン日記45〜審査員のディーナ・ヨッフェさんインタビュー
日本の大学や教育プロジェクト、マスタークラスなどでも数多くの生徒を育て、演奏活動でも聴衆を魅了し続けているディーナ・ヨッフェさん。
このショパンコンクールを審査される中で、どんなことをお考えになっているのか、お話を伺うことができました。
(このインタビューが行われたのは、ファイナルラウンド審査中のタイミングにあたるため、審査の具体的な内容やコンテスタントの個人名があがるようなお話は一切うかがっておりません。また、審査員へのインタビューはコンクール主催者である国立ショパン研究所の許可を得ています。なおここで伺っているお話は、ヨッフェさんのお考えであり、審査員の総意ではありません。)
——今年のコンテスタントのヴァラエティ豊かな演奏には驚いておりますが、現代における「ショパンらしい演奏」とは何かということにも思いを馳せております。ヨッフェさんは審査をなさりながら、どのように考えておられますか?
ヨッフェさん:一言でお伝えすることはとても難しいことですが、ヴァラエティの豊かな演奏をポジティヴに捉えてもらえるのは嬉しいことですね。
今回のコンクールは1年延期になりましたから、私自身もあらためてショパンについての研究を深めてきました。彼の残した手紙や、レッスンで生徒に語ったコメントや、楽譜の解説や分析など。とくに一次資料に当たることでよくわかったのは、ショパンが生きていた時代にも、ショパンの演奏にはヴァラエティがあったということ。そしてまた、生前も死後もずっと、人々は「ショパンらしさ」を議論し続けてきたということです。1892年のある資料には、「ショパンの音楽にイントネーションやアクセントに関する基準はない。しかし呼吸や雰囲気を重視すべきである」といった言葉もありました。ショパンともっとも深い間柄にあったジョルジュ・サンドは、1873年に出版された文章の中で、「ショパンはめったに自分の音楽については語らなかった。語る時はとても精緻に言葉にしていた」ことを認めながらも、「ショパンと自分は、音楽は何かを明確に指し示すものではないと考えていた。音楽は詩のようなもの」「音楽家は作品の思想をロジカルに味わえるけれど、音楽の専門家ではない聴き手も、音楽の曖昧さの中に喜びを見出すことができる」といった言葉を残しています。
つまり、ショパンらしい音楽については、もう200年近くもずっと議論されつづけているんですよ。今回のコンクールでは多様な演奏が多く、さまざまな議論も呼んでいるようですが、そのこと自体がショパンの音楽を巡り、連綿と続けられてきたことなのです。
確かに、ショパンの楽譜をよく読むことは基本としてとても大切です。フレーズの作り方やアーティキュレーションや装飾をあまりに変えてしまえば、まるで外国語を間違えて話しているかのようになって、相手に意味が伝わらなくなってしまいます。やはり、音楽にとって自然であり、違和感なく表現することは大事です。
しかしここで忘れてはいけないのは、どこかに理想的なショパンのスタンダートのようなものがあるわけではない、ということです。正しいものがあって、全員がそれをコピーするだけで良いのなら、それは人間ではなくてコンピューターの仕事です。ショパンも一人の人間であったということ、そして演奏者一人一人には個性と表現のスタイルがあるということ。そのことを尊重しながら聴くことが大切だと考えています。
その意味で、楽譜に書かれている記号というのは、日本のみなさんがお使いの漢字によく似ていると思うのです。日本語はアルファベットを使わないですよね。一つの漢字には、たった一つの意味があるだけではなく、多義的でありシンボリカルです。楽譜に書かれていることも、まさに複数の解釈可能性を持っています。奏者がステージ上でそれをどのように捉え、表現しているのか、そこを聴き取ろうとすることこそが、重要です。
私もステージ上の椅子と、審査員席の椅子の両方に座ってきた人間として、そうした姿勢で演奏を聴いています。(筆者注:ヨッフェさんは1975年、第9回のショパン国際コンクールの第2位です。その時の優勝者はクリスティアン・ツィメルマン)
やれあそこのリズムが変だ、ペダルが変だ、といったクリティカルな耳で聴くようなことは、私はしていません。
——日本でも多くの生徒さんを育てられ、昨今では先進的な教育プロジェクトにも関わっておられます。ソニーコンピュータサイエンス研究所の古屋晋一先生(脳科学者)と共同で、ジュニア教育のプロジェクトを立ち上げられるなど、精力的に多くの才能を伸ばしておられます。そんなヨッフェさんからみて、今年の日本からの参加者全体にどんな印象をもたれましたか?
ヨッフェさん:ひとりひとりが全く異なる演奏解釈を聴かせてくれていますね!「ああ、日本人の子たちだ」とグループで一括りにできるような演奏ではまったくありませんでした。
かねてから日本の教育現場では、「理想的なショパン」というものを、しっかりと子どもたちに指導し続けてこられたと思います。しかしそれが、個々のパーソナリティを伸ばさないことになってはいけないですからね。
私の日本人の生徒に、今は立派にピアニストとして活動している男の子がおりますが、まだ彼が9歳のころ、初めてレッスンをしました。9歳なんだから、まだやんちゃに元気いっぱいショパンを弾いてくれるかと思ったら、とてもお行儀よく丁寧な演奏をするんです。「ショパンはこうあるべき」というのをしっかりと教えてもらっていたのでしょう。
でも私は、もっと彼の心を開きたいと思いました。それで、「そうなんですか」という日本語を、何種類もの言い方で言わせてみました。びっくりした感じ、嬉しい感じ、疑わしい感じ・・・・そんなことをやってみてから、そのあと私と一緒にワルツを踊ったのです。そうしたら、彼の音楽がその後大きく変わったのです!
日本は伝統を重んじる素晴らしい国です。お茶や着物など、古くから大切にされている伝統文化があります。日本には日本のものの感じ方・表現の仕方もあります。しかし人々の生活スタイルや物事の捉え方も時代とともに変わります。一人一人のピアニストたちが、自分の心を開き、表現ができるように、変化を受け入れながら成長していくのは素晴らしいことだと思います。
今、ソニーコンピュータサイエンス研究所で立ち上げた教育プログラム「ミュージック・エクセレンス・プロジェクト」では、テクノロジーによる分析を行いながら、9歳から16歳の子どもたちを対象に、身体的・芸術的な観点から教育を進めています。どんなにスラスラとリストの難曲を弾けているように見えても、心の中の成長はどうなのか、身体の使い方として無駄な緊張はないのか、そういった可視化しにくいところもソニーの最新技術を用いながらケアしていく取り組みです。日本の子どもたちも、英語を駆使して自分の意見をはっきりと言えるようになってきました。今後ますます、自分をオープンにした表現ができるようになっていくと思います。
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一つの質問について、溢れ出るように思いを語ってくださったヨッフェさん。記事からもお感じいただけるかもしれませんが、熱意溢れる教育者としても、演奏家同志へのリスペクトをもった一人の表現者としても、大変温かかく朗らかにお話くださいました。(20分の予定が60分に!大丈夫よ〜と)
ありがとうございました!!
(写真:飯田有抄/ピティナ、通訳:マルタ・カルシ)
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