鼎談:反田恭平さん・小林愛実さん・宮島昭夫大使、ロングトーク全文~2021ショパンコンクール
結果発表後、入賞者ガラコンサート第三夜が行われる10月23日(土)の昼間、入賞した反田恭平さん・小林愛実さんが、在ポーランド日本国大使公邸にて、宮島昭夫・駐ポーランド特命全権大使に今回のコンクールの入賞を報告しました。宮島大使ご自身も今回のコンクールに注目し、熱心に聞いていたこともあり、大使がまるでインタビュアーであるかのような充実の鼎談となりました。いち早く日本の皆様にこの会談の模様をお届けしたいと、飯田有抄さんが渾身の編集。7000字余り、少し長いのですが、充実のトークをぜひお読みいただければ幸いです。
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◆鼎談:反田恭平さん・小林愛実さん・宮島昭夫大使
宮島昭夫大使(以下、大使):この度は誠におめでとうございます。みなさんの活躍のおかげで、ショパンや音楽についてとても勉強になりました。3週間くらいずっとショパン漬けになっていましたから、このあとショパン・ロスになっていまいそうです(笑)。いかに皆さんが個性的に表現されているのかもわかり、とても楽しかったです。皆さんは楽しいどころではなかったと思いますが。どの辺が大変でしたか?
反田恭平さん(以下、反田):一次予選前と、三次予選が僕は厳しかったかな。一次予選はまずここで残らなければ、自分をアピールできることができないと考えてしまいますし、三次予選は、ここを通ればファイナルだという思いから、すこし自分のマインドに持っていくのが大変でしたね。
大使:小林さんはいかがでしたか?6年前にも来られていますから、前回のことが頭に蘇ったりもしましたか?
小林愛実さん(以下、小林):前回来た時は若かったですし、楽しかった記憶しかなかったですが、あれから6年が経って、どこかでプレッシャーもあったし、一次予選ではコンサートのように純粋に楽しんで弾けず、6年前は楽しかったのに何でだろう・・・という気持ちになってしまいましたね。でも徐々に環境にもピアノにも慣れました。でもコンクールというのはやっぱり、いやですね。
反田:僕も、もうこんな緊張は味わいたくないですね。
大使:いろんな側面が、厳しく試される中、もっと演奏を聴きたいと思ってもらえるように、自分をきちんとアピールしていくのですからね。
小林:バランスは難しいですよね。コンクールなので、どこまで自分を出していいのか。本当に上手でも一次で落ちてしまう方もいますし、スポーツのようにタイムなどで測れるようなものではないですし、音楽は好みもありますから、すごく難しいな、と。私は2回目でしたが、ファイナルに残れる補償はなかったので、本当に残れてよかったです。前回、前々回のファイナルまで残った方々が目の前で落ちていくのを見ると、いつ自分が落ちるかもわからないですから、自分ができる限りの演奏をしようと思い続けました。
反田:僕たちは幼馴染で、家も自転車で通えるような距離で、隣の中学校でしたから、一緒にファイナルに来れたのは本当に嬉しかったですね。今回は本当にレベルが高く、ユニークな演奏をするコンテスタントが多かったです。時代が変わっていくと、感じていました。どれが正しいショパンなのか、というのはショパン自身の録音があるわけではないですし、わからないのですが、残された手紙などの限られた資料にあたりながら、どんな作品なのかを探り、深めていった。500人ほどがエントリーし、87名のショパンが提示され、それを多くの人が配信を通じて聴くことができた。配信というのも、時代の変わり目を映し出しますね。
大使:コロナもありましたし、今回も実際に開催できるかどうか、主催の国立ショパン研究所の所長さんも、非常に心配していましたね。今回はみなさんの活躍のおかげでYouTubeでコンクールを見ている人が大変多かったと聞いています。オンラインを通じて、世界中からリアルタイムでコンクールが注目されるようなってきています。普通コンサートはホールという閉じた空間の中で、充実した時間を過ごすというイメージですが、オンラインではピアニストの方々の指先から表情まで拝見できて、特別な経験にもなりますね。
小林:配信も素晴らしいのですが、自分が何名かのコンテスタントの方々の演奏を実際にホールで聴いた時は、やはり大きな違いは感じました。もちろん映像は細かい部分まで見ることができますが、音楽の根本的なところは、生で聴かなければわからないものもありますね。
反田:事務局や審査員たちも皆さんおっしゃっていましたが、ライブ会場と配信とではやはり差は大きいので、「コンクールはホールで行われているのだ」という部分を大きく強調していたようです。
大使:コロナの影響で、ポーランドも今年の6月末まではコンサートホールが閉まっていたので、その後は夏休みシーズンに入りましたから、コンサートホールで音楽を聴くという機会は、ついこの秋からの再開でした。みんなにとって待望の機会でしたし、会場で聴けることがいかに贅沢であるかが実感できるコンクールでした。やはり、演奏する方も聴衆の方々の前で演奏されると、客席からのフィードバックを感じながら弾けるのでしょうね。
反田:やっぱり、お客さまの前で演奏できるのは、圧倒的に楽しいですね。
小林:雑音などはあるかも知れないけれど、それもそれでいい、と感じました。
反田:一周回って、雑音すらもありがたかったですね。この1年、無音の中で弾くようなこともありましたから。
大使:しかし1年延期というのは、コンディションを整える上では辛かったですか?
小林:私の場合はもし予定通り昨年の開催だったら、受けていなかったかもしれません。延期になって、去年の12月くらいから準備を始めました。
反田:まぁ、小林さんはだいぶ迷っていましたね。受けようかな、やっぱりやめようかな、って。
小林:コロナ禍になって、コンサートがキャンセルになり自分と向き合う時間ができて、それで逆に、やっぱりもう一回受けようと思えました。
反田:エントリー自体は1年半から2年前なので、僕がエントリーしたタイミングは25歳でした。エントリーのクリックボタンを押す時に、僕は決意が固まりました。コロナ禍ではコンサートが全然なくなり、予備予選も延期になったことで、予定していたツアーの20公演くらいが丸々できなくなってしまいました。その意味で大変なこともたくさんありましたが、やはり1年の中で、作品と向き合える時間が増えたので、良かったと思えることが多かったです。
大使: 日本人で本選に出られた方14名ということで、中国、ポーランドに次いで多かったですね。私も1次予選から聴かせていただきました。その中で「日本のピアニストがすごく頑張っているね」とポーランドの各方面の方々から言われました。今回もヤマハとカワイのピアノが使用され、昨日は私も入賞者コンサートの2日目で浜松市長賞の授与をさせていただきました。そうした貢献ができているのは日本だけだと思いますし、日本の大使としては非常にありがたいことです。会場からは大きな拍手が起こりましたね。コンクールを支えているピアノを作る方、調律をされる方、いろいろな方々の力のことも、会場にいらしている愛好家のお客様はよくご存知のようですね。多くのことを勉強させていただき、感動しました。
そして、「どうして日本人はショパンが好きなの?」という質問もたくさん受けました。その理由について、私もこれから考えていきたいと思うのですが、ショパンの音楽は、どこか心に直接働きかけるものがありますね。切ないなと感じますし、演歌のようだという人もいます。
反田:「なぜ日本人はショパンが好きなのか」という問いは、僕もコンクール期間中のポーランドのラジオインタビューなど、いろんなところで聞かれました。正直僕はこれまで、単にフィーリングで好きなショパン作品を弾いてきたため、「なぜ」という根本的な問いに対してのボキャブラリーがなかなか出てきません。でも、ショパンの音楽には戦争の悲しみであったり、彼自身が生きるために必要なものであったり、そういった思いが根底にあるからこそ、日本の人々にも伝わるものがあるのではないかと、コンクールを通じて考えさせられました。ありがたいことに、僕らの世代は日本で戦争のない時代に生まれて育っていますが、審査員の中にはダン・タイ・ソンさんのように、防空壕の中でピアノを練習して優勝された方がいらっしゃる。戦争体験のあるレジェンドの先生方の目の前で演奏させていただけたのは、歴史的なことだったと思いますね。
大使:ワルシャワフィルハーモニーのホールも戦争で一度は廃墟となり、再建されたものですしね。小林さんはなぜショパンがお好きなのですか?
小林:私、ショパンが好きなんですかね……(笑)。もちろん好きですが、作曲家として好きというより、大事な存在。もちろん音楽は素晴らしいですが、自分の人生においてすごく多くのものを教えてくれた作曲家として大切な存在です。「なぜ日本人は?」という質問はこちらに来てから10回は訊かれています。なぜと言われても、答えるのは本当に難しいですね。ショパンもですが、ショパンコンクールが日本では本当によく知られていますよね。中村紘子先生をはじめとする日本で有名なピアニストの方々がショパンコンクールの入賞者であることは大きいと思います。日本では一般の方々の間でも、ショパンコンクールはよく知られている。中村先生が音楽家のみならず多くの活動をなさったことも大きいですね。
反田:日本では中村先生がピアニストとして初めてCMなどに出られた方ですしね。
大使:私もロンドンに滞在していたころに、内田光子さんの演奏を聴いて、まさに歴史を作られた方だと思いました。内田光子さんが入賞されてから50年です。皆さんにとっては、一つのコンクールが終わり、ここから新たなスタートですね。
小林:そうですね。スポーツだったら金メダルや、その人にとって一番いい賞を取って引退、というケースは少なくありませんが、音楽家は賞を取ってからこそがスタート。一昨日、入賞者のみんなとも、「ここまでも私たちは苦しかったのに、ここからなんだよね!」って話していました(笑) 音楽家は長い。コンクールなんて通過点に過ぎず、ここからどうなるかが一番大切なので、大変だな、と。
反田:1位になったブルースは、もっとも環境が変わってしまった人なのではないかなと思います。彼が一番忙しくなっちゃったので、もう僕らも彼としゃべる時間がなくなってしまって。でも同じ賞をいただいたガジェヴとは、今後のキャリアをどう築いていくかという話も冷静にしています。ここはこうしよう、そういうことは注意しよう、などとお互いに助言し合える仲になっています。本当にいい友人を持つことができました。彼との出会いは、2ヶ月ほど前に彼が日本でオールショパン・プロのコンサートを開いた時です。こうやって新しい縁ができるとは思わなかったですね。友達は大事です。
小林:それもコンクールの醍醐味ですね。やはりファイナルまで進んでくると、前回も今回も、異常なくらいにみんな仲良くなる。同じ夢にむかって、ここまで頑張ってきて、これからも目指すところは同じ。そういう友人たちをたくさん持てるのは、自分の励み、支えになります。わたしが今回ここまで来れたのは、前回のファイナリストたちの応援があったからなんです。仲間ができるというのは、音楽家にとってとても大事です。
反田:やはりピアニストはとりわけ孤独になりがちですからね。ヴァイオリニストやチェリストなどは、伴奏が必要なプログラムでしたら複数人で出られるので、とても羨ましくて。ピアニストは一人で出て行って、一人ですべて責任を背負って帰ってくる。だからこそ、ピアニストの同志はすごく大切ですね。
大使:ファイナルではオーケストラと共演するわけですが、ご自分で全てをコントロールできるソロと、オケと共演する協奏曲では、醍醐味、面白さ、難しさは違うのでしょうね。
反田:僕はもちろんソロも好きですが、圧倒的に協奏曲の方が楽しかったですね。100倍くらい(笑)。左を向けば友達がたくさんいる、という感じで。僕も自分のやりたいこともやりますが、やっぱりソロは寂しいし孤独。だから僕は2台ピアノや室内楽の機会をなるべく多く作っていまして、一人で弾くのが寂しいと思い過ぎた結果、オーケストラを作ってしまったくらいなのです(笑)。アイコンタクトや「あうん」の呼吸、一人じゃ起こせない奇跡が、オーケストラとの共演中には起こるので、アンサンブルすること、調和していくことが大好きです。
小林:私は逆かな。私も室内楽や協奏曲は楽しいし好きだけど、問い詰めていくとソロの方が自分の音楽をやり切れる感じがします。室内楽はまだ寄り添おうと思える。協奏曲はソリストとしてそこまで寄り添わなくていい部分もあります。そこが難しいかな。でもコンサートとして楽しいのは協奏曲ですね。今回はソロのほうが楽しかったです(笑)テンポの揺らし方など、私はちょっと独特なので、周りのことを気にせずにできるというか。
反田:僕は指揮を勉強しているところもあり、たとえば木管楽器の発音のタイミングなどを推し量ることもします。ピアノはダイレクトに音が出るけれど、彼らは息を吹き込んで、管を通ってから音が出る。その一瞬のタイミングの違いなどは、指揮を学んでいるからこそ、気持ちがわかる部分。ピアニストがエゴを出し過ぎても、「なんだよ」と思われてしまう。お互いがうまくいったときに、より幸せになれます。
小林:性格の違いが出ますね。反田さんは寂しがり屋で(笑)。私は全然一人が好き。遊びに行くのも一人で大丈夫。
反田:僕は誰かと一緒にいたい(笑)。
小林:オーケストラと一緒だと、やはり安心感はあります。オケの方とあそこの舞台でコンチェルトを弾けるというのは感慨深いものがあります。
反田:2005年に、僕らの先輩にあたる日本人の方が入賞されたとき、日本でドキュメンタリー番組を見て、初めて国際コンクールという世界を知りました。
小林:私も!小学校4年生のころ。入賞された関本昌平さんが同じ先生でしたから。ずっと配信を見ていて、こういう場所で弾くんだなぁ!と。
反田:僕はまだサッカー選手になりたいと思っていた頃だったから、その映像をみてW杯みたいだ、音楽の世界にW杯があるんだな、と。それから15年が経ち、今度は自分が映像に出る立場になったのが不思議な気分です。そして、今回の僕らの世代のドキュメンタリーを見て、コンクールを受けたい!1位を目指したい!という子どもたちが増えてくれたら嬉しいです。
小林:わたしたち、憧れの対象になるの?
大使:もちろんそうですよ。演奏だけでも感動を与えてくれますが、みなさんの姿であり生き様が、希望でありモデルともなるのです。私もあんなふうになれるかな、挑戦しようかなという気持ちになれるのですから。皆さんが純粋に夢を目指して鍛錬し、素晴らしい結果を残されていることに、とても勇気付けられるのです。
反田:結果発表が終わり、つい先ほどまで審査が行われていた部屋で、さっそくコンサートツアーの打ち合わせがありました。審査関連の書類やメモ書きなどが、まだテーブルに散乱していて、ここで一つの大きな歴史が動いたんだなというのを目の当たりにしました。
ツアーについては、日本はまだ隔離期間がありますから慎重に選びました。次のコンサートは小林さんと一緒なんですよね。コンクールの前に決まっていたコンサートで。
小林:今となっては大変なコンサートになってしまった。主催者さんは喜んでくれていると思いますね。
反田:そういうこともあるし、本当に二人でファイナルに行けたのは本当によかったです。もちろん今さら関係性が壊れる仲ではありませんが。
大使:奏者として一番ベストな時が、人生のどのタイミングか、いつなのかは実はわからないですよね。必ずしも今ではないのかもしれない。これからもいろんな意味で経験し吸収されていくことでしょう。皆さんが今後円熟していく中で、また違ったショパンの世界を届けてくださるのも楽しみですね。
小林:今だから言えるのですが、小さい子たちがピアノをがんばっているのを見ていて、がんばることは大切だけど、がんばりすぎてもいけない。
反田:そう!!それは本当にそう!!
小林:息抜きしながら、普通の人生も歩みながら、音楽はやったほうがいいなと思います。
反田:やっぱり多趣味の人ほど、引き出しが多いですね。
小林:音楽だけに縛られず、どこかで普通の生活を楽しみながら生きて欲しい。なぜなら、音楽というのは人生そのものですから。
大使:その人の人間的な魅力そのものが・・・
小林:解放されて、魅力的な音楽をできるようになりますからね。
大使:今回は医学を学んでいる沢田蒼梧さんのようなコンテスタントもいましたしね。そういった多彩なバックグラウンドを持った人たちが、このコンクールの水準にまで来ているというのは、我々からしましても勇気付けられます。
小林:今回は本当に中身の濃いポーランド滞在となりました。この日々を思い出せば、初心に帰れるのではないかと思います。
大使:これからきっと何度も振り返るような、濃密な時間だったでしょうね。
反田:一ヶ月少し前に来た時は木々がまだ緑だったのに、ワジエンキ公園で紅葉を写真に撮りたかったけれど、もう枯れてきてしまった(苦笑)
大使:コンサートの関係でまた来られると思いますし、ワルシャワにはたくさん友達もおられることでしょう。私もこのご縁を大事にさせていただきたいと思います。
今回のショパンコンクールで、日本の皆さんがこれだけ活躍され、最後は入賞もされたということで、ポーランドの人と日本の人とのハートが、間違いなく一歩も二歩も近づいたと感じます。まさにお二人をはじめコンテスタントの皆さんは、日本とポーランドの両方の「文化大使」であると思います。私ができないようなことを、お二人は100倍もいっぺんにやっていただいています。ですから、こちらからもフォローアップをしなければと思っています。これからも引き続き、ショパンを通じて、日本とポーランドの絆を深めるように、ぜひご協力をお願いしたいと本当に思っています。
(お花贈呈)
大使:ありがとうございました。おめでとうございます。
反田・小林:ありがとうございます!
※2021年10月23日 在ポーランド日本国大使公邸にて
取材・文・写真:飯田有抄、撮影・取材:マルタ・カルシ (以上、ピティナ)
コンクール演奏写真:©Wojciech Grzedzinski/ Darek Golik (NIFC)