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飯田有抄のショパコン日記〜エピローグ:音楽で世界を元気で平和にするために

第18回のショパン国際コンクールが幕を閉じてから、早くも1週間が経ちました。結果発表日以降は、この日記を読んでくださっている方はもうほとんどいないかもしれません。けれど、3日前に帰国して、まだポーランド時間(=時差ボケ)で過ごしている私が、深夜にこっそり書きたくなったことを、この日記のエピローグとして、そっと置いておこうと思いました(その割に長文御免!)。

「伝統ある○○」といったとき、私たちはつい、その○○が長年変わることなく、ずっと古き良き形で残されてきた、とイメージしがちです。
しかし、数十年、数百年という単位で存在し続けてきたものこそ、実は時の流れや変化に柔軟に対応しながら、生きながらえるための工夫をし、決して思考停止状態に陥らず、代謝と呼吸を続けてきたのだと思います。だから今があり、生き長らえている。

音楽コンクールの中でも100年という歴史を誇るショパン国際ピアノコンクールはその意味で、これまで時代に即して、しなやかに営まれ続けてきた、芸術分野の誇るべき一大イベントです。そうしたコンクールだけに、さまざまな側面で新しい取り組みや考え方を取り入れた運営がなされていることを、今回の現地取材を通じて感じ取ることができました。

そのうちの一つとして、このコンクールのオンライン配信の技術向上があげられます。今回はコロナ禍ということもあり、人々の物理的移動が難しい中、実に多くの人たちが、オンライン配信でコンクールを見守り続け、楽しむことができました。このことは非常に大きな意味があったと思います。
奏者や作品、音楽・芸術文化そのものへのアクセスが、ネットを通じて誰にでも開かれ、コンクールというものがより身近に感じられたり、未知の感動を覚えたり、あらたな関心を引き起こすこともあったことでしょう。
大切なのはまさにここだと思います。コンクール会場にいない人が蚊帳の外のようになるのではなく、みんなで関心を高め、ときに闊達に議論したり、一喜一憂したりしながら、音楽と人の営みに心を震わせ、気持ちを動かす。その高まりによって、さらに音楽芸術が文化として活性化し、より多くのアートが育ち、またそれが感動の渦となって人々に還元されてゆく・・・

「配信じゃわからない」というような声はもちろん聞かれます。もちろん、わからないことがあるのも確かです。しかし、何かそうした「わかる/わからない」論争の中に入り込み過ぎたり、すでに後戻りできない進化のプロセスにあるテクノロジーによる文化活動を全否定してしまうと、何も生まれないし、誰の心も動かなくなってしまう。
一部の特権的な人だけが現場で何かを知り、それを「その他大勢」の人に与え授ける、というだけの時代は終わりつつあります。誰もがリアルタイムで、ある意味ダイレクトに、対象とつながって、自分の心で受け止める。それをすぐにSNSなどで自分の言葉で語り、人に伝えることもできる。その流れのなかに、ショパン国際コンクールのような「伝統ある」芸術イベントが果敢に参入していった。これは興味深いことだなぁと振り返ります。

今回、「ショパコン日記」を綴ったピティナnoteのトップページのバナーには、「オンラインで聴いて楽しもう!」の文字があります。私に与えてもらったミッションは、多くの人がオンラインで楽しめることになった今回のコンクールを、少しでも多角的に、多層的に、生き生きと捉えていただくためのお手伝いをしたい、というものでした。
ですから基本的には、客席から全く見えないこと・聞こえないことについて、何かを伝えようとしたものではありません。もちろん、審査員のインタビューやコンテスタントの皆さんのお声もお伝えしましたが、それらも何か、客席からわかること、画面越しに経験できることを、一段深め、より有意義に味わうために、伺うことのできた貴重なお話でした。

コンクールというと、人間の真剣勝負の周辺に起こりがちな、ちょっと暗めの噂話や、否定的な見解、スキャンダラスな話題なども起こります。それはごく自然なことでしょう。しかしそれが、一体それでだれが幸せになるのかわからないような、あまりにも攻撃的な言説だったり、だれかの私欲につながるようなものであったとしたら、とても悲しく残念なことだと私は思います。コンクールのあり方が、より良くなり、芸術文化が闊達になり、人間の幸福追求になるような議論が、盛り上がっていったらいい。そんな思いで、私も心を激しく動かしながら、会場とホテルのパソコンの前を行き来しておりました。

おかげさまで、多くのみなさんと一緒に、このコンクールを楽しむことができました。読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

ともかく、奏者一人一人の演奏を聴いて書きたいことが山ほど湧き上がってきたコンクールで、時間はつねに足りません。でも焦って、ザツに、テンプレのように何かを書くことだけはしたくありませんでした。
「自分の書くペースが遅くて、書ききれないままコンクールが終わってしまったら、潮が引いたように人々の関心がレポートから去っていってしまうでしょう。そうなったら、コンテスタントたちの素晴らしい音楽に対して申し訳ない」
そんなようなことを、このnote全体の編集を担っているピティナ育英・広報室長の加藤さんに現場から漏らしたら、「誰も読んでくれなくたっていいじゃないですか。コンテスタントたちのいい音楽について、飯田さんがきちんと書いてあげてください」と東京から言ってくれたときは、なんだか泣けてきました。

音楽を通じて社会や世界を元気で平和にしていきたい。コンクールはそうした役割を持つことのできる営みの中の、ほんの一つの事象ですが、その目的があるからこそ、ピティナnoteは真剣に、でも楽しく、このショパンコンクールを追い続けてきました。その思いをみなさまと共有できていたら嬉しいです。

飯田有抄

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(写真:飯田有抄/ピティナ)

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